「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          戦争の狂気を語りつぐ難しさ

2010-01-20 07:17:58 | Weblog
今晩、僕は山梨学院生涯学習センターで「報道が証言する戦争の記憶と現代」という
大きな題を頂いて話をする。とても身にあまる題で、どこまで聴衆の方々にご理解頂
けるか心配だが、努力してみることにする。

僕らは戦争の申し子みたいな世代である。生まれてすぐ満州事変(1931年)が始まり、
小学校に入學した年(1935年)には日中戦争に拡大、さらに1941年、小学校5年の時に
大東亜戦争が勃発した。そして1945年8月、中学3年の時に戦争は終わった。まさに少
年時代は戦争一色だった。直接従軍の経験はないが、銃後で勤労動員され、空襲も体
験している。言ってみれば、戦争の空気が若干だがわかる最後の世代だ。

戦後65年も経ち戦中戦前生まれの日本人は4人に1人の時代である。その中でも実際に
戦争を体験したり記憶のある者となると、さらに少ない。僕もその数少ない1人である。
戦争を正しく後世に伝えるのは僕らの義務である。そこで僕は今晩の話のレジメとして自
分が体験した戦争の狂気についても語ることにした。

戦争体験者とそうでない世代との間には、微妙な違いがある。2年前、沖縄の激戦地で玉
砕のさいに軍命令があったかどうかで裁判があった。当時の軍関係者は頭からこれを否定
していたが、僕もそうだと思った。当時の日本人一般の感情は、手榴弾があれば一発は敵
に投げ、一発で自決する覚悟であった。まったく狂気の沙汰だが、それが戦争なのだ。戦争
を知らない世代には、なかなかこれが理解できないのではないだろうか。戦争についての誤
った記述は、この無理解から出ている。