今晩、僕は山梨学院生涯学習センターで「報道が証言する戦争の記憶と現代」という
大きな題を頂いて話をする。とても身にあまる題で、どこまで聴衆の方々にご理解頂
けるか心配だが、努力してみることにする。
僕らは戦争の申し子みたいな世代である。生まれてすぐ満州事変(1931年)が始まり、
小学校に入學した年(1935年)には日中戦争に拡大、さらに1941年、小学校5年の時に
大東亜戦争が勃発した。そして1945年8月、中学3年の時に戦争は終わった。まさに少
年時代は戦争一色だった。直接従軍の経験はないが、銃後で勤労動員され、空襲も体
験している。言ってみれば、戦争の空気が若干だがわかる最後の世代だ。
戦後65年も経ち戦中戦前生まれの日本人は4人に1人の時代である。その中でも実際に
戦争を体験したり記憶のある者となると、さらに少ない。僕もその数少ない1人である。
戦争を正しく後世に伝えるのは僕らの義務である。そこで僕は今晩の話のレジメとして自
分が体験した戦争の狂気についても語ることにした。
戦争体験者とそうでない世代との間には、微妙な違いがある。2年前、沖縄の激戦地で玉
砕のさいに軍命令があったかどうかで裁判があった。当時の軍関係者は頭からこれを否定
していたが、僕もそうだと思った。当時の日本人一般の感情は、手榴弾があれば一発は敵
に投げ、一発で自決する覚悟であった。まったく狂気の沙汰だが、それが戦争なのだ。戦争
を知らない世代には、なかなかこれが理解できないのではないだろうか。戦争についての誤
った記述は、この無理解から出ている。
大きな題を頂いて話をする。とても身にあまる題で、どこまで聴衆の方々にご理解頂
けるか心配だが、努力してみることにする。
僕らは戦争の申し子みたいな世代である。生まれてすぐ満州事変(1931年)が始まり、
小学校に入學した年(1935年)には日中戦争に拡大、さらに1941年、小学校5年の時に
大東亜戦争が勃発した。そして1945年8月、中学3年の時に戦争は終わった。まさに少
年時代は戦争一色だった。直接従軍の経験はないが、銃後で勤労動員され、空襲も体
験している。言ってみれば、戦争の空気が若干だがわかる最後の世代だ。
戦後65年も経ち戦中戦前生まれの日本人は4人に1人の時代である。その中でも実際に
戦争を体験したり記憶のある者となると、さらに少ない。僕もその数少ない1人である。
戦争を正しく後世に伝えるのは僕らの義務である。そこで僕は今晩の話のレジメとして自
分が体験した戦争の狂気についても語ることにした。
戦争体験者とそうでない世代との間には、微妙な違いがある。2年前、沖縄の激戦地で玉
砕のさいに軍命令があったかどうかで裁判があった。当時の軍関係者は頭からこれを否定
していたが、僕もそうだと思った。当時の日本人一般の感情は、手榴弾があれば一発は敵
に投げ、一発で自決する覚悟であった。まったく狂気の沙汰だが、それが戦争なのだ。戦争
を知らない世代には、なかなかこれが理解できないのではないだろうか。戦争についての誤
った記述は、この無理解から出ている。