「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

”黒ん坊"が一杯だった戦後すぐの逗子海岸

2014-08-05 05:54:18 | Weblog
このところ首都圏は連日30℃をこす真夏日が続き、まさに夏本番だが、80代半ばに近い老人は、熱中症を避け、ただただ家に引きこもりテレビを見るだけだ。そのテレビの画面に昭和20年代後半とみられる湘南の海が紹介されていた。海浜一杯人また人で”芋を洗うような”混雑ぶりだ。この時代に青春時代を送った僕にとっては懐かしい風景だ。

その湘南の逗子海岸に今年は異変が起きているという。ここ数年逗子海岸は海の家を中心に”クラブ”化が進み、近隣住民から騒音やモラルの低下について苦情が殺到、これを受けて地元の市議会は、今年から市条例を作り、その取締りを始めた。その結果なのであろうか。7月終りまでに逗子海岸を訪れた海水浴は激減し、海の家などの売り上げは昨年までに比べて2割程度だという。

僕は戦後すぐの時代、知人が海の家を経営していた関係から、ちょくちょく東京から満員電車にのって逗子へ泳ぎに行った。当時の逗子海岸は、浜の中心にあった「逗子ホテル」から浪子不動にかけての海岸は、ロープが張られ進駐軍専用で日本人は泳げなかった。そのためだったのであろうか、海岸はテレビの画面で見たような混雑ではなかった。僕らは家から持参した、おにぎりを食べ、水筒のお茶を飲み、ひたすら泳いだ。

砂浜には若い男女が暑い太陽の下、甲羅干しをしていた。あの時代は夏の終わりになると、日焼けした身体を競う”黒ん坊”コンテストが催されたものだった。しかし、いつごろからか日焼けは皮膚がんの原因ということで海水浴客は,陽止めクリームを使用することになった。時代が変わり”太陽の季節”は終わり、”月光の季節”に変わり、砂浜は泳ぐ場所ではなくなっていた。逗子市議会のとった措置は正しい。地元の関係者は海水浴の原点に戻って健康な浜を復活させたらよい。