東京のインドネシア大使館の大使公邸で催された69回目の独立式典に参加した。早朝8時からの式典は昭和20年8月17日午前10時からジャカルタのスカルノ大統領(初代大統領)私邸前で行われた独立宣言当日の模様をそのまま模して行われる。早朝8時という時間も、2時間という時差を配慮してのものである。今年で9回、僕はこの式典に参加しているが、年々独立当時を知る日本人が減り、ついに今年は従軍世代は1人もいなかった。
早朝の式典にも拘らず、福田康夫元総理が式典に参加した。福田康夫元総理の父親、赳夫元総理は1972年マニラで、わが国の東南アジア外交政策として「福田ドクトリン」を提唱した。その柱は”心から心へ”(Dari hati ke hati)で、お互いの信頼関係の上に立って対等な立場で、地域の平和と繁栄に寄与しようというものである。”dari hati ke hati"は、今でもインドネシアでは、五輪真弓の「心の友」と共によく知られている言葉だ。
早朝の式典にも拘らず、福田康夫元総理が式典に参加した。福田康夫元総理の父親、赳夫元総理は1972年マニラで、わが国の東南アジア外交政策として「福田ドクトリン」を提唱した。その柱は”心から心へ”(Dari hati ke hati)で、お互いの信頼関係の上に立って対等な立場で、地域の平和と繁栄に寄与しようというものである。”dari hati ke hati"は、今でもインドネシアでは、五輪真弓の「心の友」と共によく知られている言葉だ。