石原慎太郎氏が政界からの引退を表明した。昨日、日本記者クラブでの引退会見をテレビの画面で見たが、僕には氏の引退は”遅きに失した”感があり、改めて政治家の引き際の難しささについて考えさせられたた。石原氏は僕より学年が2年下で、戦争中、学童疎開した世代だが、テレビ画面で見る限り、相変わらずの勇ましい”慎太郎節”とは、うらはらに体力的には限界を思わせた。
昭和31年石原氏が「太陽の季節」で芥川賞を受賞した時、正直言ってこれが芥川賞かと思った。僕には文学的価値が解らなかったが、戦後すぐのあの時代を、よく描いており、僅か2歳しか違わない僕にとって「太陽の季節」は新時代の到来を予言させた。事実、石原氏の作品は「太陽族」で象徴される、新時代の旗手的な存在になった。
昭和43年、石原氏は参院全国区選挙でトップ当選し、政治家に転身し、自民党内閣で環境庁長官、運輸大臣を歴任したが、石原氏の政治生命を語る場合は,やはり平成14年から4期にわたる都知事時代の功績であろう。一都民として、それを上げるならば、第一にデイーゼル車排ガス規定などの環境対策、臨海副都心の実現、東京マラソンの実施など枚挙にいとまがない、抜群の発信力と行動力であった。
石原氏は都知事4期を終え、引退すべきであった。しかし、氏の政治信念なのだろう。平成22年、都知事を辞任し、新党「立ち上がれ日本」を立ち上げ、大阪の橋下知事と組んで国政に復帰した。国会で安倍総理との間で党首会談もあったが、病身のせいか、かっての氏の迫力はなかった。辞任に当たり石原氏は今後の活動について”言いたいことを言って、やりたいことをやって、人に憎まれて死にたい」と語っているそうだが、石原氏の政治生命は終わった。引き際はどうだったのだろうか。
昭和31年石原氏が「太陽の季節」で芥川賞を受賞した時、正直言ってこれが芥川賞かと思った。僕には文学的価値が解らなかったが、戦後すぐのあの時代を、よく描いており、僅か2歳しか違わない僕にとって「太陽の季節」は新時代の到来を予言させた。事実、石原氏の作品は「太陽族」で象徴される、新時代の旗手的な存在になった。
昭和43年、石原氏は参院全国区選挙でトップ当選し、政治家に転身し、自民党内閣で環境庁長官、運輸大臣を歴任したが、石原氏の政治生命を語る場合は,やはり平成14年から4期にわたる都知事時代の功績であろう。一都民として、それを上げるならば、第一にデイーゼル車排ガス規定などの環境対策、臨海副都心の実現、東京マラソンの実施など枚挙にいとまがない、抜群の発信力と行動力であった。
石原氏は都知事4期を終え、引退すべきであった。しかし、氏の政治信念なのだろう。平成22年、都知事を辞任し、新党「立ち上がれ日本」を立ち上げ、大阪の橋下知事と組んで国政に復帰した。国会で安倍総理との間で党首会談もあったが、病身のせいか、かっての氏の迫力はなかった。辞任に当たり石原氏は今後の活動について”言いたいことを言って、やりたいことをやって、人に憎まれて死にたい」と語っているそうだが、石原氏の政治生命は終わった。引き際はどうだったのだろうか。