米国とキューバとの国交が53年ぶりに正常化される。1950年代から60年代にかけて新聞社の外信部に籍を置いていた僕にとっては、まさにこのニュースは歴史の転換点であり、新時代の到来を感じる。1962年10月、米国とソ連(当時)との間で、いわゆる「キューバ危機」が起り、キューバに配置されたソ連のミサイル撤をめぐって米ソ両大国が直接衝突するのではないかと危機感を持った。ちょうど同じ時期、僕は中東移動特派員として、湾岸地域を歴訪中だったので、余計当時の記憶が鮮明だ。
キューバ革命を指導したフィデル・カストロ前国家元首(88)は冷戦時代を象徴する時代の寵児であった。キューバは米国の裏庭ともいえるカスピ海に浮かぶ小島であり、普通なら、この小国の出来事は世界のニュースにならないのだが、専門家でない僕も当時、中学生向けの学年別雑誌にキューバ革命の事を書き、小遣銭にした。そのくらい、当時一般の日本人の間でもキューバ革命と、フィデル・カストロの名前は知れていた。
フィデル.カストロは2008年、病気を理由に国家評議会議長、軍最高司令官を辞任し、弟のラウルに譲り、政治の表舞台から消えているが、元気のようである。若い時トレード.マークのように愛用していた葉煙草も健康に悪いからと、率先して辞めたという。野球好きで、野球を通じて日本人との交流もあるという。半世紀にもわたる米国との断交、その間の世界の流れ、特に冷戦の終りは、フィデル.カストロにとっては感無量なものがあろう。
キューバ革命を指導したフィデル・カストロ前国家元首(88)は冷戦時代を象徴する時代の寵児であった。キューバは米国の裏庭ともいえるカスピ海に浮かぶ小島であり、普通なら、この小国の出来事は世界のニュースにならないのだが、専門家でない僕も当時、中学生向けの学年別雑誌にキューバ革命の事を書き、小遣銭にした。そのくらい、当時一般の日本人の間でもキューバ革命と、フィデル・カストロの名前は知れていた。
フィデル.カストロは2008年、病気を理由に国家評議会議長、軍最高司令官を辞任し、弟のラウルに譲り、政治の表舞台から消えているが、元気のようである。若い時トレード.マークのように愛用していた葉煙草も健康に悪いからと、率先して辞めたという。野球好きで、野球を通じて日本人との交流もあるという。半世紀にもわたる米国との断交、その間の世界の流れ、特に冷戦の終りは、フィデル.カストロにとっては感無量なものがあろう。