目黒川の桜がすっかり東京の名所として定着してきた。目黒川は世田谷区の三宿あたりの武蔵野台地を水源に東京湾に注ぐ延長8キロほどの川だが、この流域の大橋から中目黒あたりに植えられた桜並木が、ここ10数年、花見客で賑わい始めてきた。昨日、老妻が東横線の中目黒駅近くの病院へ定期診断に出かけたところ、平日の昼間だというのに駅周辺は人でごった返し、交通整理まで出ていたという。
戦前、昭和10年代、僕はこの花見名所から下流のJR五反田駅周辺に住んでいたが、当時は流域に桜並木などなかった。川に沿って所どころに”船着き場”があり、桜にはふさわしくない話題で恐縮だが、家庭の糞尿を集めた”汚穢舟”が、竿を差しながら東京湾へ汚物を捨てに行っていた。川も戦後の化学的な汚染はなかったが、猫の死体や壊れた湯タンポなどが流れていた。
僕ら子供たちにとって、川の上流は「聖域」で探検に出かけたかったが、当時川に沿った道はなく、せいぜい目黒駅近くまでであった。時々、いろんなゴミに混じってテニスのボールが流れてきた。上流のテニス場から誤って川に落ちたものだが、物のない時代、子供たちにとっては宝物で、石を川に投げて岸に引き寄せ拾ったものだ。
時が少し下がって戦争中の昭和18年、学校の教練の査閲(軍によるテスト)で中目黒駅近くの練兵場に行った記憶があるが、駅舎は小さく今のような賑わいはなかった。目黒川の桜が有名になったのは、流域の中目黒や代官山のグルメ,レストランやカッフェとの相乗効果だという人もいる。いつの時代でも”花よりだんご”なのかもしれない。それにしても、かって”汚穢舟”が往来した目黒川に今は”花見舟”まで出ているという。70年前には想像もできなっかたことだ。
戦前、昭和10年代、僕はこの花見名所から下流のJR五反田駅周辺に住んでいたが、当時は流域に桜並木などなかった。川に沿って所どころに”船着き場”があり、桜にはふさわしくない話題で恐縮だが、家庭の糞尿を集めた”汚穢舟”が、竿を差しながら東京湾へ汚物を捨てに行っていた。川も戦後の化学的な汚染はなかったが、猫の死体や壊れた湯タンポなどが流れていた。
僕ら子供たちにとって、川の上流は「聖域」で探検に出かけたかったが、当時川に沿った道はなく、せいぜい目黒駅近くまでであった。時々、いろんなゴミに混じってテニスのボールが流れてきた。上流のテニス場から誤って川に落ちたものだが、物のない時代、子供たちにとっては宝物で、石を川に投げて岸に引き寄せ拾ったものだ。
時が少し下がって戦争中の昭和18年、学校の教練の査閲(軍によるテスト)で中目黒駅近くの練兵場に行った記憶があるが、駅舎は小さく今のような賑わいはなかった。目黒川の桜が有名になったのは、流域の中目黒や代官山のグルメ,レストランやカッフェとの相乗効果だという人もいる。いつの時代でも”花よりだんご”なのかもしれない。それにしても、かって”汚穢舟”が往来した目黒川に今は”花見舟”まで出ているという。70年前には想像もできなっかたことだ。