今日は国民の祝日「昭和の日」である。すでに平成も27年経ち”昭和も遠くなりにけり”である。昭和の”御世”に生を受け、半生をこの時代に生きてきた世代にとっては感無量なものがある。中でも昭和を前、中、後と三期に別けた場合の最初の20年間(戦前)は、最も印象深く、記憶に残っている。
はるか遠い記憶の中に”昭和、昭和、昭和の子供よ”の繰り返し言葉(リフレイン)で始まる「昭和の子供」の歌(久保田宵二作詞、佐々木英作曲)がある。歌詞はほとんど忘れてしまったが、昭和の子供のリフレイン部が、そのメロデイと共に頭に残っている。大正の”御世”が終わり、新しい年号、昭和になった喜びを「昭和の子供」の歌として表現したものだ。
昭和6年僕が生まれた年に満州事変が勃発しやがて12年、盧溝橋の支那事変として戦火は拡大し、16年大東亜戦争へと時代は移ってゆく。世の中は戦争一色、この中で僕は小学校(国民学校)時代をすごした。僕ら子供は、銃後の小国民と”讃えられ”、17年には霧島昇が歌う「小国民進軍歌」がレコード化され、発売されている、軍艦マーチの前奏で始まる勇ましい歌である。
♯ 「少国民進軍歌」(作詞軍人保護院 作曲佐々木すぐる)
とどろくとどろく足音は お国のために傷ついた 勇士の護り
僕たちは 共栄圏の友と行く 揃う歩調だ,足並みだ
時代がヅ―ッと下がって戦後昭和の歌に「昭和の子」という歌がある。昭和25年生まれのイルカが作詞作曲、自分で歌ったものだ。
♯ 「昭和の子」
一、おやつが足りなきや はんぶんこ 僕らおおおぜい 昭和の子
おしくらまんじゅう 泣きません
一、僕らしぶとい 昭和の子 がんばることが好きなんだ
僕ら腹ぺこ昭和の子 うまいもんには弱いんだ
どれもその時代の「昭和」を反映した歌である。国民の祝日の「昭和の日」、過ぎ去りし過去を振り返ってみるのも一興かも。
はるか遠い記憶の中に”昭和、昭和、昭和の子供よ”の繰り返し言葉(リフレイン)で始まる「昭和の子供」の歌(久保田宵二作詞、佐々木英作曲)がある。歌詞はほとんど忘れてしまったが、昭和の子供のリフレイン部が、そのメロデイと共に頭に残っている。大正の”御世”が終わり、新しい年号、昭和になった喜びを「昭和の子供」の歌として表現したものだ。
昭和6年僕が生まれた年に満州事変が勃発しやがて12年、盧溝橋の支那事変として戦火は拡大し、16年大東亜戦争へと時代は移ってゆく。世の中は戦争一色、この中で僕は小学校(国民学校)時代をすごした。僕ら子供は、銃後の小国民と”讃えられ”、17年には霧島昇が歌う「小国民進軍歌」がレコード化され、発売されている、軍艦マーチの前奏で始まる勇ましい歌である。
♯ 「少国民進軍歌」(作詞軍人保護院 作曲佐々木すぐる)
とどろくとどろく足音は お国のために傷ついた 勇士の護り
僕たちは 共栄圏の友と行く 揃う歩調だ,足並みだ
時代がヅ―ッと下がって戦後昭和の歌に「昭和の子」という歌がある。昭和25年生まれのイルカが作詞作曲、自分で歌ったものだ。
♯ 「昭和の子」
一、おやつが足りなきや はんぶんこ 僕らおおおぜい 昭和の子
おしくらまんじゅう 泣きません
一、僕らしぶとい 昭和の子 がんばることが好きなんだ
僕ら腹ぺこ昭和の子 うまいもんには弱いんだ
どれもその時代の「昭和」を反映した歌である。国民の祝日の「昭和の日」、過ぎ去りし過去を振り返ってみるのも一興かも。