野菜、果物などに「旬」(しゅん)という言葉が有名無実になってから久しい。もともと「旬」とは朝廷の儀式から来ているもので、「旬政」「旬儀」「旬宴」の略である(広辞林)。これが転じて、最も季節に適した頃の食品のことをいう。戦後になってからハウス栽培が普及し、この」旬」が喪失し,夏野菜であっキュウリやナス、トマトなどが冬でも食べられるようになった。
昨日、近くのスーパーから重い思いをして「筍」(たけのこ)を一本買ってきた。「筍」は竹冠に「旬」と書くだけに「旬」がある。首都圏では4月の今頃から5月上旬にかけて店先に出回る。早速、老妻が「タケノコご飯」にしてくれた。やはり「旬」を感じさせてくれ美味しい。僕は少年時代を想いおこし、捨てられた皮を一枚頂戴して、梅干しを中に挟み、チュウチュウ吸ってみた。昔は、こんな素朴な物が子供たちのおやつであった。
かって竹は日本人の日常生活に欠かせないものだった。食品の包みといえば竹の皮であったし、竹で編んだ家具がどこの家にもあった。子供たちは竹馬遊びに興じたものだ。僕らの世代には、戦後すぐの時代の嫌な思い出”竹の子生活”がある。食糧難時代で、都会の庶民は食糧の買い出しのため、タンスの中の衣類をタケノコの皮をはぐようにして売ったり物物交換した。
今は豊かな時代である。おカネさえあれば「旬」に関係なく「旬」のものが食べられる。しかし、梅干を竹の皮で包んでチュウチュウ吸った、あの味は「旬」に味であり、今の時季でなければ味あえない。
昨日、近くのスーパーから重い思いをして「筍」(たけのこ)を一本買ってきた。「筍」は竹冠に「旬」と書くだけに「旬」がある。首都圏では4月の今頃から5月上旬にかけて店先に出回る。早速、老妻が「タケノコご飯」にしてくれた。やはり「旬」を感じさせてくれ美味しい。僕は少年時代を想いおこし、捨てられた皮を一枚頂戴して、梅干しを中に挟み、チュウチュウ吸ってみた。昔は、こんな素朴な物が子供たちのおやつであった。
かって竹は日本人の日常生活に欠かせないものだった。食品の包みといえば竹の皮であったし、竹で編んだ家具がどこの家にもあった。子供たちは竹馬遊びに興じたものだ。僕らの世代には、戦後すぐの時代の嫌な思い出”竹の子生活”がある。食糧難時代で、都会の庶民は食糧の買い出しのため、タンスの中の衣類をタケノコの皮をはぐようにして売ったり物物交換した。
今は豊かな時代である。おカネさえあれば「旬」に関係なく「旬」のものが食べられる。しかし、梅干を竹の皮で包んでチュウチュウ吸った、あの味は「旬」に味であり、今の時季でなければ味あえない。