「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

凧揚げ 羽根つき カルタ 双六(すごろく) 福笑い トランプ 消えた正月の遊び

2017-01-05 05:52:41 | 2012・1・1
昨日も東京首都圏は雲一つない、抜けるような青空、ベランダからは雪をかぶった富士が遠望できた。僕が昭和18年に卒業した小学校の応援歌は”四方緑に包まれて梢に高き富士の根を”で始まっており、東京の区部でも富士が当たり前のように見えた。そして、まだ”原っぱ”と呼ばれた空き地が残っており、正月休みのこの時期、子供たちは競って、天高く凧を揚げ興じたものだ。これが冬の風物詩でもあった。

今年の正月、僕は凧揚げを見たことがない。わが家の近くには揚げたくとも、もう”原っぱ”は残っていない。戦前は、これまた当たりまえだった、晴れ着の少女の追い羽根姿も見られない。羽根をつきたくとも、車の激しい舗装した道ばかりだ。

孫たちが皆成長してしまって判らないのだが、僕らが昔、遊んだ正月の室内遊びは今どうなっているのか。70余年前の戦前の遊びを想い出してみた。一番の人気は百人一首といろはカルタであった。小学校低学年だった僕でも一枚か二枚、得意札を持っており、何故かいまでも、一枚札が”むすめふさほせ”な事を憶えている。百人一首札を使った”坊主めくり”も人気があった。札を裏返しにして1枚ずつ、めくり坊主の絵札が出たら相手にめくった札を全部渡し枚数を競うというものだ。”犬が歩けば棒に当たる”で始まるいろはカルタもあったが、子供たちには何故か古臭い感じがして、”現代”版のカルタを使った。

双六(すごろく)や福笑いも定番だった。江戸時代からの遊びだろうが、東海道五十三次にならって、出発点からサイコロの目にそって進み、時には宿の指示に従って逆もどしたりして、誰が一番早くゴールに到着するかを競うもの。出世双六的なものが多く、将棋の駒を使っての遊びもあった。福笑いは、目隠ししておカメの顔をした絵の上に、目、鼻、口などを置き、その出来上がりぶりの面白さを見る他愛のないものだ。

トランプ遊びも人気があった。想い出すままに列挙すると―。「ババぬき」「七並べ」 「ダウト」「神経衰弱」などなど。遊び相手がいないと、カードを使って占い遊びをした。そのほか、家族合わせ、動物合わせなどもあった。子供たちにとっては遊ぶに事欠かなかった。」今の子供たちは、独り家に籠ってテレビゲームやケータイで遊んでいるそうだが、成長して大人になった時、正月の想い出はそれなりにあるのだろうか。