9月1日は「防災の日」である。大正12年(1923年)9月1日午前11時58分、東京を中心に震度7.9の大地震が発生、10万人以上が火災、津波などで犠牲になった。これにちなみ、季節が「二百十日」であることもあって、国民の地震、台風などの自然災害に対する防災意識を高める目的で昭和35年に設定された。
その大震災から95年、当時を体験した人は、少なくなり風化し始めてきた。僕が子供だった時には家にも震災を伝える写真アルバムや焼け残った銅貨もあり、年寄りから当時の話をなまなましく聞いたものだ。(これら記念物は数年前、すみだ郷土資料館へ寄贈)その一つに地震の混乱に乗じて起きたという朝鮮人による”暴動”もあった。家には亡父が”暴動”に備えて結成された自警団に協力した町からの感謝状が残っている。
朝鮮人暴動は風説、デマにすぎなかったが、公式にも233人が犠牲になっている、この方々の慰霊祭が毎年、東京で行われ、歴代の知事から追悼文が贈られてきたが、今年は小池百合子知事がこれを中止した。追悼文の犠牲者の数が問題のようだが、韓国の聯合通信によると、小池知事の措置に呼応するかのように95年にして初めて遺族会結が成され慰霊祭が行われた。戦争中の”慰安婦”や”徴用工”の話とは違う。史家によってすでに全容がほぼ明らかにされている問題である。表現は悪いが、知事の措置は”寝ていた子供を起こす”ようなものである。
(写真は報知新聞アルバムに掲載された浅草十二階の建物)