「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

国難突破解散というが

2017-09-27 05:03:59 | 2012・1・1
今回の衆院解散いついて安倍晋三総理は”国難突破解散”と名づけた。「国難」とは久しぶりに聞く言葉である。戦争中、小学生だった僕らは、明治時代の古い軍歌「元寇」(永井建子作詞作曲 明治24年)をよく歌ったものだ。♯ 四百余州にこぞる十万余騎の敵 国難ここにあり 弘安四年夏の事、なんぞ恐れん われに鎌倉男子あり、正義武断の名 一喝して世にしめせ”。また、戦時下の翼賛選挙でも”国難突破大演説会”といった立て看板をよく見たような記憶がある。 

もしかすると、僕は戦後70年、「国難」という言葉を初めて聞いたのかもしれない。戦争放棄の平和憲法の下、幸い一僕らは一度も「国難」には遭遇しなかった。そのため平和ボケしてしまったのか、安倍総理が「国難」と言われても今一つピンとこない。確かに北朝鮮が、わが国の上空を何回もミサイルを飛ばし、そのたびにJアラートのサイレンがなり響く事態は「国難」である。が、今一つ、東京に住む80歳半の僕には「国難」の緊迫感がない。

昔の歴史書を見ると、700年前の二回にわたる元寇時代、鎌倉幕府は北条時宗の時代だったが、時宗はモンゴル帝国から高麗を通じて何回もの朝貢要求を黙殺した。一方、全国、四百余州から兵をこぞり、九州の警備にあたった。文永(1274年)弘安(1280年)の二度の元寇は、結果的には”神風”が吹き、わが国は侵略に会わなかった。史家によれば、わが国の勝利は時宗の専断的な意思決定だったといわれる。安倍総理の場合はどうか。「国難」突破といっても選挙の告示から投票まで半月間、政治が空白になる恐れもある。国難突破の理由付けは、どんなものだろうか。