「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

Goton Royong(相互扶助)とインドネシアの老人介護  

2017-09-15 04:58:59 | 2012・1・1
中部ジャワ(インドネシア)のテマングン(Temanggung)という町に住む元義勇軍(PETA)のバンバン.プルノモさん(90)の近況について、最近、同地を訪れた関西在住のSさんから病床のプルノモさんの写真を添えてメールを頂戴した。メールによれば、プルノモさんは数年前から体調を崩されていたが、昨年、両眼を失明されてしまった。しかし、お元気で、Sさんがプルノモさんからの所望で持参した戦争中の軍歌を二人で合唱した。プルノモさんの一番の愛唱歌は「海行かば」だそうである。

プルノモさんについては小ブログで何回か紹介させて頂いたが、インドネシア国軍参謀総長で、戦後駐日大使もされたバンバン.スゲン将軍の実弟で、ご本人も戦争中の日本軍下の義勇軍の兵士であった。1965年の9.30事件に連座して投獄されるなど苦労されたが、大の日本好きで、数年前までは自宅を改造して「寺小屋」を作り、若い人たち日本語を教えられていた。

Sさんはジャワを訪れると、テマングンでは入手できない介護用のオムツなど持参する気配りだが、生涯独身だったプルノモさんの介護は近所のワルン(小さな食堂)の女主人などが24時間交代で面倒を見ている。ジャワには昔からGoton Royong(相互扶助)という制度があり、困った時にはお互いに助け合う。町の道路修理なども村人総出で行う。僕もインドネシアを車で歩いて何回もこの姿を見たことがある。Sさんは、プルノモさんの介護は、まさに、このGoton Royongによるものだと指摘されてきた。

核家族になる前の日本の社会にも戦前は隣組、さらに古くは長屋の熊さん、八さんで代表されるような、助け合いのしきたりがあったが、今、都会ではなくなってしまった。