「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

サンフランシスコのチャイナ.タウンの慰安婦像

2018-10-04 05:12:44 | 2012・1・1
大阪市の吉村洋文市長がサンフランシスコ市との間で61年間続いた姉妹都市関係を解消すると発表した。理由は同市が市内のチャイナ.タウンの公園内の慰安婦像と日本の”性奴隷”を批判する碑文を再三にわたる抗議にも関わらず撤去せず、返事までよこさない非礼な態度に対してだ。姉妹都市とは、都市と都市とが文化交流や親善を目的としたものだ。大阪市のとった措置は当然である。

サンフランシスコといえば、米国西海岸の観光旅行の目玉、中でも市内にあるチャイナ.タウンは日本人観光客の人気スポットだ。それには戦後、渡辺はま子が歌った「サンフランシスコのチャイナ.タウン」が大きな影響を与えるいるのではないか。
♯ サンフランシスコのチャイナ.タウン(佐々木俊一作詞 佐伯孝夫作曲)
  サンフランシスコのチャイナ.タウン 夜霧にぬれて夢紅く 誰を待つ柳の小窓
  泣いている泣いている おぼろな瞳 花やさし霧の街 サンフランシスコ恋の街

日本でこの歌がヒットしたのは昭和25年(1950年)は、売春防止法が施行される33年以前である。当時、この歌を聞いてサンフランシスコの「赤線地帯」を想起した若者が多かったのではないだろうか。

サンフランシスコの慰安婦像と「性奴隷」碑文は昨年、チャイナ.タウンの住民が建造し市に寄贈したものだが、歴史認識が誤っていた。慰安婦像ではなく、渡辺はま子像と「サンフランシスコのチャイナ.タウン」の歌詞碑文を建てるべきであった。「従軍慰安婦」や「性奴隷」はサンフランシスコには関係ない。