「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

墜落したパンカル.ピナン行機と榎本武揚の遭難した島

2018-10-30 05:50:23 | 2012・1・1
ジャカルタ空港発パンカル.ピナン行、インドネシアのライオン航空機が29日、離陸直後、ジャワ海に墜落189人が死亡した。パンカル.ピナンの名前を聞いてもあまり、日本人は知らないが、スマトラ沖のバンカ島の首都である。僕は24年前、遭難機と同じ、ジャカルタ空港からプロペラ機に乘ってパンカル.ピナンへ出かけた時のことを想い出した。

平成6年1月、僕は幕末の文久2年11月、幕府の和蘭行御軍艦方一行15人が乗った和蘭商船が座礁したバンカ島沖の小島レーパール島を訪ねて旅行した。レパール島はパンカル.ピナンから郡役場のトボアリまで陸路125キロ、さらにサダイという船着場まで40キロ、サダイから小舟に乗って4時間の旅だった。

遭難した和蘭行御軍艦方の代表は内田恒次郎で、乗組員の中には榎本武揚、沢太郎左衛門、西周など幕末期に活躍したそうそうたる人物がいた。僕は祖祖父が遭難した一行の面倒を見たという村長宅に泊まり島を調査したが、一行が宿泊した家がそのまま残っていたし、一行が滞在中食べたというコイ二―という果物もあったし、悩まされたというニャモック(蚊)もそのままだった。

ユネスコの歴史文化遺産が注目されているが、こういった外国にある文化遺産が放置されているのは残念である。僕が半世紀前滞在していた当時ののジャカルタには一行がレパール島から救出されて滞在した、ホテル.デス.インドスの建物がまだあった。じゃがたらお春時代の墓碑もあったが今はない。関係する国同士が歴史を掘り起こして保存するのもムダではないと思うのだが。