「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

教育勅語を習った世代からみたアレンジの必要性

2018-10-05 05:37:29 | 2012・1・1
柴山昌彦文科相が新任後の記者会見で”教育勅語はアレンジした形で今の道徳教育に使える分野は十分にある”と発言した。これをめぐって早くも野党側から臨時国会を開いて大臣の資質を問うべきだとの声が上がっている。野党第一党、立憲民主党の辻元清美選対委員長は、まだ、副大臣も決まらない段階で、今すぐ開けと馬鹿なことを言っている。

馬鹿といえば、共産党の宮本岳志議員は、柴山大臣の発言について、自分のフェイスブックの中で”また、馬鹿な文科大臣だ。大臣は勅語も研究もせずに勅語を語っている”と書いているそうだ(産経新聞)僕は寡聞にして、柴山大臣や宮本議員が、どの程度、教育勅語をご存じで、実行されているか知らない。だけど、僕は戦時中、銃後の小国民として6年間、教育勅語を習っている。

6年間勉強したからと言って僕らの世代が“聖人”ぞろいとは言わない。多分、逆に教育勅語といえば、天長節、紀元節など四大節の式典に校長先生がおごそかに読みあげたこと。「朕(ちん)惟ウニ皇祖皇宗」で始まる子供では解からない勅語を全文丸暗記させられたことなどの想い出しかない。そうかと言って、1890年、大日本帝国憲法下で発表された、この勅語を今、読むかえしていて過ちはない。ただ、128年経過して、柴山大臣のいうように、道徳教育に使うとすれば、アレンジしなければならない。

僕個人はそれほど、道徳教育に教育勅語をからませる必要はないと思うが、大臣を馬鹿呼ばわりする議員がいるのでは、道徳教育は必要だ。