”私たちが歌っていた軍歌のすべてです”とわが家で購読している新聞の広告面に軍歌戦時歌謡全集が紹介されていた。全部で108曲、名前を見ると、戦後74年経った今でもほとんどソラで歌えるものばかりだ。無理もない。僕の生まれたのは昭和6年の満州事変の年、小学校に入学した年に支那事変が始まり、16年に戦火は大東亜戦争に拡大、いってみれば戦争の申し子、軍歌の中で少年時代を送ったものだ。
その108曲の中には戊申の役当時を歌った会津の「白虎隊」や官軍の「宮さん宮さん」、さらには「元寇」などあって、軍歌としては首を傾げたくものもあるが、軍歌の双璧といえば、大東亜戦時、大本営が勝利をラジオで流した際のの陸軍の”敵は幾万ありとても”で始まる「敵は幾万」、それに海軍の”守るも攻めるも黒艦(くろがね)”もの軍艦行進曲(マーチ)ではなかったか。
軍歌はそのジャンル、歌った時の年齢によって違うが、僕が記憶にある当時聞いた頻度による軍歌10選は次の通りだ①愛国行進曲②露営の歌③出征兵士を送る歌④海征かば⑤同期の桜⑥月月火水木金金⑦燃えろ大空⑧加藤隼戦闘隊⑨ラバウル小唄⑩学徒出陣の歌。最初の3曲は出征兵士を駅まで送った時の歌。「海征かば」は遺骨を迎えに出たときの歌。軍歌といってよいのかどうか。
軍歌を聴いたり歌ったりする機会がめっきり少なくなってきた。かってはパチンコの店先からも道行く街宣車からも聞こえてきたが、今では老人会に出ても戦後生まれ、軍歌を知らない老人が出てきた。