関西在住のインドネシア通の友人からジャカルタの邦字紙「じゃかるた新聞」に”ますます発達する交通網”が載っていると知らせを受けた。早速、読んでみると,目抜きのスディルマン通りの各バス停に新しいジャカルタの交通網を示す大きな地図が完成したという。今年3月、市の中心部に日本の協力で待望のMRTの一部が開通して以来、市内の交通機関が次と整備されてきたようである。おそらく地元民でもよく理解出来ないのかもしれない。
友人から新しく開通したMRTの駅名表も頂戴したが、どれも懐かしい。列挙してみる。Kota,Glodok、Manga besar,Sawabaru,Harmoni,Monas,Sarina, 僕は1966年以来、半世紀に二回の長期滞在を含めてのレピーター訪問者だが、どの駅名にもノスタルジアがある。その中でも特に郷愁を感じるのはMangabesarだ。
”マンガ.ブサールの霧の深い河岸通りへ出かけた。全バタビア(ジャカルタ旧名)は蝙蝠の町だ。軒下にも、馬糞臭い辻馬車のたて場にも支那人市場の人のちりつくした市場にもいた”。詩人の金子光晴は今から約百年前、マンガ.ベサールを訪れた際書いている(「マレー蘭印紀行」中公文書)半世紀前、僕も単身赴任の身なので週末になると、蘭印時代からあった歓楽街「プリンセン.パルク」に出かけたが、昼間、運河では住民たちが水浴びや洗濯をしていた。
ノスタルジアではないが、ジャカルタ圏の公共交通網の整備で今,日本の進出企業の拠点になっている西ジャワ州のブカシにも簡単に行けるようになったようである。74年前の昭和20年10月、戦後の混乱期、ジャカルタの海軍警備隊の一行86人がバンドンの集結地へ列車で向かう途中、ブカシで強制下車され、暴徒に襲われ殺されている。事件の真相は不明で、歴史の表ページから消えかかろうとしている。