今年、元旦にわが家で頂戴した年賀状は58通、若かった現役時に比べ三分の一である。毎年、馬齢を重ねるのであり、やむを得ぬことだが、今年は賀状に対する世の”逆風”も影響しているのではないだろうか。そんな中で大正生まれの従軍世代の先輩から三通年賀を頂戴した。
最高齢は大正10年(1929年)生まれのGさんからで、干支の「子」の印刷された賀状には”4月1日で萬九十㐂になります”と自筆で添え書きしてあった。九十九(苦)ではない(㐂)の字を使われる気遣いである。Gさんは戦争中、数年前地震の大津波で大被害のあったアチェ(インドネシア)のインド洋岸の僻地タバトアンで義勇軍の指揮官をされていた方だ。
あとのお二方のお一人は大正12年生まれ九十七歳で、同じくスマトラのメダンの近衛歩兵連隊司令部で勤務されていた方。もう一方Aさんは大正15年生まれで九十四歳。スラウェシ島マカッサルの海軍民生部で軍属として勤務されていた。横浜在住のAさんはお手製の賀状の中で”羽田からマカッサルへの直行便ができる朗報がはいりました”と書いてあった。ますますお元気である。
百歳時代の到来を実感する。賀状は頂かなったが、僕の周辺には105歳を最高に百歳以上の方が3人もおられる。お祝いの区切りの最高齢は上寿、百歳だが、その上の祝事が必要になってきた。