「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

羹(あつもの)に懲りない米国の中東軍事介入

2020-01-06 04:57:25 | 2012・1・1
米軍3000人が中東に増派されるという。理由は米軍へりコプターが先日、イラク訪問中のイランの革命防衛隊ソレイマニ司令官を銃撃殺害したことに対して、イランが報復に出るのではないかという懸念である。トランプ大統領はイランが報復に出ればイランの軍事施設52か所を攻撃目標に設定しているとのこと。52か所とは1979年、テヘランで起きた米国大使館で人質になった館員の数だという。トランプらしい脅しと思うが、随分と一方的な話である。

米国は忘れてしまったのか、それとも羹(あつもの)に懲りていないのか。2003年3月、当時のブッシュ大統領はイラクのサダム.フセイン大統領が国内で大量破壊兵器を製造、これがテロ集団に渡っているとして軍事介入した。11年まで続いた戦闘の結果、サダム大統領は逮捕され死刑にされたが、大量殺害兵器は発見されず、3万人もの犠牲者を出した。しかもイラクの情勢は旧態依然のままだ。

古い話で恐縮だが、1955年から79年まで中東から西アジアの地域にかけてCENTO(中東防衛機構)があった。東西冷戦下ソ連に対する軍事防衛機構だが、英国を中心にイラク、イラン、トルコ、、パキスタン5か国かあなり、米国はオブザーバーであった。CENTOは79年年、イランのパーレビ王朝壊滅とともに消滅した。テヘランの米大使館人質事件の起きた年だ。当時と情勢は違うが、CENTOの時代には、加盟国間のトラブルはなかった。

米国が本格に中東に介入し始めたのは、イランのパーレビ王朝の崩壊の翌年1980年のイラン.イラク戦争からといってもよいのではないかー。1956年の第二次中東戦争(スエズ戦争)では休戦調停役だったが、イラン.イラク戦争では、片方にコミットしはじめ深入りし始めてきた。もともと、中東は英仏両国が宗主国だった地域で言って見れば、米国は”新参者”である。羹にこりて手をひいたほうがよい。