昨日から大相撲三月場所が大阪で始まった。BS中継で十両以下の土俵からお茶の間桟敷で観戦したが観客のいない土俵は何かもの足りない。和服姿の女性は一人もおらず華やかでない。横綱の土俵入りを画面で見ても力が入らない。新型コロナ.ウィルスの流行で仕方がないのだが、やはり観客あっての大相撲である。
無観衆の場所は大相撲始まって以来のことだそうだが、戦争末期の昭和20年(1945年)六月場所も有料の観客はおらず、傷痍軍人と一部招待客だけでの場所だった。戦前昭和の大相撲は年二場所、1月(春)と5月(夏)、東京の両国国技館で催されいたが、3月の下町大空襲で国技館も破壊され、力士にも焼死者が出ていた。その中で5月の開催は危ぶまれていたが、戦意の向上ということか、6月に延期され7日から13日まで7日間、天井が抜けた国技館で晴天だけの興行をしている(平幕備州山優勝)
昭和20年の1月場所は前年の19年11月に繰り上げられ、国技館が軍需工場に転用されていたこともあって後楽園球場で10日から21日までの晴天10日間興行している。僕も12日の3日目に観戦しているが場内は国技館の大鉄傘下ほどの湧きたちはなかった(大関前田山優勝)
昭和20年には敗戦僅か3か月後の11月8日から22日までの11日間、まだ焼け跡ばかり、一部穴の穴のあいた国技館で異例の11月場所が行われている。食べるのがせい一杯の時代だったが土俵は連日満員だったそうだ。番付けも4横綱、3大関の豪華版だった(羽黒山が優勝、双葉山は欠場引退)やはり庶民は平和の時代を待ち焦がれていたのだ。 コロナ,ウィルスが終息し大入り満員の垂れ幕が天井から下がる日を待っている。