「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

代官手代だった祖父の廃藩置県での活躍

2020-04-11 07:15:42 | 2012・1・1

NHKテレビの番組「ファミリィ.ヒストリ―」に触発されて、わが家の歴史についても昨年来、興味を持ち閑を見ては調べているが、最近、幕末の頃関東方代官佐々木道太郎の手代をしていた祖父の明治維新時の貴重な資料が相次いで見つかった。一つは遠縁の研究者が東京都公文書館で発見、コピーしてきてくれた祖父の維新時の職歴表で、もう一つは、わが家の書庫の隅にあった祖父が手代時代書いた自筆の履歴書(写真)である。

祖父の代官手代時代については小ブログの今年2月29日更新で紹介しているが、勤務地の岩鼻(群馬県)谷村(山梨)長部(千葉)の赴任時期や江戸在任時の住所が不明だったが、自筆の職歴表ではっきりした。何の目的でこんな文書をかいたのか分からないが,和紙に丹念な字で書かれており、僅か150年前の文書なのに時代を感じさせる。

祖父は天保2年(1831年)埼玉県深谷市の旧家の出で、明治31年(1999年)68歳で死亡しているが、維新後明治時代は役人をしていて、晩年は東京府に勤務していた。その関係で都公文館に資料があったわけだが、その中の一枚に祖父の履歴で欠落していた維新から明治10年頃までの履歴が記された文書あった。祖父は幕臣でありながら、明治新政府の作った、地方組織機構「民政裁判所」に登用され、その一員として廃藩置県の組織造リに参画していた。祖父の関係した「県」を列挙すると、小菅(東京.埼玉)、登米(宮城)仙臺(宮城)、千葉(千葉)置賜(岩手)である。

時代は戊申戦役から函館戦争、東北列藩が官軍に敗北した直後である。なかでも仙台の伊達藩は、敗北により大幅に禄高を減らされ領地も分割されている。その中での「廃藩置県」交渉、自分の祖父ながら大変な仕事であったと思う。(写真は文久二年代官手代だった祖父)