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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

500円の競馬お楽しみ法

2006-04-10 07:07:32 | Weblog
JRAのG-1レースだけ毎回三連複を5枚、つまり計500円買う
ことにしている。今年に入ってからの成績は2勝1負。昨日の
桜花賞もとった。今のところの勘定は8,000余円の儲けだ。

なにを言いたいというと、金儲けはホドホド、欲の皮を
つっぱてはいけないということだ。JRAのG-1は年間23回。
全レース500円ずつ買っても10,000円ちょっと。
この元金で若い人といっしょに競馬の興奮が共有できる。、
それでひょっとすれば、孫に回転寿司ぐらいご馳走できる
かもしれない。JRAの宣伝にすぎたかな。

郵政公社の定額預金の最高金利が今日から0・10%に引き
上げられる。お金を持っている年寄りには、ちょっと朗報
かもしれないが、僕には関係がない。せいぜい500円の
コイン一枚投下して、ちいさな興奮を味あい老年を謳歌したい。

空襲と超軍国主義の校長

2006-04-09 07:39:51 | Weblog
昭和18年3月小学校を巣立った仲間8人の会が昨日あった。
卒業写真には58人の名前が載っているが、このうち消息の
判っている者15人,亡くなった方9人、残り34人の所在は
判らない。新聞その他の”人探し”欄に何度かお願いしたが
行方は杳としてわからない。

理由は18年5月23日の空襲と強制疎開で,町が破壊され灰塵に
帰してしまったからだ。現在、級友は地元に一人も住んでいない。

この仲間たちが集い、毎回話題にするのは空襲で逃げ惑った話。
ある者は消失した母校のプールに飛び込んで一命をとりとめ、
また別の友は幼い弟を連れてお寺の横の側溝で一夜を明かした。
またある者は猛火におびえた馬が大通りを狂って走っていたのを
見たーというような話だ。

もう一つの話は、超軍国主義の校長先生の話だ。神がかった校長
の朝会の訓話は長くてつまらなかった。修学旅行でせっかく
配給になったお菓子を旅先では食べさせず持ちかえらせたー等等。
戦後、この校長が革新政党から立候補して区議になった話もー
いつも決まって出てくる話だ。

僅か8人になってしまったが、竹馬の友の会は良いものだ。

夜の銀座

2006-04-08 08:10:30 | Weblog
会社のOB会があって久しぶりに夜の銀座に出た。"七色の
ネオン”は相変わらずだったが、"花売りむすめ”も
”カンカンむすめ”もいなかった。柳の並木もあったのかも
知れないが目に入らなかった。困ったのは事前に会場の
地図を送ってもらったが、場所がわからず何人かの人に
尋ねた事だ。

昔は銀座八丁、どこでも目当ての通りや店があって、その
名前を聞けば、番地が判らなくても行けたものだ。貰った
地図には会場だけ大きく記されているが、銀座通りも昭和
通りの記載もない。結局、探すホテルは銀座通りに面して
いた。銀座通りに面してホテルなどないーという先入観が
災あいした結果だった。

戦前の夜店の賑わいを知っている昔者には、四つの水路や
都電(市電)が撤去されたことががいっそう銀座を判らなく
させた原因かもしれない。年をとった証拠かもしれないが
あまり銀座に魅力を感じなくなった。アジア系の観光客を
沢山みかけたが、昔の名前だけで売っている街で、彼らも
あまり魅力を感じないのではないかー。

再度 小中一貫校に反対

2006-04-07 08:43:34 | Weblog
わが母校(小学校)がきのう小中一貫校に衣替えして発足した。
まずは、おめでとう。が、僕は3月19日のブログで指摘した
理由から反対である。それは一貫校によって子供たちの地域社会
との関わり合いが薄れること、もう一つは親や子供が変な特権意識を
もたないかーという点である。

孫の通学圏の母親の中で「あの学校には商人の親が多いから」という
理由で遠くの学校へ通わさせている、というのを聞いた。最近、
学校選択性、という名の下で、このような母親が増えているそうだ。
冗談ではない。商人の家庭のどこが悪い。一貫校がどのような基準で
生徒を選んでいるか知らない。ただ都会過疎地区なので、生徒の
過半数は地元の生徒ではない。父兄の中に上記のような変な偏見が
なければよいのだがー。

あした僕らは桜の花の下で卒業後62回目の同期会を開く。通学圏には
三業地もあったし、駅前商店、鉄道官舎もあった。しかし、なにも
問題はなかった。むしろ地域に親近感がった。むろん変な偏見を持つ
親などいなかった。空襲で離散したため、消息不明の友が多いのは残念
だが、明日会う仲間には、元競輪選手、葬儀屋、大學名誉教授、床屋、
現役のビブラフォン奏者など多士済々。廃校になった母校に複雑な
思いで乾杯をする。

トントン トンカラリンと隣組

2006-04-06 07:27:09 | Weblog
きのう老妻が町会主催の日帰りバス旅行に行ってきた。交通費こみ
昼食つき、それにイチゴがりが楽しめて五千円。三十人ほどの参加
があったという。自分でいうのはおかしいが、僕の住んでいる所は
東京でも有名な住宅街、下町的な空気はない。建ぺい率その他の
規制がきびしく高い集合住宅がない。

トントン トンカラリンと隣組のころから、ここに住んでいる。
さすが歌にある”格子”(をあければ)や”生垣”のある家は
減ってきているが"顔なじみ"の多いのが幸いしているのだろう。
犯罪が少ないのが自慢だ。町会とか隣組というとお祭りの寄付
あつめ団体との悪名が高いが、わが町会にかぎって、そのような
批判はない。良いことずくめのようだが、それを支えているのは
ボランテイアの人たち。

近所同士が顔なじみであれば凶悪犯罪など起こらない。町会、隣組
というと、あの時代を想起するが、運営の仕方しだいでは、社会を
明るくし、犯罪防止の最大の策となる。

おばあちゃんは勉強好き

2006-04-05 06:43:22 | Weblog
東京目黒区には"老人いこいの家"が25か所あり、それぞれ
で独自の講習会をやっているが、4月の開講とともにどこも
ほぼ満杯の盛況だという。

人気のあるのは(1)「気功」8(2)「みんなで歌おう」5
(3)フラワー・アレンジメント 3(4)七宝焼 3
(5)フラダンス 3(6)ラタン・アレンジメント 3
(7)ヨガ 3 (8)トールペイント 2(9)ポップス・
コーラス 2(10)ビーズ・アクセサリ 2 (11)
カラオケ 2---といった具合(数字はコース数)。

どのコースとも共通なのは、女性(おばあちゃん)の参加者が
圧倒的に多いこと。コースの内容によっては男性(おじいちゃん)
の参加者ゼロもある。無理からぬこと、男性にとっては講座名を
聞いても、なにを教えて貰えるのかわからない。それにしても、
おばあちゃんは勉強好き。「憩い」の時間などない。

またまた遠のいた中東和平

2006-04-04 07:44:59 | Weblog
長女はスエズ戦争(第二次中東戦争)のさなかに生まれた。当時
僕は新聞社の外信部へ移ってきたばかり、長女の誕生と転部による
新しい仕事、それに戦争勃発の三つが重なって,この時のことは
いつまでも忘れられない。あれから50年、中東情勢は依然、不安定、
イスラエルとパレスチナとの和平は遠のくばかり、逆に対立は
深刻さを増している。

イスラエルでは最近、新党「カデイマ」が一方的に領土確定路線をとり、
塀を構築して、これを既成事実にしようとしている。この領土は第三次
中東戦争(1967年)でイスラエルが占領したまま返さないヨルダン
川西岸地区である。
これに対して、パレスチナでは政権の座についた「ハマス」が強硬な
武力闘争路線を進め、各地で衝突事件が起きている。まかり間違えれば
第五次戦争にもなりかねない。

1993年に確立された両国の和平枠組みは、どうなってしまったのかー。
このときの功績で当時のイスラエルのシモン・ペレス首相はノーベル平和
賞を貰っているが、いまは「カデイマ」の一員で、その政策を支持している。
ノーベル平和賞の名誉にかけても戦争は避けて貰いたい。










神武天皇をご存知ですか?

2006-04-03 07:19:29 | Weblog
今日は神武天皇祭です。戦前は国祭日でした。初代の天皇、
神武天皇がお亡くなりになった日です。こんなことを知っている
日本人も少なくなってきました。

ジンム、スイゼイ、アンネイ,イトク、コウショウ,コウアンー
あのころ、国民学校(小学校)では、歴代の天皇の名前を強制的
に暗記させられたものです。これが出来ないで先生から殴られた
いやな思い出を持つ人を知っています。

ふり返って今、どうだろうかー。神武天皇の名前を知っている
日本人はどのぐらいいるだろうかー。戦前のあの"神がかった”
教育はコリゴリですが、天皇はわが国の象徴です。神話の世界
とはいえ、初代の天皇の名前ぐらい教えて貰いたいものです。

金鵄勲章のいわれも神武天皇の東征神話から出ています。
日本文化の正しい理解と伝承のためにも必要だと思います。
ある意味ではかけがえのない日本の「文化遺産」です。




対日好感度一位の国の大使の日本批判

2006-04-02 08:33:13 | Weblog
中国や韓国と違ってアジアで対日好感度断トツ一位の国、
インドネシアの駐日大使が,任期切れ帰国を前に本を
出版した。「日本が国家としてインドネシアの独立を助け
る政策を実行した事実はない。日本の戦争目的は石油資源の
奪取で、アジア解放は表看板にすぎない」と一部の日本人
間で根強い”インドネシアの独立は日本のお蔭”との説を
痛烈に批判している。

これは明らかに誤りである。誤解がないように最初に言って
おくが、インドネシアの独立はインドネシア人自身によって
達成されたもので、日本のお蔭ではない。しかし敗戦で流産したが
当時、日本が国家としてインドネシアの独立を助けるため、
すでに独立の日まで決めていたのは、歴史的事実である。
大使が批判している一部の日本人の「独立宣言に当時の皇紀
’05を使用している」からインドネシアの独立は日本のお蔭だ
というのとは違う。

大使はインドネシア独立時、幼年であって当時を知らない。
戦後の同国の歴史教育の中で育ってきた。同国の歴史教科書は
だいたい日本をファッショと決めつけている。だから大使の
ような歴史感の人もいるが、同国のユドヨノ大統領は日イ関係
について未来志向を強調している。

”飛ぶ鳥跡を汚さず”という諺が日本にある。在任中の大使が
このような歴史にもとる日本批判を書いて帰任するのは残念で
ある。このこと自体、大使の日本人理解の足りなさの証明である。



幕引きにならない幕引き 民主党

2006-04-01 06:54:30 | Weblog
前原代表、執行部の辞任で民主党はメール問題に幕引きをした
つもりらしい。民主党はそれでも良いかもしれないが、国民は
これでは納得しない。ガセ・メールを同党に持ち込んだ西澤某
がなんのために、国中を混乱に陥れたのかー解明されていない。
民主党は責任をもってこれを明らかにしてほしい。

小メール欄(2月23日)は、前日の党首討論を受けて、前原
代表に好意的に書いたつもりである。しかし、同党の渡部議員の
言葉を借りれば”人を見る目がなかった”。だけど、党首討論の
あの時の前原代表のあの真剣な、自信に満ちた小泉総理への追及を
みれば誰もが自民党に何かあると思ったのではないだろうかー。

”人を見る目がなかった”のは、その後の前原代表の優柔不断な
態度である。最初から責任をとって辞任すべきであった。問題
山積の国会審議を、この馬鹿げた問題のためにいたずらに空費して
しまった。前原代表は辞任の挨拶で「今後は一党員として党の
ためにつくしたい」といっていた。しかし、再び渡部議員の言葉を
借りれば”議員は侍である”。侍の大将が足軽になって働いた
例はあまり聞いたことがない。