「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

年金なんか!されど年金

2007-02-18 06:12:08 | Weblog
生活保護世帯が全国で100万世帯を超えた。そして、そのうち半分
は老人世帯だという。1980年には30・2%だったというからすごい
増え方だ。”老人苦難時代”の始まりである。

それなのに(あるいはそれだからか)今年から保護世帯の70歳以
上の老齢加算金17,930円が、ついに零となった。数年前から段階
的に減額されてきたのだが、月10万以下の保護費からの減額は保
護老人にとっては身にこたえる。

老齢加算の停止は政府の福祉政策の逆行で、その源は国民年金
からきている。この問題に詳しい知人の話だと、保護世帯の老人に
老齢加算金を給付すると,その額が真面目に国民年金を支払ってき
た人より多くなり不公平になってしまうーという原因であるらしい。確
かに僕らが受給している厚生年金に比較して極端に低い。それが年
金を支払ってこなかった保護老人以下だったら問題である。

昭和30年代、まだ安サラリーマン時代、毎月給料の明細書をみて
ガックリため息をついた。厚生年金、健康保険などなど引かれる項
目が多く、その額も多いこと。若い時には老後のことなど考えないか
ら、その元凶は会社にあると誤解し恨んだものだ。

僕の場合は60歳から年金の支給をうけ、妻の国民年金を併わせれ
ばいま、なんとか生活でき僅かながらも税金も支払っている。生活
保護費から老齢加算金を削られた同世代の方には同情するが、なぜ
若い時、年金を考えなかったのか。それと加算停止は違憲と訴える
訴訟費用はどうして捻出しているのかー。

貧困国の臓器売買と売血

2007-02-17 06:55:42 | Weblog
先日NHKテレビで生活苦から腎臓を売ったフィリピンの男性の
やせ細った姿を紹介していた。一体25万円で売って生活費に当
てたが、2年間で使い果たしてしまったという。公式にはフィリピン
でも臓器売買は禁止されているが、ここ数年ヤミでの移植が増え、
2005年には前年比40%増の630件もあった。ついにフィリピン
政府はさきごろ”あなたの臓器を売らないで!”という声明を出し
た。

敗戦直後の1950年代、わが国は貧しく1人当たりの実質国民所
得はフィリピンより低く、800米㌦を割っていた。その頃、日本の貧
困層では売血が横行していた。僕のまわりでも血を売って生活費し
ていた学友がいた。朝鮮戦争で保存血液の需要が多かった頃であ
る。しかし、輸血による肝炎が頻発し、売血は1969年やっと禁止に
なった。

フィリピンだけでなくインド、中南米の貧困国でも臓器販売は半ば公
に行われていると聞く。わが国でも昨年9月宇和島の病院で知合い
の女性に現金30万円と乗用車との引き換えに肝臓を譲り受け手術
したケースがあった。人体を物体として売買することが当たり前化し
始めてきた。恐ろしいことだ。

臓器の移植で1人の人間の生命が助かるのは十分承知している。ま
たその移植待ちの患者が沢山おられる事も承知している。しかし、貧
富の拡大で、貧しい命が移植によって失われることがあれば、倫理的
に大きな問題である。チェック体制の強化が望ましい。

金正日の誕生日に怒り

2007-02-16 05:56:52 | Weblog
きょうは僕の誕生日である。年をとると誕生日を迎えても特別感慨もな
いし、喜びもない。あの世への一里塚である。ただ一つここ数年、怒り
を感ずるのは、北朝鮮の金正日が同じ誕生日であって、のうのうとテレ
ビの画面に映しだされることだ。

これを見た拉致被害者は、どんなお気持ちであろうかー。横田めぐみさん
のご両親は、ほぼ僕らと同世代で、めぐみさんと同年代の娘が僕らにもあ
る。しかも僕らも横田夫妻と同じく転勤族で当時、なれない土地に勤務し
ていた。その境遇まで似ていて、夫妻のお気持ちは十分なほど解る。

NHKやマスコミがまだ「朝鮮人民共和国」と、わざわざ断って呼んでいた
ころ、、僕は初めて横田夫妻のお住まいの近くで開かれた支援の会に出席
した。知人から会への出席を誘われた時、僕は変な話だが”大丈夫かな”
と思った。それは治安上のことで会場へ総連の連中が押しかけてくるので
はないかという心配だった。そんな程度の認識だった。

あれから十数年、いぜん問題は解決されていない。国家犯罪なのは明らか
なのに、その総統が"解決済み”などといって、自分の誕生日にシャーシャ
ーとお立ち台に立つ神経が解らない。子供とみられる男が高級アクセサリ
を身に着けてマカオや北京の一流ホテルを徘徊する。それも世界中が六か
国会議の帰趨に注目している前夜にである。金正日は65歳、孫が数人いて
もおかしくない年代である。しかし、孫の話は聞いたことがない。金ダイナス
ティの二代限りでの消滅をせつに望む。



 

ボケ防止のブログ この一年

2007-02-15 07:13:43 | Weblog
きょうでこのブログを毎日書き出してから一年になる。正直いって毎
日書くのは、題材の選定に困り苦痛なこともある。だけども、ぴった
り題材がきまり、それにあった文章が書けた時は、かって文章を糧
にしていた者にとって、こんなに嬉しいことはない。

僕の周りの友人、知人にはPCに無縁な者が多い、PCはおろかワー
プロ、なかにはFAXの操作さえ解らない。無理もない。僕らが55歳で
定年を迎えた昭和60年前後には、こういった電子製品はなかったし
あってもそれほど普及していなかった。

娘から"ボケ防止にブログをやったら”と、勧められたのは昨年一月だ
ったが、思わぬ失敗から一本ブログを書いただけでPC本体が壊れて
しまった。それだけ僕らの世代はPCの取扱に不慣れなのだ。

しかし、ブログを書き出すと面白い。それに僕ら世代の変な"義務感”
も加わって365日、外国旅行へ出かけた10日間を除き書いた。まず、
ニュース性のあるテーマを選定、それに自分の体験を付加、インターネ
ットの検索や、百科事典で事実を確かめる。テーマの選択のために当
然日常のニュースには敏感にならざるをえない。

もう一つの効能はブログを通じて若い世代との接触ができ、適切なコメ
ントを頂戴できることだ。時間をもてあまし、ボケ防止に悩んでいる方が
いたら、是非ブログ書きをお勧めしたい。毎日のアクセス数もゲーム感
覚で楽しめる。

嘆かわしい わが”選良”のガラの悪さ。

2007-02-14 06:10:25 | Weblog
きのう衆議院予算委員会の国会中継をNHKテレビでみた。よほど
閑な人間か特別政治に関心があるもの以外、こんな番組はみない
と思う。全部通してみたわけではないが、その感想と印象。

政治家先生たちは、こんなにガラが悪かったのだろうかー。与党も
野党も発言者の声を掻き消すような野次をとばす。それもキタナイ
ガラの悪い声でで。彼らは僕らが選んだ”選良”なのだが、これで
は”選悪”である。せっかく国会内にカメラが入っているのだから与
野党協議の上で、マナーの悪い議員の顔をクローズアップしたらど
うだろうかー。

野党第一党、民主党代表代理の質問は野党ずれしてしまって沈鬱、
あのしかめっ面がいやらしい。勉強不足というか現状認識の甘い質
問もあった。夕張市の破産問題を追及した議員は北海道の依存体
質そのまま。この人が道の首長に当選すれば第二、第三の夕張が
出てくるかもしれない。

国民新党の質問には、あまり野次が飛ばなかった。政治家にも多
少先輩議員を立てる仁義があるのか、それとも質問に迫真力があ
ったのかー。

相変わらず、安倍総理には"美しい国”的美辞麗句がおおい。行動
もスタンドプレイと見られるものがある。東京で自殺者を救うため殉
職した警察官があったが、総理はこの方のお名前を間違っていって
いた。弔意を示されるのなら、きちんと正しい名前で呼んで頂きたい。
どうも周囲のお付が無神経な人のようだ。


公立一貫校は”教育格差”の拡大だけ

2007-02-13 06:16:47 | Weblog
今週は孫(中三男)の"受験ウイーク”である。毎日のように高校入
試へ出かける。週末には結果が出るが、何とか希望校に合格してく
れればと祈っている。30数年前、息子の同じ受験の時よりはその
思いは強い。

新聞によると、首都圏の小六で国立,私立、都立(公立)中高一貫
校を受験する子供は5人から6人に1人、場所によっては4人に1人
に上っている、という。理由は"ゆとり教育”によって区立(公立)中学
へ行っても高校入試で苦労し、また大學入試で苦労しなければなら
ないからだという。わが家の孫もご他聞にもれず、早くから塾通いを
させた。

僕の意見は公立の一貫校には反対である。簡単な理由である。義務
教育は学校、家庭、地域社会の三位一体の相乗効果による、と信じて
いるからだ。いま、問題の”いじめ”も”少年犯罪”も、この三者の連携が
あれば防止できる。昔は地域の人々と学校、家庭がもっと親密な関係
にあった。

家の近隣にも昨年、都立の中等高等学校(中高一貫校)が開校した。入
試倍率は非常に高く、早くも有名大学入試のための"名門校”化してきた。
昨年は学校のある地区からはほとんど合格者が出なかった。地元にいて
も学校の存在すら知る人が少なく地域社会と遊離してしまっている。かっ
ての師範付属校は教育実験校としての存在価値があった。しかし、今の一
貫校は何のためにあるのかー。塾を儲けさせ、"教育格差"を拡大させる
だけだ。

”雪はどこ昭和は遠くなりにけり”

2007-02-12 06:14:13 | Weblog
明治の俳人、中村草田男の代表句に”降る雪や明治は遠くなりにけり”
がある。東京の都心では今冬まだ雪を見ない。初雪の日の記録が47年
ぶりに破られたそうだ。昨日、今日のこの暖かさは、昭和の大雪を知って
いる僕らには"雪はどこ昭和は遠くなりにけり”-である。

草田男の句から僕は明治は雪の多かった時代だと勝手に想像していた。
雪道、日本髪の女性、日の丸、犬ーこんな明治時代の絵を見たような気
がする。ところが、気象庁のデーターだと東京の大雪ベストテンで明治
時代は1位の46㎝(明治15年2月8日)と8位の31㎝(明治20年1月18日)
だけであった。勿論、大雪と降雪の頻度とは違うかもしれないが意外な
気がした。

大雪は昭和になってからが圧倒的に多い。2位(38・1㎝)3位(35・5㎝)
4位(33・0㎝)5位(31・5㎝)7位(30・6㎝)8位(30・0㎝)-と6回も記録
している。それなのに昭和の雪には、草田男の句のようなロマンがない。
それはやはり、昭和が激動の時代だったからであろう。

3位の大雪は昭和11年2月24日、2・26事件の2日前、2位は昭和20年2
月22日で東京大空襲の半月前であった。僕はこの二つの大雪を覚えている。
とくに2位の大雪は勤労動員で軍事工場へ勤務していた時だ。ひもじい腹を
抱えて駅から工場まで雪中行進をした。とてもロマンなど感じない時代であっ
た。


「紀元節」 不敬罪

2007-02-11 06:07:23 | Weblog
「天皇家の亀裂 雅子妃の孤独」-と昨日の新聞が大きな活字で
ある月刊誌の広告を出していた。内容を読んだわけではないが、昔
なら”不敬罪”、即刻発売停止となっただろう。

きょう11日は建国記念の日、昔の「紀元節」である。昭和13年早生
まれ以前の日本人は、みな学校の式で「紀元節」の歌を合唱、紅白
の饅頭を貰った想い出がある。
        ▽ 雲にそびゆる高千穂の
          高根おろしに草も木も
          なびき伏しけん大御世の
          仰ぐ今日こそ楽しけれ (作詞 高崎正風 
                         作曲 伊沢修二)
「紀元節」は神話に基づくわが国の建国を祝う国の祭日だった。ニニミノ
ミコトが高天原から高千穂に降臨、その曾孫,神武天皇が初代の天皇と
して即位した日ーであった。

戦前、天皇はこの神話により"生き神様”であった。明治生まれの亡父は
新聞に皇室関係の写真が載ると、それを切り抜いて神棚に上げ、月に2回
1日と15日、手をあわせて拝んだ。僕らは学校で「ジンム、スイゼイ、アン
ネイ、イトク、コウショウ,コウレイ・・・」と暗記させられた。
       
敗戦で”生き神様”は"人間天皇”を宣言、神話の世界も日本人から忘れ
られ、天皇は日本国の象徴となった。雑誌が”天皇家の亀裂”と書いても
昔のように不敬罪で訴えられない。しかし、どうだろうかー。国家の象徴
であるる天皇ご一家のプライバシーである。”生き神"時代を知っている僕
はいくら言論の自由な時代とはゆえマスコミは良識をもち自制すべきだと
思うのだがー。

WHOへの検体拒否 インドネシアの身勝手

2007-02-10 06:14:26 | Weblog
WHO(世界保健機構)は4月下旬、鳥インフルエンザが変異して人に
感染するケースを想定、東南アジアで大演習をする。この矢先63人
と世界一鳥インフルエンザで死者を出しているインドネシアが自国の
ウイルス検体をWHOに提供するのを拒否した。そして米国の大手製
薬会社バクスターと覚書を交わし、今後は同社との提携で国内でワ
クチン製造を開始するという。

WHOへの検体拒否についてのインドネシアの言い分は、WHOが無償
でインドネシアから検体を譲り受けているにもかかわらず、製薬会社
がこの検体でワクチンを製造、インドネシアへ売りつけている。これは
インドネシア人の不幸の犠牲の下に利益を上げているーというものだ。

鳥インフルエンザは今、世界的に流行、わが国でも宮崎、岡山でインド
ネシアと同じH5N1型が検出されている。その感染ルートもまだ確定され
ておらず、完全な防止策も出来ていない。世界の国々はWHOを中心に
互いに連携をとりながら情報を交換している。

今回インドネシアのとった措置は身勝手である。この国は山火事によ
る”煙害輸出国”として毎年、近隣諸国から非難されているが、一方で
はここ数年数重なる地震津波などの自然災害で国際社会から多大な
援助を受けている。今回も自国の利害だけで、国際機関WHOへの検体
拒否は医学の進歩をはばむ暴挙だ。この裏にインドネシアの悪習であ
る汚職、癒着、縁故主義がなければよいガー。



バレンタインデー  「チョコレートと兵隊」

2007-02-09 06:45:29 | Weblog
バレンタインデーは僕ら年寄りには無縁だ。老妻からもまづチョコ
レートは期待できない。また貰っても有難くない。チョコレートのよ
うな高カロリーの食品はいっぺんに血糖値を上げ血圧を高くする。
だから届かなくても寂しくはない。世の中は良く出来たものだ。

僕らの世代はバレンタインデーにことさら想いでもない。この習慣
は昭和35年頃から始まったそうだが、その頃には、すでに結婚し
子供も二人いた。それに勤めていた職場には幸い女性は一人も
いなかった。

戦前「チョコレートと兵隊」という映画があった。昭和13年11月の
東宝作品。当時、火野葦平の名作「麦と兵隊」にあやかって「○○
と兵隊」と名のついた作品が流行したが、これもその一つ。あまり
ヒットしなかったようだが、まだ子供だったのに何故か記憶にある。
映画の筋は中国大陸の戦地にいた兵隊の元に子供から慰問袋が
届いた。その中に板チョコが入っていた。兵隊は板チョコの包紙の
プロモーション用の点数を集めて家族に送り届けた。子供は点数を
製菓会社に郵送し板チョコをゲットしたーという他愛のないもの。

多分、製菓会社がこの話を”軍国美談”にして映画化したものであろ
う。日中事変の初期にはチョコレートも自由に買えた。が、やがて配給
制になり、ついには店頭から消えた。”勝つまでは欲しがりません”と
銃後の子供は我慢した。僕がチョコレートと再会したのは敗戦後の昭
和21年進駐軍から貰ったハーシーの板チョコだった。