「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        「赤福」のないお伊勢参り

2007-10-22 05:03:59 | Weblog
伊勢名物の「赤福」が無期限営業停止となった。「赤福」と「伊勢うどん」を
食べに行くのが、お伊勢参りの観光客の楽しみの一つだったのに、残念至
極。僕ら老夫婦も来月23日の新嘗祭(にいなめさい)にお参りし、帰りに"出
来立て"の「赤福」を孫たちのお土産にと思っていたのだが・・・・。

小ブログは10月15日、すでに「赤福」問題を一度書いた。そのときは、どちら
かといえば、老舗「赤福」に同情的だったが、その後の三重県の調査でがっ
くりきた。売れ残りの餡や餅を捨てづに分離して再利用していた。消費者を
あざむくにもほどがある。「赤心慶福」の社是や看板が泣く。

かって「赤福」は、良心的な商売を宣伝するために戦争中は材料難から製造
を中止していた、とHPに書いていた。製造が中止されていたのは事実だが、
あの時代は、政府の統制令で「赤福」だけでなく、軍隊用以外はどこの菓子屋
さんも材料が入手出来なかったのだ。昭和17年10月、僕らが東京から伊勢へ
参宮旅行へ行ったときは、土産店は売るものがなく開店休業だった。売ってい
たのは、南方からのまづい乾燥バナナとニッキだけだった。

老夫婦二人はいま、伊勢へ行ったら何を食べ、なにを買おうか思案中だ。老
妻にとっては、生まれてはじめてのお伊勢参りだ。「赤福」の餅を再利用した
煎餅が名物だそうだが、イメージが悪くて買う気がしない。戦前、東京の修学
旅行の土産の定番は、御幣の形をした生姜糖だった。ノスタルジアから僕は
これを買いたいが、今の子供達は賢い。虫歯になるような菓子は食べない。
さて、どうしたらよいものか。

         接待ゴルフとマナーの悪さ

2007-10-21 05:12:22 | Weblog
防衛省の守屋武昌前事務次官(63)が出入りの業者からなんと100回以上も
ゴルフの接待を受けていた。それも時には家族ぐるみ、多いときには月4回とい
うから毎週のように接待されていた勘定だ。防衛省には自衛隊倫理規定があ
り、利害関係者とのゴルフは禁じられている。ゴルフ場の受付では実名を使わ
ず、住所も架空の住所を使用していたというから本人は、やましいことを十分
承知の上でのことだ。公務員と業者とのゴルフ癒着は、今に始まったことでは
ないが、中央官庁の次官が週一で接待されていたのは前代未聞、ギネスものだ。

僕も若い時、接待する側でゴルフをしたことはあるが、接待されたことはない。
本来、不器用で運動神経も鈍いから、僕のゴルフはいつまでも上達しない。コ
ンペではいつもブービー・メーカーであった。たいてい、どのコンペにも初心者
がいて大たたきしてくれるお蔭だ。そんなゴルファーがゴルフを語る資格はない
のだが、人にたかってプレイするゴルファーは大概マナーが悪い。

自分でカネを出していないから、プレーが粗い。一緒に回っているプレーやおろ
か前後への配慮がない。後ろが詰まっていても、いつまでもグリーンをあけない。
平気で前の組がプレーしているのに打ち込んできたりする。二度と一緒にラウンド
したくない。守屋前次官とは幸いプレイしたことはないが、僕の”豊富”な経験
(月6,7回)からいって、多分彼もそうだと思う。

ゴルフもスポーツである。同じスポーツの亀田大毅君は、ルール反則を詫びて
頭をそって坊主頭になった。”インド洋の給油”問題で、国会が揺れている時、
本来は直接関係のないはずの、この問題で、野党が揺さぶりをかけてくるのは必
至だ。国会を空転させるその責任は大きい。大毅君同様、頭をまるめたらどうか。
もちろん、それでは済まされないがー。





         海賊退治の巡視艇

2007-10-20 05:20:00 | Weblog
マラッカ海峡の海賊対策の巡視艇が完成し、先ごろ東京湾で試乗会があった
そうで、その写真を新聞で見た。この巡視艇は政府のODA(政府開発援助)で
インドネシア政府に供与されるもので、11月に先方の海事警察局に引き渡さ
れる予定との事。

ご存知マラッカ海峡はマレー半島とスマトラ島との間の海峡で、わが国が中東
からの石油を運ぶ動脈になっているが、ここ10年ぐらい海域に海賊が出没、2
年前には、日本籍の船も襲われて乗組員が拉致された事件もあった。僕もこの
海峡を1966年と‘99年の二回通ったが、沿岸には小島が点在し、海賊の棲み
家には適しているように見えた。

日本のODAの供与額の累計では、インドネシアがダントツに多い。しかし、その
事は日本人にもインドネシア人にも知られていない。知られていないばかりか、
インドネシアの政治家の中には、日本からの援助のあり方にクレームをつけて
きている。もう一つの問題点は、インドネシア人は施設や機器のメンテが得意で
ないようで、短期間で使えなくしてしまう。

賠償時代から、日本の対インドネシア援助は、インドネシアの希望にそって実施
してきているが、せっかく、最新の器材を供与しても、すぐ使用不能になる。ジャカ
ルタ市内に賠償引当てで建てたホテル・インドネシアはすでに営業停止。それより
前に建てられ、モデルとされた東京のホテルは、依然セレブとして盛業中だ。

巡視艇供与に反対ではないが、相手側がそれほど感謝しないなら、これまで通り
海上保安庁の中古品でよい。すぐに壊してしまい、使用不能になると海賊に売り
渡すかもしれない。






      "遺棄兵器”事業と元公安調査庁長官

2007-10-19 06:20:43 | Weblog
東京地検特捜部が伏魔殿といわれる中国における旧日本軍遺棄化学兵器処理事業
にメスを入れ始めた。すでにその第一弾として大手建設コンサルタント会社「パシフィッ
ク・コンサルタンツ・インターナショナル」(PCI)の不正経理について関係先を捜索し幹
部からの事情調査を進めている。

”人の噂も75日"-この夏、緒方重威・元公安調査庁長官が逮捕された事件は遠い過
去のように忘れかけていたが、この男も「遺棄兵器」事業参入に特別な関心を持ち逮捕
される寸前まで一緒に逮捕された不動産屋と一緒に何回も現地へ出かけている。この
男は金儲けともなれば、国を売ってもなんとも思わない人物に僕には思える。

「遺棄兵器」問題は中国に対する第二のODA(政府開発援助)といわれ平成11年から18
年度までに約471億円が投入されている。そして事実上事業の最終年度に当たる今年
度は212億円が予定されている。政府(内閣室)は、この事業をPCI関連の「遺棄化学兵
器処理機構」にまるごと委託し、その実態についてはよくわかっていない。もともとこの問
題は昭和47年の日中共同宣言で中国側が戦争賠償請求を放棄しているのだから”やら
づもがな”なのだが、河野洋平外相当時の失政で、いまだに無駄な国民の血税を払い続
けている。

元公安調査庁長官とPCIとの関係はわからないが、どかで接点があるに違いない。まるで
ハエエナのように、この連中はダーテイな仕事に群がってくる。もとはとといえば、おかしな
歴史感覚の政治家の責任なのだがー。徹底的にこの売国奴どもを追及してもらいたい。

                老人とバス

2007-10-18 04:44:20 | Weblog
東京都では都内の路線バス、都電、都営地下鉄が自由に乗れる「シルバーパス」
を70歳以上の老人に発行している。年間1千円払えば、このパスが貰える。都内を
走るバスは”non step"(non stopではない)-つまり階段なしに楽にのれるので老
人には便利で利用者は多く、いつも混んでいる。

一昨日都心のホテルで93歳の先輩の話を聞くため、近くのバス停から都バスに乗
った。以下はその見聞。

僕の後に腰の曲がった老人が乗ってきたが、なぜか「シルバーパス」ではなく、私
鉄パスしか持っていない。運転手がそれを見とがめ、説明している。耳が遠いため
老人は理解できない。僕は一瞬”乗せてらればよいのに”と思ったが、やはり規則
は規則である。と、見ると後続の私鉄バスが後ろにきた。運転手は親切に老人を
誘導して後ろのバスに乗せた。

スーパー前のバス停から、大きな荷物を抱えた年配の女性が、若い女性に付き添
われて乗ってきた。僕は年配の連れと思ったらスーパーの店員だった。眼も悪い女
性に気遣いバスにまでついてきてくれたのだ。女店員と運転手の会話から、僕は女
性客の降りる停留所を知っていたが、そのバス停が来ても、だれも手を貸してやろ
うとしない。同じ老人が老人の手助けするのは、若い人へのあてつけみたいだが、
彼女の手をとり降ろしてやった。

10月16日の英字紙「ジャパン・タイムス」の”view from street"という投書欄に17
歳のドイツの少年が”日本人の若者は何故車内で老人に席を譲らないのか解らな
い。不思議だ”と投書していた。この現象は僕ら老人にも解らない。急に日本人全体
が性悪、薄情になったとは思えない。一昨日の僕の体験からも性善、親切な若者も
いる。結局、たどりついた僕の結論は、最近の日本人はシャイな人間が多く、老人に
親切を!と心には思いながらも行動に移せないのではないかーということだ。
どうだろうかー。



       亀田三兄弟と ピストン堀口三兄弟  

2007-10-17 05:18:14 | Weblog
WBC(世界ボクシング評議会)の先日のフライ級タイトルマッチは、見るに耐
えなかったようだ。わが家は亀田一家の暴言、試合マナーが大嫌いだから、
最初からTBSにチャンネルを回さなかった。案の定、試合は大毅選手(次男)
が反則の限りをつくし、JBC(日本ボクシング・コミッション)から一年間の出場
停止処分、セカンドをつとめた史郎(父親)も無期限の資格停止処分を受けた。
当然の処分だ。

亀田一家(興毅、大毅、和毅三兄弟と父親史朗)の試合は、以前からダーティ
で、問題視されていたが、ボクシング界の低迷の中、JBCはこれを大目に見て、
また放送権を持つTBSは、視聴率至上主義からか、一家をタレントのように仕
立てきた。

日本のボクシングは、どちらかといえばクリーンなイメージがあった。オールド
ファンなら三兄弟といえば、戦中から終戦直後にかけて活躍したピストン堀口
三兄弟を想い出す。長兄の恒男は、元東洋フェザー級チャンピオンで、ピストン
のように繰り出すパンチから”ピストン”の異名を持ち、戦歴は176戦138勝(82
KO)24敗14分。この最多試合、最多勝、最多KOの日本記録は今でも破られて
いない。次男の基冶は無冠だったが、三男の宏も元日本フェザー級チャンピオ
ンの人気選手だった。

彼ら三兄弟の活躍した時代は戦争を挟んだ時代だったため、世界の王座に挑
戦できなかったが、実力は世界チャンピオン級、人気も抜群だった。それに彼ら
は試合を通じて社会奉仕もしていた。昭和21年2月、ピストン堀口は日比谷公会
堂での自分の引退試合の純益を戦災復興資金として東京都に寄付している。次
男の基冶は僕の中学の先輩だが、彼も焼失した母校で特別試合を行い、売上金
を全部母校に寄付している。

時代が違うといえばそれまでだが、三兄弟でも随分違うものだ。


    "世襲議員”の政治家ずれしたずれた質問

2007-10-16 05:44:12 | Weblog
先日衆議院の「決算行政監視委員会」という庶民にはちょっと解りにくい委員
会で、おなじみの田中真紀子議員が福田康夫総理に”かみついて”いた。総理
の官房長官時代の北朝鮮拉致問題にからむ当時の発言の追及であった。マス
コミは"第二の角福戦争"など、おかしく言っていたが、テレビで”真紀子節”を
見聞きして、政治家ずれしたずれた、この人のずれた質問にガックリした。

”世襲議員”がよく取りざたされる。調べてみると確かに多い。福田内閣にも総理
ご本人を入れて8人もいる。列挙してみよう。(敬称略)
(1)総理 福田康夫(2)法務 鳩山邦夫(3)外務 高村正彦(4)文部科学 渡海
紀三朗(5)防衛 石破茂(6)官房長官 町村信孝(7)沖縄・北方・科学技術 岸
田文雄(8)金融行革 渡邊喜美 18閣僚のうち8人が国会議員の"世襲”、このほ
か、財務 額賀福四郎と経済産業 甘利明二閣僚も地方議員からの"世襲”であ
る。と、いっても"世襲”議員は福田内閣の特許ではない。議員全体の"世襲”率
が高いのだから小沢内閣になったとしても変わりがない。

問題は"世襲"議員が”門前の小僧”化して、変な政治家ずれしていることだ。田
中真紀子議員の福田総理への質問は、僕にはそうみえた。問題山積のこの時期
に私怨への仕返しとも誤解される質問は頂けない。過去の問題を引っ張り出して
個人攻撃しても始まらない。きのうの参議院決算委員会でも”世襲"議員と”世襲”
大臣との間に変な応答があり見苦しかった。

      神嘗祭(かんなめさい)と「赤福」

2007-10-15 05:20:57 | Weblog
伊勢神宮では17日の神嘗祭(かんなめさい)を前に今晩から外宮で初穂曳の
行事が始まるそうだ。神嘗祭は今年獲れた新穀を天照大神に供える行事で、
戦前は宮中の行事として、この日は国民も休日に”浴した”。だから、ある程
度から上の年齢の人は”かんなめ”とルビがなくても読める

内宮、外宮のある伊勢では神嘗祭を間に25日までは、いろんな行事がめじろ
押しで、地元では、この期間を"神宮の正月”とも呼ぶと聞く。その伊勢で最大
の老舗「赤福」がJAS(日本農林規格)法違反容疑で農水省で行政指導を受け
た。製品を冷凍保存していたが、製造年月日を、その解凍日にして販売してい
たのだという。"神宮の正月”を前に企業は販売を停止され大痛手だし、名物
が店頭から消えて観光客も戸惑っている。

物事のわからない譬えに”日向と伊勢”というのがあるそうだ。江戸の人間には
よけい、こんどの「赤福」騒動はわからない。会社が冷凍にして製品を売ってい
たのは、数十年来の慣習で、地元の保健所も知っていたはずである。もとより
消費者にとっては、赤福の方法は許せないが、違法なら違法で、どこが違法な
のかもっと早く知らせるべきだった、と僕は思う。

週刊誌的な情報では、今回の「赤福」への外部告発は、赤福の先代の経営者が
JR参宮線を廃止して、駅舎の跡に1,000台収容可能な駐車場をつくる計画に対す
る反対運動にからんでいるともいう。赤福関連の煎餅屋が赤福の残物を使用して
いる、との噂も地元にはあるそうだ。「赤福」の名前は"赤心慶福"ーつまり赤心
(誠)をつくして、他人の心を喜ばす、ことに由来しているそうだ。初心にかえって
よろしくお願いします。





          ”汽笛一声"  125年

2007-10-14 04:19:03 | Weblog
きょうは「鉄道の日」である。旧暦明治5年9月12日(新暦1872年10月
14日)わが国初の鉄道が東京(汐留)と横浜(桜木町)との間に開通した
記念日である。125年前のことだ。「鉄道の日」より「鉄道記念日」のほうが
僕らにはなじみ深いが「鉄道記念日」というと、旧国鉄くさいという理由から
改名になったのだという。そのかっての「鉄道記念日」の名前を聞くと、僕は
「鉄道唱歌」を想い出す。
        ▽ 鉄道唱歌(作詞大和田建樹 作曲多梅稚 上眞行)
          汽笛一声新橋をはや我が汽車は離れたり
          愛宕の山に入り残る月を旅路の友として
明治32年発表の「鉄道唱歌」の東海道編第1集の出だしの一節である。昭
和一桁生れの僕でも、この歌をしっている。

昭和に入ってから「新鉄道唱歌」が二つ生まれている。一つはNHKの選んだ
「新鉄道唱歌」。  
        ▽ 新鉄道唱歌(作詞土岐善磨 作曲堀内敬三)
          帝都をあとに颯爽と東海道は特急の流線一路
          富士、さくら、つばめの影もうららかに
「富士」「さくら」「つばめ」は歌が作られた昭和12年当時、東京ー神戸間を走
っていた特急列車の名前である。

もう一つの「新鉄道唱歌」は昭和4年に鉄道省(当時)が選定したものだが、僕
は歌った記憶はない。しかし、歌詞(作詞者不明)が当時の東京ー横浜間の風
景をよく反映している。少し長いが紹介する。
        ▽ 新鉄道唱歌
          咲きたつ花の東京市名残残してゆく汽車の
          左の森は浜離宮右なる塔は愛宕山

          汐干魚(はぜ)つり春秋に慰み多き品川の
          台場は海に六つ見えて海苔とり柴に風きよし

          松原つづく鈴が森遠くに見つつ大森を
          すぐれば池上本門寺日蓮宗の大本山

          多摩川下流の六郷を渡ればやがて川崎の
          大師参りの乗り降り場梨の産地はここと聞く

          神奈川台の景色よく横浜港に船多し
          下りて見よや貿易のにぎわう日々の有難さ

この歌の区間、今、新幹線で行けば僅かに16分である。お台場は埋められ
僅かに一つだけ象徴的に残っているだけ。鈴が森の松原など消え、川崎大師
の船着場などない。横浜は「みなと未来」の高層ビル群に変容した。         

        在留邦人百万人時代の危険

2007-10-13 04:59:39 | Weblog
3か月以上海外に長期滞在する邦人数が百万人を越えている。北九州市に匹敵
する日本人が海外で生活しているわけだ。だから事故も多いのかもしれない。先
日はミャンマーでフリーカメラマンが取材中、銃弾に倒れ、こんどはイランの辺境
を旅行していた大学生が麻薬取引グループによって拉致された。好んで事故にあ
うのではないが、海外生活には周到な注意が必要だ。

百万人の大半は海外で日本の企業に勤務する人やその家族で、米国に41万人、
中国に13万人ついでタイ、シンガポールなどである。このほかオーストラリア、マレー
シアなどで定年後のセカンドライフを楽しんでいる家族も増えている。それ以外に
も今回、災難にあった大学生のように世界旅行などをエンジョイしている人もいる。

僕の知人の一人も目下、世界旅行中だ。5月に日本を出発、タイ、インドなどを
経て欧州各地を歴訪、南米大陸に渡って、世界最南端の地をきわめたあと、現在
ボリビアのサンタクルスに滞在している。ブログの自己紹介によると、会社勤務の
あと退職、起業に向かって充電中とある。学生時代にバックパックで中国、欧州へ
陸路旅行したこともある。旅行先からの彼のブログは文章も写真もすばらしい。

しかし、僕は彼の旅行の安否が心配だ。旅のベテランで周到な準備をしている彼
のことだから問題はないのだが、旅先だから何が起きるか判らない。新しい旅先
から彼のブログが入るとホッとする。自分も若い時には、仕事で相当無茶をやった
のに。馬齢を重ねた結果なのだろう。しかし、念には念を入れたほうがよい。
旅行の初心者は外務省の海外安全HPぐらい目を通すべきだ。