「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

ものづくりの弛み緩み KYBの検査改竄

2018-10-21 05:07:29 | 2012・1・1
油圧機器メーカーのKYBが免震、制震装置の検査データを改竄していたことが発覚、関わっていた987施設のうち公的な建物70の名前を公表した。免震,制震装置は、文字通り地震の強い揺れを免じたり制御する、言ってみれば生命に関係あるものだ。素人でも、なぜ、こんなバカなことをやるのか、驚くばかりだ。

KYBと聞いても一瞬判らなかっが、子会社のヤナセ.システム.マシナリも関係していると聞き、あの自動車のショック.アブゾーバー(ダンパー)製作大手の萱場製作所だと知った。萱場なら、30年ほど前、JICA(国際協力機構)の技術研修員を連れて岐阜の工場を見学したことがあった。その時の説明で、萱場は大正10年、21歳の青年だった萱場資郎氏が「萱場発明研究所」として創立、戦争中はゼロ戦の車輪や航空母艦の着陸装置も製作していたことも知った。

その萱場が2015年、KYBと社名を変更したことも、ダンパーだけでなく住宅関係の免震部門にまで手を伸ばしていたのは寡聞にして知らなかった。KYBのHPによると、今やKYBは世界数十か所に海外拠点を置き、KYBのブランド名は国際的に名が通っている。それにしても、KYBだけではない。神戸製鋼,ニッサン、三菱マテリアルなどなど不祥事が多すぎる。”ものづくり日本”の名前のブランドはどうしたのか。どこか国全体に緩み、弛みがなければよいのだが。30年前は胸を張って、外国からの研修員を工場に案内したが、データ^の改竄方法など研修にはならない。

年内の日ロ平和条約締結「歯舞色丹+アルファ―」

2018-10-20 05:32:34 | 2012・1・1
産経新聞(10月19日付首都圏版5面)の"時の人”から話を聞く「単刀直言」欄に鈴木宗男氏(新党大地代表)が登場していた。鈴木氏はかって北海道開発長官時代、北方領土返還問題をめぐる、いわゆる“ムネオハウス”事件で政治家を失脚した人物である。加齢とともにニュース感覚が鈍くなってきたのか、一瞬なぜ、この時期に鈴木氏なのかわからなかったが、10月19日は62年前、モスクワで当時の鳩山一郎首相とブレジネフ首相が「日ソ共同宣言」に署名した日であった。

のっけから自分事で始まって恐縮だが、昭和31年10月、僕は新聞社に勤務していて社会部から外信部に異動してきた。それだけに「日ソ共同宣言」は前後に起きた世界史を変えた「ハンガリー事件」「スエズ戦争」と共に特に僕の記憶にある。あれから62年経ったのだが、日ソ(ロシア)間の平和条約はいまだに締結されていないし、宣言に盛られた歯舞群島、色丹島の引き渡しはない。

ロシアのプーチン首相は9月ウラジオストックで安倍晋三総理と会ったとき”前提条件なしに年内に平和条約に締結したい”と明言している。安倍首相も何度ともなく”自分たちの世代で問題を解決したい”と述べており、年内にプーチン首相との首脳会談も予定されている。しかし、日本のマスメデイアを僕が見る限り、今年もあと2か月なのに国内の世論は、差し迫ったものとらえていな。

鈴木宗男氏は「単刀直言」のインタービューの中で、問題解決は4島一括返還ではなく、歯舞群島.色丹島の2島の返還と+アルファ―だとの持論を展開している。自分の交渉体験からものだが、安倍総理に対しても、平和条約の早期締結へエールを送っている。おりしもロシアは国後.択捉島水域でミサイル発射を通告してきた。歯舞,色丹ではない。これをプーチンの平和条約の年内解決への意欲を示す注意勧告とみるのは考えすぎだろうか。

済州島の難民申請のないイエメンからの難民

2018-10-19 05:31:05 | 2012・1・1
韓国のリゾート地、済州島へイエメンからの難民592人が押し掛け、問題になっている(小ブログ7月3日でも紹介)したが、うち339人に対して韓国政府は人道的配慮から、難民申請がないにも関わらず難民として,滞在を許可したという。滞在が許されたのは、妊婦や未成年者だそうだが、残りの253人について、現地からの報道は触れていないが、国外退去を命じたとすれば、家族離反で、果たして人道的配慮といえるだろうか。

済州島は博多から100キロ、対馬から洋上50キロにある観光地である。日本統治時代には大阪との間に定期航路もあり、在日朝鮮人に出身者が多い。この済州島は今、”韓国のハワイ”として国際的にも売り出し中で、ビザなしでも滞在できる。これに目をつけてイエメンから今年になって大挙、マレーシア経由難民が押しかけてきた。

イエメンはアラビア半島の先端にある世界の最貧国で政争が絶えない。僕も半世紀以上前の1962年10月、クーデター後のイエメンを取材したが、現在も2015年から始まった、隣国サウジアラビアが支援するイスラム教のスン二派と商売上関係の深いイランの押すシーア派との間の勢力争いが泥沼の内戦状態になり、難を避けて5万人が難民となって海外に流れている。

洋上とはいえ50キロの指呼の距離の隣国で起きている難民騒ぎである。観光ブームで訪日客が増え、そのまま不法に滞在する外国人も出てきたようである。人出不足から、大幅に外国人労働者を受け入れる法改正の動きがあるが、済州島のイエメン人難民騒ぎは一つの警鐘かも知れない。






平成の平和の御代ご報告に靖国神社ご親拝を

2018-10-18 07:13:53 | 2012・1・1
靖国神社の秋の例大祭が昨日から20日まで開催中である。テレビのニュースで、欧州諸国歴訪中の安倍晋三総理が「真榊」を奉納したと伝えてていたが、今朝のわが家の新聞は一行も報じていない。「真榊」奉納では”近隣諸国”も文句を言わないし、ニュース.バリューがないのだろうか。戦前戦中、靖国神社の大祭といえば、天皇陛下がご親拝し、九段の坂は遺族でいっぱい、都内の学校は休みで境内は参拝客でにぎわった。

戦後も昭和天皇は1945年から69年まで7回靖国神社を親拝されているが、75年(昭和50年)11月20日を最後に親拝していない。理由は平成8年明らかにされた富田朝彦宮内庁長官のメモによると、天皇陛下がA級戦犯の合祀に不服、反対だったからだとされている。メモは日本経済新聞の特ダネの形で公表されたが、その信憑性につぃて疑問賜されており、僕もその一人だ。

小ブログ(2006年7月21日)は当時の富田朝彦、後藤田正晴(官房長官)中曽根康弘(総理)三人が戦前の内務官僚の出身で、特に中曽根総理と富田長官とは旧海軍の「短現」(短期現役)の主計将校で、富田長官は後藤田長官が警察庁長官だった時の警備局長だったことを指摘し、メモが政治的なものではないかと推測している。

昭和天皇の最後の靖国ご親拝から43年の歳月が流れ、平成の御代には天皇陛下は一度もご親拝していない。来年4月30日には退位されるが、国民の一人として、退位前の春の大祭にご親拝され、平成の御代30年も平和の時代だった旨、ご報告願えれば幸せだ。そして、それを機会に春夏大祭のご親拝を復活させていただきたい。

地面師に騙された東京の一等地 この百年

2018-10-17 05:33:38 | 2012・1・1
東京の五反田駅近くの一等地(約2000㎡)、時価50億円の土地を大手住宅メーカー、積水ハウスからだまし取った容疑で地面師グループ8人が警視庁に逮捕された。わが家は戦争中の昭和20年3月、強制疎開で引っ越すまで長い間、五反田に住んでいたので、どこの土地か、調べると、僕の遊び場でもあった目黒川にかかる本村橋のたもとにあった旅館、海喜館の跡地であった。海喜館はあたりが全焼した5月の空襲でも焼けずつい最近まで営業を続けていた。

僕が知っている昭和10年代の海喜館の前を流れる目黒川はすでに汚染が始まっていて、名前にふさわしくなかったが、母が育った明治時代は水遊びもできるぐらいきれいであったという。その名残りか、本村橋から一つ上流の大崎橋のたもとからは、季節の乗り合い釣り船が出ていたし、東京湾で獲れた魚を漁師が小舟で売りに来ていた。

五反田が開発されたのは明治44年(1911年)、山手線の五反田駅が開業してからだ。父母は大正10年に母の実家のある五反田に引っ越ししてきているが、その頃の五反田を書いた父の遺稿によると、やっと駅前の三業地の整備が開始されたとある。当時、五反田駅界隈にはまだ茅葺屋根の農家もあり、父はこんな場所で三業地は成り立つかと感想を述べている。

”滄海変じて桑田になる”(滄田の変)は世のならいだが、昭和の初め、東京湾へ糞尿を捨てる”汚わい舟”が庭前の目黒川を往き来していた土地である。百年の歳月の流れを改めて感じる。

新聞は読者に”寄り添って”いるか 新聞週間

2018-10-16 05:28:17 | 2012・1・1
第71回新聞週間の最中である。今年の開催にあたっての入選標語は”真実と人に寄り添う記事がある”だが、新聞界OBの僕には最近の新聞は読者との距離が遠くなり、果たして読者に寄り添っているかどうか疑問に思うことがある。読者の新聞離れがいわれて久しいが、これが原因の一つではないだろうか。

ラジオ、テレビ、ネット時代に入り、ニュースの速報性の面では新聞は勝てない。その意味で新聞が編集に苦労しているのはわかるが、一読者の目から見ると、読者との距離が離れつつある。専門家や自社の人気記者の署名入りの記事が多すぎる。昔からの読者投書欄もあるが、1ページに過ぎない。ネット時代でブログだけで一日200万が飛び交う時代である。

記者の取材方法の変化も読者離れの原因かもしれない。購読の産経新聞の東京版に記者の取材の裏話や感想を紹介する連載記事「東京五輪〇〇〇日」の中で、警視庁担当通算10年7か月だった荒井啓介記者が”変わる警察と記者”という記事を書いているが、僕が興味深かったのは、最近はツイッターで事件事故を知り取材しているという記事だ。

半世紀以上も前、駆け出しの社会部記者で、僕も警視庁詰めの記者だっ時代、荒井記者と同様、”事件の端緒をつかむため鑑識の車が出動しているかどうか確認した”ものだった。刑事さんの家まで“夜うち朝がけ“し、大きな火事は現場まで駆けつけ取材した。ツイッターでの取材など思いもしなかった。それだけ、取材も”近所の人”の談話まで入り人と人のつながりを感じた。昔は近所の小さな交通事故でも記事に載ったが、最近はない。ネットではできない報道の仕方もあるような感じがするのだが。

前川喜平元文科事務次官のヘイト発言と国家破滅を招く移民国家への道

2018-10-15 05:07:46 | 2012・1・1
お偉方の役人の不祥事続きで、なんで職を去ったのか分からなくなってきたが、昨年”天下り”問題の責任を取り文科事務次官を辞任した前川喜平氏(63)が東京の朝鮮人学校で講演し”(朝鮮人学校への)高校補助金廃止は国が行っている官製ヘイトだ”と述べ、さらに”日本は移民を入れなければならなくなる。外国人には日本語と同時に母国語教育、民族教育も重要だ”と発言したという。びっくり仰天である。現職でなくとも、最近まで挙育行政のトップにいた高官の発言としては許せない。

人出不足を背景に外国人労働者を大幅に受け入れるための法改正が今、政府内で検討されている。新聞に出ていた改正案によると、外国人労働者のうち特定技能を持つ者に対して、二種類の在留期間を設け、試験の合格者に対して長期間の滞在を許可するものらしい。素人の僕が見てもそのうち一つは、家族の帯同を許し、滞在期限更新の上限もなく、事実上の移民への道に連なる制度である。

特定技能とはなになのか。人出不足は、介護、農業、建設、都会の流通部門に集中している。最近は僕が住む東京でもコンビニや飲食店などでも外国人がめっきり増えてきた。安倍総理が豪語する、全国津々浦々有効求人倍率1以上であるのは確かだが、その背後には不法滞在の外国人数も多いのではないだろうか。不法滞在者の解消には来年4月施行を目指す法改正は役立つかもしれないが、将来、移民国家への道を開く改正には反対である。前川氏が次官時代よく行っていた”出会い系”バーの女性も外国人で占められるかもしれないが、日本国内で母国語。民族教育までされては日本国はどうなるか。

スラウェシ地震 日本のトモダチ支援

2018-10-14 06:01:02 | 2012・1・1
スラウェシ中部地震から2週間あまり過ぎ、被害の全容が明らかになってきたが、津波のほか液状化現象の地割れで、今なお5000人が行方不明との情報もある。そのさなか、今度は豪雨により鉄砲水が発生、新たな被害が発生、復興への道は厳しいが、インドネシア国家開発計画庁はJICA(国際開発機構)を通じて、支援復興計画を日本に絞って行いたいと要請してきた。

詳細は不明だが、日本は2004年12月のスマトラ沖地震のさい、国際支援45か国中の最大の支援国で、復興に役立っている。当時、日本政府は約5憶ドル(半額は無償資金援助)を援助、海上自衛隊から護衛艦2隻を派遣、国際緊急援助隊として活躍している。一方、昨年、国連総会で決議された「世界Tsunamiの日」制定にあたっては、日本が音頭をとり、その11月5日という日取りは、幕末,和歌山を襲った「稲村の火」の逸話によるものである。

2011年の東日本大震災の直後、在日米軍2万4千人が、いち早く被災地で「トモダチ」作戦を展開、捜索援助活動に当たってくれた。インドネシアはアセアン諸国中、BBCの調査によれば、親日国ナンバーワンである。地震のあった地域は、先の大戦中、旧海軍の軍政下にあり、地上戦はなかったが、敗戦直前、陸軍の部隊が作戦変更で移動中、地域の住民の世話になっている。「慰安婦」「徴用工」「旭日旗」の問題などない友好国だ。要請があれば、トモダチとして支援したい。

無用の長物化してきた固定電話

2018-10-13 05:32:49 | 2012・1・1
ここ数年、お付き合いのない旧友の何人かにヘボ用があり、ご機嫌方々電話した。同年配の世代は携帯やPCを持たず不便である。80歳代後半になると、最近の消息が判らず不安だが、案の定、留守番電話が多く、こちらから用件を吹き込んでも、応答の返事が返ってこない。この世の人かどうかも不明だ。

最近、あまり固定電話は使用されなくなったのであろうか。調べてみたら総務省の調べでは、固定電話の契約者は71%、20歳世代ではなんと5.2%に過ぎない。逆に携帯、PHS,BWAの契約者は181%と、一人で2台を持つ時代なのだ。知人の中には”オレオレ詐欺”防止に警察から器具を借りたり、撃退用器具つきの受話器を買ったりしている。固定電話は”無用の長物"化してきたのだ。

携帯電話事業に参入する事業者が増え、これに伴って料金も引き下げされる。そうなれば、ますます固定電話は使われなくなる。わが家に電話が通じたのは、前回の東京五輪の頃であった。架設料が高く安サラリーマンでは、高嶺の花、なかなか契約できなかった。携帯電話が一般化したのもこの20年ぐらいではないだろうか。

今は違う。便利な時代だ。大学生の孫でもスマホを持っている。逆に僕ら老夫婦は、契約料をけちって携帯電話さえ持っていない。僕らにとって、固定電話は”無用の長物”ではない、”オレオレ詐欺”の標的になるかもしれないが、”認知症”防止の訓練器具であるかもしれない。

人生百年時代の老衰死に思う

2018-10-12 05:20:38 | 2012・1・1
昨日、一昨日とわが家の購読紙の死亡欄にまったく偶然なのだが、僕と同学年、同年齢のご三方の名前が載っていた。しかも三人のうち二人の死亡原因が老衰である。「人生百年時代」-まだ若いと思っている?僕には「老衰」という漢字に妙な抵抗感がある。

三人のうちお一人は、危機管理という概念を定着させた(産経新聞)元内閣安全保障室長の佐々淳行さんで、昭和5年生まれの87歳。他の方は女性の生理用品「ユニ.チャーム」の創始者の高見慶一郎さんで、同学年同年齢で、お二人とも老衰死である。他のもう一方は、僕と大学予科時代の同じクラスメートで、後年学長になった大谷啓治さんで、大谷さんは膵臓癌で亡くなっている。

僕ら同学年、同年齢世代は、満州事変(昭和6年)の直前に生まれ、支那事変(12年)時に小学校に入学、5年時に大東亜に戦火が拡大、中学3年の時敗戦を迎えている。戦争の申し子みたいな世代で、歴史の起伏にとんだ時代を生きてきた。

Wikepediaによると、老衰とは”加齢により心身の能力が衰えること”とあり、WHO(世界保健機構)でも厚労省でも死亡原因の一つとして設定されている。日本では老衰死は80歳代、後半で、死亡原因の中で、5.3%でランキング5位だそうで、僕の両親は50年前、父は84歳、母は82歳で老衰している。半世紀前は80歳を越えれば、老衰死といっても抵抗はなかったが、今はどうだろうか。ちなみに、日本では今でも百歳を越えるとほとんどの方が老衰死だそうだ。