その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

シェイクスピア (小田島雄志 訳) 『ジュリアス・シーザー』 (白水Uブックス)

2011-01-09 18:46:46 | 
先日観に行ったロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの公演のための予習として小田島訳を読む。

いかにもシェイクスピアと言えるような、大見栄台詞のオンパレードで、面白いが多少肩がこる。

例えば・・・

ブルータス (第一幕第二場)
「それが少しでもおおやけのためになることであれば、
片方の目に名誉を、片方の目に死を突き付けるがいい、
おれはその二つを平然と見つめてみせよう。
神々にかけて言う、おれはこう見えても
死を恐れる以上に名誉を愛する男なのだ」

シーザー (第三幕第一場)
「・・・
だがおれは北極星のように不動だ、
天空にあって唯一動かざるあの星のようにな。
空には無数の星屑が散りばめられておる、
それはすべて火であり、それぞれが光を放っておる、
だが不動の位置を保持する星は一つしかない。
人間世界も同じだ、この世には無数の人間がおる、
すべて血肉をそなえ、理性を与えられておる。
だがおれの知るかぎり、その数知れぬ人間のなかで、
厳然として侵すべからず地位を保持するものは
一人しかいない。それがこのシーザーだ。
・・・」

そして、有名なシーザー暗殺後の、市民に向けたブルータスの演説とアントニーの追悼の辞。長いので引用はしないが、読み応えたっぷり。

それにしても、なぜ、この戯曲は『ジュリアス・シーザー』なのか?シーザーの台詞は第二幕第二場と第三幕第一場のみ。それに比べて、ブルータスは第1幕から5幕まで出ずっぱり。たしかに、シーザーを鏡に置いての、ブルータスの人であり、思想であり、行動であるので、シーザーがいなければ、この高潔の士ブルータスも輝かないということなのだろうか?
コメント (2)
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