緊急事態宣言に大阪、兵庫、京都、愛知、岐阜、栃木、福岡の2府5県が追加された。
政府の小出し感を批判する声が多く見られる。
果たしてそうだろうか。
コロナで一番怖いのは死亡率だ。
1月6日現在、日本での対陽性者死亡率は、80代以上で12.3%、70代で4.5%、60代で1.4%、50代で0.3%、40代以下で0.03%だ。
これを多いと見るか少ないと見るかは、個人の判断だが、少なくとも40代以下だと客観的に見ても微々たるものだ。
20代や30代だとそれをはるかに下回る。
私は60代だが、それでも1.4%と、100人に1人か2人だ。
競馬で万馬券を当てるより低い確率だ。
新型インフルエンザや他の病気と単純比較はできないとしても、明らかに恐怖を感じるほどの率ではないと思われる。
メディアや専門家は死亡者数の合計や感染者数しか見ていないのではないか。
医療の逼迫と言うが、その原因は軽症者や中等者の入院にあるのではないか。
コロナを想定した医療体制ができていなかったのだ。
平時ではそれで充分事足りた。下手をすると余剰といわれるくらいの医療体制だったのかもしれない。
コロナを2類感染症に指定している限り、それに対処できる病院は限られる。
2類から外せば、普通の病院に感染者をまわして、医療体制の逼迫は解消されるはずだ。
確かに感染の拡大は深刻だが、それが死亡率の急増を意味するのではない。
現に高齢者との接触がない若者は、コロナや恐るるに足らず、コロナはただの風邪、程度の認識だ。
外出するな、会食するなと言われても、どこ吹く風の又三郎だ。
政府もそれがわかっているので、のらりくらりの対応をしているように思われる。
感染拡大しても、大半が若い世代で、彼らは無症状か悪くても軽症で治癒する。
死ぬのは80代以上の高齢者か基礎疾患保有者だ。
それでもその死亡率は10人に1人ほどだ。
緊急事態宣言が奏功しなかった時は、コロナを2類から外すことだ。
このままでは、コロナの死亡者によるダメージより、中小や個人の経済的ダメージが大きすぎる。
政府の小出し感を批判する声が多く見られる。
果たしてそうだろうか。
コロナで一番怖いのは死亡率だ。
1月6日現在、日本での対陽性者死亡率は、80代以上で12.3%、70代で4.5%、60代で1.4%、50代で0.3%、40代以下で0.03%だ。
これを多いと見るか少ないと見るかは、個人の判断だが、少なくとも40代以下だと客観的に見ても微々たるものだ。
20代や30代だとそれをはるかに下回る。
私は60代だが、それでも1.4%と、100人に1人か2人だ。
競馬で万馬券を当てるより低い確率だ。
新型インフルエンザや他の病気と単純比較はできないとしても、明らかに恐怖を感じるほどの率ではないと思われる。
メディアや専門家は死亡者数の合計や感染者数しか見ていないのではないか。
医療の逼迫と言うが、その原因は軽症者や中等者の入院にあるのではないか。
コロナを想定した医療体制ができていなかったのだ。
平時ではそれで充分事足りた。下手をすると余剰といわれるくらいの医療体制だったのかもしれない。
コロナを2類感染症に指定している限り、それに対処できる病院は限られる。
2類から外せば、普通の病院に感染者をまわして、医療体制の逼迫は解消されるはずだ。
確かに感染の拡大は深刻だが、それが死亡率の急増を意味するのではない。
現に高齢者との接触がない若者は、コロナや恐るるに足らず、コロナはただの風邪、程度の認識だ。
外出するな、会食するなと言われても、どこ吹く風の又三郎だ。
政府もそれがわかっているので、のらりくらりの対応をしているように思われる。
感染拡大しても、大半が若い世代で、彼らは無症状か悪くても軽症で治癒する。
死ぬのは80代以上の高齢者か基礎疾患保有者だ。
それでもその死亡率は10人に1人ほどだ。
緊急事態宣言が奏功しなかった時は、コロナを2類から外すことだ。
このままでは、コロナの死亡者によるダメージより、中小や個人の経済的ダメージが大きすぎる。
★★格調高い文学的な香りが漂うわけでは、もちろんなく、先端を行くスタイリッシュな文体でもなく、ハラハラ、ドキドキのジェットコースター感覚もなく、可もなく不可もなく、毎日無意識に食べるご飯のように、なんの抵抗もなく読める、そんな小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。狙いは読後感。読めばわかる、あるいは読んでもわからないかもしれないが、なんとなく心の片隅に残る奇妙な違和感。ありきたりで普通を装った妙な安心感。 小説の常識を覆すためにもぜひご一読、拡散を。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
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