★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

ある原風景

2021年01月29日 11時56分09秒 | 徒然(つれづれ)
 子供の頃の話だ。
 母親が田舎の小学校の教師だったので、私が保育園児だった頃は日直の日曜日に小学校へついて行ったものだ。

 小学校は家の近くの停留所からバスで30分ほどの距離だった。
 デパートや映画館がある田舎町の中心とは逆の方向だ。

 右手に海を見ながら田舎の一本道をボンネットバスに揺られて、小学校へ行くのは子供の私の楽しみだった。
 誰もいない日曜日の校庭のブランコや鉄棒、すべり台やジャングルジムは私の貸し切り状態だった。

 海沿いの道を20分ほど走るとバスは左折して山のほうへ向かう。
 その小学校は低い山の中腹にあった。

 バスの終点のひとつ手前が小学校前の停留所だった。
 その停留所からは川や畑を挟んで、正面に終点の停留所が見えた。
 バスはそこでしばしの休憩ののち、Uターンして元来た道を田舎町のバスターミナルまで戻っていくのだ。
 終点の停留所にはよろず屋があり、バスの運転手は店頭のベンチで一服していた。 

 山の中腹のよろず屋とボンネットバス、ベンチで煙草を吸う運転手が、私の記憶の中に一枚の絵画のように原風景のひとつとして残っている。


狙いは読後感。読めばわかる、あるいは読んでもわからないかもしれないが、なんとなく心の片隅に残る奇妙な違和感。ありきたりで普通を装った妙な安心感。 そんな小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
 読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鷹がいなけれゃ小鳥は遊ぶ

2021年01月29日 11時12分20秒 | 徒然(つれづれ)
 難読苗字というのがある。
 一つ一つの漢字は読めるが、合体すると全然違う読み方になる。

 例えば、五百旗頭(いおきべ)、栗花落(つゆり)、青天目(なばため)、四月一日(わたぬき)などだ。
 五百旗頭などは、フルネームの実印を作るのに職人や業者が苦労しそうだ。

 私のウォーキングコースにも変わった屋号の看板を掲げる店がある。
 小鳥遊だ。
 ことりゆうとしか読めない。

 ネットで調べたら、たかなしと読むらしい。
 意味は鷹がいないので小鳥が安心して遊べる、鷹がいない→鷹が無し→たかなしだ。
 そういえば、看板には小鳥遊の横にローマ字でTAKANASHIと書いてあるが、小鳥遊(たかなし)とは結びつかなかった。

 この話にはオチがある。

 小鳥遊の看板を掲げるその店は、なんと焼き鳥屋なのだ。
 小鳥遊といういかにも可愛らしい屋号を掲げて、その鳥を焼いて出すのだ。

 店主の苗字が小鳥遊なのか、単にウケを狙った屋号なのか定かではないが、シュールというか、冗談キツイぜ。
 

狙いは読後感。読めばわかる、あるいは読んでもわからないかもしれないが、なんとなく心の片隅に残る奇妙な違和感。ありきたりで普通を装った妙な安心感。 そんな小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
 読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする