子供の頃の話だ。
母親が田舎の小学校の教師だったので、私が保育園児だった頃は日直の日曜日に小学校へついて行ったものだ。
小学校は家の近くの停留所からバスで30分ほどの距離だった。
デパートや映画館がある田舎町の中心とは逆の方向だ。
右手に海を見ながら田舎の一本道をボンネットバスに揺られて、小学校へ行くのは子供の私の楽しみだった。
誰もいない日曜日の校庭のブランコや鉄棒、すべり台やジャングルジムは私の貸し切り状態だった。
海沿いの道を20分ほど走るとバスは左折して山のほうへ向かう。
その小学校は低い山の中腹にあった。
バスの終点のひとつ手前が小学校前の停留所だった。
その停留所からは川や畑を挟んで、正面に終点の停留所が見えた。
バスはそこでしばしの休憩ののち、Uターンして元来た道を田舎町のバスターミナルまで戻っていくのだ。
終点の停留所にはよろず屋があり、バスの運転手は店頭のベンチで一服していた。
山の中腹のよろず屋とボンネットバス、ベンチで煙草を吸う運転手が、私の記憶の中に一枚の絵画のように原風景のひとつとして残っている。
母親が田舎の小学校の教師だったので、私が保育園児だった頃は日直の日曜日に小学校へついて行ったものだ。
小学校は家の近くの停留所からバスで30分ほどの距離だった。
デパートや映画館がある田舎町の中心とは逆の方向だ。
右手に海を見ながら田舎の一本道をボンネットバスに揺られて、小学校へ行くのは子供の私の楽しみだった。
誰もいない日曜日の校庭のブランコや鉄棒、すべり台やジャングルジムは私の貸し切り状態だった。
海沿いの道を20分ほど走るとバスは左折して山のほうへ向かう。
その小学校は低い山の中腹にあった。
バスの終点のひとつ手前が小学校前の停留所だった。
その停留所からは川や畑を挟んで、正面に終点の停留所が見えた。
バスはそこでしばしの休憩ののち、Uターンして元来た道を田舎町のバスターミナルまで戻っていくのだ。
終点の停留所にはよろず屋があり、バスの運転手は店頭のベンチで一服していた。
山の中腹のよろず屋とボンネットバス、ベンチで煙草を吸う運転手が、私の記憶の中に一枚の絵画のように原風景のひとつとして残っている。
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