ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

土下座を強要しても 気が済まない

2015年04月24日 | オススメです
【土下座を強要しても気が済まないのでは?】
また、土下座を強要?して逮捕された?

自分のストレスを八つ当たりする人がいる。

協調性を重んじ
「お互い様」の精神で、
思いやりを持って人に接していた
美しい日本の心は、
どこへ行ってしまったのでしょうか?


自己愛に苦しむ現代人について

『相手に思い込みを託したり、過剰な期待をかけてしまえば、
家族や友人との関係はうまくいかなくなるもの。

そうならないためには、「独りになる」ことも学ばなければなりません。

生きるとは、基本的には独りで生きていくことだ、
という自覚もどこかになければなりません。』


そう書いているのは、
「逝きし世の面影」の著者で

幕末・明治期に日本を訪れた外国人の記録から
幸せに暮らす日本人、民主的だった江戸社会を著した
熊本市在住の渡辺京二さん。

著書「無名の人生」文春新書より。

特に、以下の部分について、深く考えさせられます。


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(中略)
石牟礼道子さんの文学の根本には、
小さな女の子がひとりぼっちで世界に放り出されて
泣きじゃくっているような、そういう姿が原形としてあります。

一個の存在が世の中に向かって露出していて、
保護してくれるものがない、
この世の中に自分が露出していて誰も守ってくれるものがいないところから来る根本的な寂しさー
それがあの人の文学の中核なのです。

考えてみれば、人間はみな、本来そういう存在なのです。
危険にさらされることも、
寂しいことも、
それは誰だって望んでいるわけではありません。

だから、そこから抜け出そうとして人とつながり、
家族をこしらえ、
社会的な交わりが生まれ、
さらには、自分の生存を保障してくれる制度が生まれてくる。

文明とは何かといえば、
生がむき出しになった寄る辺ない実存を、
束の間、なんとか救い出そうとする仕組み、
それを文明とよんでいるのでしょう。

やはり原点には、寂しさを抱えた自分があるということを自覚しておいたほうがいい。

(中略)
人間、死ぬから面白い。

こんなことを言うと、お叱りを受けるかもしれません。

しかし、人間、死ぬからこそ、
その生に味わいが出てくる。

かく言う私だって、まだまだ死にたくはありません。

今でも世の中には執着がある。
けれども、死ぬからこそ、
今をいきていることに喜びが感じられるのです。


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コメント
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