ヒューマンエラーの権利について
・私たちは誰でも過ちをし、それに責任をもつ権利がある。
「この人権は「人間である権利」とも言われ、「ヒューマン・エラーの権利」と考えることができます。
神ならぬ人間は完璧ではなく、失敗や過ちをしない人間はいません。
ヒューマン・エラーはありうるので、その結果に責任を取るのも人間だということです。
ヒューマン・エラーはあってはならないのではなく、
あるからこそ、リクス・マネジメントがあり、また失敗を償う方途もあるのです。
意図的なルール違反や欺瞞と、
人間の不完全さから起こる失敗を区別しましょう。
ルール違反や欺瞞は、前もって決められたルールにのっとって裁かれることになりますが、
人間の不完全さからやってしまう過ちは、互いにそれと認め合うことが重要です。
認めることから可能な償いを探ることが始まり、実際、そんな過ちをしたとき、人は謝ったり、できる限り償いをしたいと思うものです。
例えば、間違ったことを伝えたときは訂正したいし、悪意なく言ったことが相手を傷つけたときは謝りたいでしょう。
大失敗したときは、どうすればそれを償うことができるか、考えたり相談したりするでしょう。
人間としての失敗には償いのチャンスをつくることが大切です。
いきなり攻撃されたり、責められたりするとき、
人は脅える(非主張的)か、反抗する(攻撃的)かになりがちです。
それはできる限りの償いをするチャンスを失った状態であり、
言わば、人間として生きてはならないといわれたようなものです。
このようなヒューマン・エラーを考慮しない厳罰や本人を無視した修復は、
事故やミスの防止には役に立たないばかりか、逆効果になるでしょう。
本人が気づかぬ過ちは本人に知らされ、
修復の機会を与えられて初めて防止に役立ち、
責任を取りたい本人の気持ちと権利が行使されるのです。
安全対策や危機管理はヒューマン・エラーを前提にして考えられている仕組み
であることが重要です。
ただ、完璧でない人間が取れる責任は限られており、
人間の過ちや失敗には、完璧な償いができないこともあります。
自分の起こした交通事故で人が死亡してしまったとき、
その人の生命を回復することはできませんので、できる限りの償いをするしかないように、
また、子育てに失敗したことが後で分かっても、取り返しがつくこととつかないことがあるように、
人は失敗の結果を可能な限りで引き受けていくのです。
つまり、ヒューマン・エラーには完璧に償う義務はなく、
責任を取ることができる、と考えるのです。
そこに私たちの「赦す」気持ちや行為があり、それができるのも人間です。
もし、私たちが、すべての失敗に対して責任を取る義務があるとすると、
完璧に償えないような失敗はできないし、
失敗するようなことはしてはならないということになり、
身動きができなくなってしまうでしょう」
(平木[2009:68-70])
参考文献 平木典子著、2009『改訂版 アサーション・トレーニンング――さわやかな〈自己表現〉のために』日本・精神技術研究所.