ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

《人に嫌われるのが怖いのは、人と仲良くしたいから》

2016年01月30日 | こころ
《人に嫌われるのが怖いのは、人と仲良くしたいから》

人に嫌われるのが怖い

人が怖い

そんな人は、本当は、人が好きなのかも!?

本当は、人と仲良くしたいのかも!?


仲良くしたいと思う気持ちが強いから

嫌われるのが怖いとも思う。

《人に嫌われるのが怖い》と、思ったら

ひょっとして《私は人と仲良くしたい》のかもと自分に訊いてみて。

怖さは、減るのでは?
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タガタメ

2016年01月28日 | メッセージ

《大切なのは、私たちは、この世に何を残せるのか?》

雪の中ではしゃぐ子どもたち。子どもの頃、雪の日のお休みは、特別に嬉しかった思い出。博多駅前にも火曜日まで、雪だるまが残っていました。

誰が為に勉強するのか?

誰が為にいじめるのか?

誰が為に競うのか?

誰が為に人を蹴落とすのか?

誰が為に争うのか?


私たちは、いくらいい大学を出て、いい学歴でいくら稼いでも、
あの世に学歴も職歴もお金も物も名誉も地位も持って行けない。

何の為に勉強し、人と競い、闘い、人を蹴落とし、
何の為に地位や名誉を得て、お金を稼いでいるのか?

《大切なのは、私たちは、この世に何を残せるのか?》

生きるのが必死で、子育てに必死で、
新しい学びに必死な頃には
こんな事をゆっくり考えなかった。

フランクルがユダヤ人強制収容所で、生き地獄を味わいつつも
自分に問い続けた「生きる意味」
「意味への意志」

「夜と霧」が名著と言われても
学生の私には、サッパリ、フランクルが何を訴えているのか分からなかった。

心の大切さ、
幼少期の愛情、
親との絆、
目に見えないものの大切さ、
感情の大切さ…


私は、この歳になって「私の生きる意味」について考えるようになった。

願わくば、
全国の小学校で、全員の小学生が等しく
心のこと、愛情の大切さ、感情の大切さついてについて学べるように
「心の授業」を標準化したい。

誰もが自分がOK
=ありのままで素晴らしい
と、思えるようになり、

人もOK
と、思えるようになる世の中になって欲しい。

子どもたちが心から笑顔でいれますように…。


大好きなMr.Childrenの曲
「タガタメ」

収録アルバム:シフクノオトより
***

♪タガタメ

作詞:Kazutoshi Sakurai
作曲:Kazutoshi Sakurai

ディカプリオの出世作なら
さっき僕が録画しておいたから
もう少し話をしよう
眠ってしまうにはまだ早いだろう

この星を見てるのは
君と僕と あと何人いるかな
ある人は泣いてるだろう
ある人はキスでもしてるんだろう

子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に 加害者になったとき
出来ることと言えば
涙を流し 瞼を腫らし
祈るほかにないのか?

タダタダダキアッテ (ただただ抱き合って)
カタタタキダキアッテ (肩叩き抱き合って)
テヲトッテダキアッテ (手を取って抱き合って)

左の人 右の人
ふとした場所できっと繋がってるから
片一方を裁けないよな
僕らは連鎖する生き物だよ

この世界に潜む 怒りや悲しみに
あと何度出会うだろう それを許せるかな?
明日 もし晴れたら広い公園へ行こう
そしてブラブラ歩こう
手をつないで 犬も連れて
何も考えないで行こう

タタカッテ タタカッテ (戦って 戦って)
タガタメ タタカッテ (誰がため 戦って)
タタカッテ ダレ カッタ (戦って 誰 勝った?)
タガタメダ タガタメダ (誰がためだ? 誰がためだ?)
タガタメ タタカッタ (誰がため戦った?)

子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に 加害者になったとき
かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りもなく
愛すこと以外にない

タダタダダキアッテ (ただただ抱き合って)
カタタタキダキアッテ (肩叩き抱き合って)
テヲトッテダキアッテ (手を取って抱き合って)
タダタダタダ (ただただただ)
タダタダタダ (ただただただ)
タダタダキアッテイコウ (ただた抱き合っていこう)

タタカッテ タタカッテ (戦って 戦って)
タガタメ タタカッテ (誰がため 戦って)
タタカッテ ダレ カッタ (戦って 誰 勝った?)
タガタメダ タガタメダ (誰がためだ? 誰がためだ?)
タガタメ タタカッタ (誰がため戦った?)

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講演です

2016年01月25日 | 講演です
講演の募集のお知らせです。




日  時 2016年2月8日(月)10:00~12:30

会  場 福岡市市民福祉プラザ(ふくふくプラザ)5階視聴覚室
     (福岡市中央区荒戸3丁目3-39)

主  催 グリーンコープ生協ふくおか 福岡なか支部 支部委員会

講演テーマ: 「~子どもに無条件の愛情を感じ、適切に叱るために~
ひまわり先生の心の子育て実践法
~子どもたち生まれてきてくれてありがとう~」

参加対象 : 地域組合員だけでなく
組合員ではない地域の方も募集しています。


連絡先は、
グリーンコープ福岡なか支部組合員事務局0925660112
まで、お願いいたします。

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ああ雪!

2016年01月24日 | こころの子育て
博多も雪。

足元に気をつけてくださいね。

はしゃぐ子どもたち。

いつになく、幻想的な世界。

滅多に積もらない雪、ワクワクする。

雪だるまがたくさん!

こんな時こそ、子どもと一緒に雪だるま作ろう!

長崎も記録的な積雪らしいです。

ニュースによると、この前の長崎の15㎝の積雪は、私が3歳くらいの時だったらしい。

私が保育所に行く途中で
父が雪だるまを一緒に作ってくれた記憶
忘れられないなあ~
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《仲間外れは、心も身体も痛い》

2016年01月22日 | こころ
《仲間外れは、心も身体も痛い》

たかが、仲間外れと思っていませんか?

確かに、体の傷は付いてなくても心に傷が付いています。

これまで、見えないと思っていた心の傷が脳神経科学の手法を使って明らかにされた研究がある。

社会的排除〔他者からの拒絶〕に伴う心の痛みが脳に信号として現れることが分かった。

「心が痛い」

「心が傷ついた」

「気持ちが折れた」

「胸が痛む」などと言いますよね。

実際に「身体的な痛み」と「社会的な痛み」が同じ神経基盤を共有していることが分かりました。



私たちは、昔から
物理的刺激があるわけでないのに、
「痛み」という比喩表現を使いますね。

心が痛むのは人類共通の症状のようで、
多くの言語に共通して存在します。

2003年10月の『サイエンス』誌に掲載された論文で、

米カルフォルニア大学のアイゼンバーガー博士は、彼女独特のアイデアに溢れた実験が行いました。

ボールトスのゲームである。

3人で輪になってバレーボールの練習をします。

このゲームでは、テレビ画面を通じて他のプレーヤーとトスゲームを行います。

相手の2人は実際にはヒトではなくコンピューターですが、このことはプレーヤー本人には知らされていません。

ゲームに参加した被験者は、
はじめは皆でボールを回しながら楽しんでいますが、
ある時、相手の2人からボールを回してもらえなくなります。

自分以外の2人だけが目の前で遊んでいます。

あらかじめプログラムされているのだが、
そうとも知らず、
被験者は「除け者」にされるのです。

グループからの孤立、社会的な孤立で精神的苦痛を与えられます。

この時、脳はどう反応するかの実験です。

13人の被験者から脳の活動を検査したところ、仲間外れにされた時、
大脳皮質の一部である帯状野が活動することが分かりました。

検査の後、本人に「どれほど疎外感を覚えたか」を訊ねたところ、脳の前帯状野の活動が強かった人ほど、強い孤立を感じていたことがわかりました。

身体の「痛み」に関係する部位、手足などの身体が痛む時に活動する脳部位が、心が痛む時にも活動したということは、
やはり、心の痛みは、身体の痛みと密接に関係があるということです。

心も身体も痛い
社会的排除、仲間外れはいけません。
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《雪の思い出》

2016年01月19日 | よもやまばなし
朝から雪です。

震え上がりながらも雪はやっぱりキレイだなって、嬉しくなりました。

九州で雪は珍しいので、《雪の思い出》を四つ

***
10代の雪の思い出。

空から綿雪が舞い降りて来て

眼に映るあらゆる景色を白に変えていく。

汚れた建物も、街路樹も何もかも別け隔てなく。

この雪の下には、幸せな人も、不幸な人も暮らしている。

あらゆる景色をふんわりと

真っ白に包み込む雪の美しさに感動して

「ああ、私も雪のような人になりたい」

と、思った。


***
40代の雪の思い出。

母が危篤との連絡を受け

アクセルをただただ踏み込む高速道路。

舞い落ちる雪を見上げながら、

涙を堪えた。

隣に座る中学生の息子に悟られないように、雪を見上げて無心になろうとした。

天から無数に降りてくる雪の舞う姿は、

優しく母を迎えに来てくれた天使たちに見えた。


***
子育て中の雪の思い出。

友だち家族と連れだってスキーに出かけた九重。

大人チーム対子どもチームで雪合戦‼︎

「こんだけ雪があれば、鎌倉作れるかも?」

早速、鎌倉作りに挑戦!

子どもたちは途中で飽きても、

大人たちの方が夢中だった。

ワクワク興奮!

ウキウキ楽しい!

雪なのに暑くなって、スキーウェアの下に汗をかいていた。


***
幼児期の雪の思い出。

数センチ雪の積もった朝、保育所に送ってくれた父。

子どもを叩く苦手な先生が居て

私は、なるべく行きたくない

子ども心に我慢して行っていた保育所。

行き渋る私に付き合って、父は雪だるまを一緒に作ってくれた。

日頃、怖い気持ちを堪えて通う保育所に

父が付き合ってくれたおかげで、大手を振って遅刻。

雪の園庭をのびのびと二人占めして

雪だるまを作る父との時間が

この上なく嬉しかった。

***

皆さんは、雪の日に、どんな思い出がありますか?






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《甘えることは相手を生かすこと》

2016年01月17日 | こころ
《甘えることは相手を生かすこと》

最近は、歩く時、誰かが、私をエスコートしてくれます。

私も、自然に腕組みをお願いしています。

甘えるのも、いいものですね。

甘えることは、相手を生かすことかもしれません。

今日は、博多駅前のカウンセリングルームで
1日ワークショップで、

参加する皆さんが、今日1日使う紙コップに

「名前を書いて」と若い女の子にお願いしたら、

みんなの名前と、一人一人に合ったイラストをスラスラと書いてくれました。

イラストが得意な女の子。

皆んな、喜んでくれた。

こうして、甘えることが相手を生かすことになるんだ。

相手を生かすことは

人材育成にもなるんだと思いました。

逆に、甘えることが、苦手な人は相手を生かせないし、
人材育成も下手だということ。

これ、子育てにも通じるなあ。

子どもを育てるには、
親が何でもしてしまわないで、子どもに頼むことが大事。

読み書きそろばんだけでなく、
家事などもどんどん頼まないから、子どもが自立出来ないのかもしれない。

さらに、最近の私は、
甘える練習のおかげで、感謝の気持ちを感じることが多くて
怪我をしたにも関わらず、
幸せをいっぱい感じているのです!

お医者さんから、ギブスは、もう少しなんて言われると、
正直、怪我が治るのが、ちょっと寂しい様な…。

特に、日頃、人と関わりの少ない年配の方や
寂しい子どもが怪我や病気で居たい気持ちが分かります。

また、どこまで甘えていいのかということも悩みました。

甘えと依存の線引きが難しい…。

そうだ!

「出来ることは、やる。
出来ないことは、頼む。
ただし、無理はしないこと。」

と、考えました。

無理して、自分一人で何でもやっていると、不満が沸いて来る。

お互い、協力もしないだろうから、人間関係も無味乾燥なものになりそう。

逆に、無理しないで、出来ないことは、遠慮なく人に甘えてお願いすれば、感謝の気持ちも沸いてきて、幸せを感じることができる。

人間関係も、困った時は、お互い様で、温かいものになりそう。

甘えることは、相手を生かすこと。

甘えることは、幸せを感じること。

逆に、甘えないことは、相手を殺すこと?!
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働かせないという暴力

2016年01月14日 | こころ
引き続き1983年~84年放送のドラマ
「おしん」を見て、感じて考えています。

脚本を書かれた橋田壽賀子さんは、先人たちの苦労から
差別や戦争の悲惨さなどを訴え、
経済的豊かだけでなく、
精神的に成熟していく必要性を教えてくれていると思う。

児童虐待、配偶者間暴力、つまりドメスティックバイオレンスや
身分制度による差別のシーンは、胸が痛い。

おしんが放送されていた1983年当時には、
児童虐待とかドメスティックバイオレンスとかいう概念があまり広まっていなかったと思うので

あらためて見て、大変勉強になる。

おしんは、小学校に上がる年齢、数えの7歳から奉公に出され親元を離れて、
学校にも行かせてもらえず、朝から晩まで働かされる。

逆に、経済的DVと言って
結婚した相手の女性を働かせずに
経済力を奪って自立できないようにし、
支配するドメスティックバイオレンスもある。

経済的DVとは、配偶者の金銭的な自由を奪うことで相手を追い詰める暴力行為。

《経済的DVに該当する可能性のある行為》

・生活費を渡さない

・家計の管理をすべて夫(妻)が握る

・お金の使い道を細かく管理・指摘する

・収入の金額や財産の状況を明かさない

・働きに出ることを許さない

・無断で借金を重ねる

・家にあるお金を無断で持ち出す

・仕事を辞めさせる

・自分は働かず一方にのみ労働を強制する

経済的DVの被害者は、専業主婦であることが多い。

それも、妊娠中や出産直後に経済的DVの被害が始まるケースが多い。

妊娠、出産、育児で、妻が十分に働くことができない状況で、
夫から生活費をもらう立場になる。

その結果、夫との間に上下関係ができ、
妻は、夫が稼いできたお金を自由に使いにくくなくなってしまう。

加害者に
『夫は金を稼ぐから一番偉く、妻は夫を立てるべき』

と考えている人も結構いるし、

被害者側も、そうした家庭環境で育つと

無意識にそうした偏見を持っていて、

自分自身を差別をしてしまう場合も多い。
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《命の教育》映画「はなちゃんのみそ汁」

2016年01月11日 | オススメです
《命の教育》映画「はなちゃんのみそ汁」

あなたは、子どもに何を遺せますか?


福岡市が舞台の映画「はなちゃんのみそ汁」観ました。

「食べることは命をいただくこと」

一杯のみそ汁に託して命がけで産んだ娘に伝えようとしたこと。

百道の浜(サザエさんの原作者 長谷川町子さんがネーミングをしたと言われるビーチ)、

高取保育園(自然食の給食で知られる保育園で、私も講演に呼んでいただき、とってもヘルシーで、しかも美味しいお弁当をいたたいたことがあります)

大濠公園、九州医療センター、西日本新聞社、愛宕神社など、など…実在の馴染みの場所、風景、方言…。

そして、とにかく、子どもらしいはなちゃんが可愛い!福岡在住の方のみならず
《子どもに何を教えることが大切か》を考えさせてくれる映画オススメです。25歳から8年間、癌の闘病しながらも、
33歳の若さで亡くなった安武千恵さんが5歳の娘はなちゃんや夫、家族との日々をつづったブログを基にした映画です。
広末涼子さんが余命わずかと宣告されたヒロインを演じ、
残された数少ない時間をかけて、幼い娘に食の大切さを教えようとする姿が涙を誘う。

一番の好演だと私が思うのは、夫役の滝藤賢一さん。
映画はしんみりするばかりではなく、
とても楽しく、笑いも交えながら、
愛情たっぷりの優しい夫役、
とてもいい味出してます。
***
「健康で生きる力がついていれば、
将来どこへ行っても
何をしても生きていける」

安武千恵さんのブログより
***

2008年に33歳の若さで永眠した母に教えてもらったみそ汁、
お弁当を作り続けるはなちゃん。健康的でない食生活
・簡単
・安い
・手がかからない
を見直すキッカケにもなると思います。

身体に良い食べ物は、手がかかるもの。

小さい頃みたいに鰹節削りたくなりました。

小学校六年生になったはなちゃんは、インタビューでこう答えています。
「自分の命は、自分で守る。これがママとの約束です。」

あなたは、子どもに何を遺せますか?







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温故知新《教育と平和について》

2016年01月11日 | オススメです
n-skyさん
コメントありがとうございます。

モラルハラスメント、怖いですよね。
被害者は、我慢していることに気づいでないことも多く、まず知ることが大事です。

「怖い」「悲しい」という感情を抑えて
イライラして人に当たったり、
攻撃的になる加害者の心理について、ドラマを観て感じることも可能です。

ドラマ「おしん」オススメです。

ドメスティックヴァイオレンスDVの弁護で有名な角田由紀子先生の勧めで
ドラマ「おしん」を見直してみました。

食糧が足りない東北の貧しい家で生まれ、
数え年の7歳、小学校入学の歳のおしんは、
米一俵と引き換えに奉公に出される。

教育も受けられずに小さな身体で、お守りや家事を強いられる。

このドラマが流行った1983年当時は、児童虐待の概念も世に広まっておらず、
辛抱した子どもの美談として、私も、ただ感動して観ていた。

1983~84年の平均視聴率は52.6%最高視聴率62.9%。
これはビデオリサーチの統計史上、テレビドラマの最高視聴率記録となっていて、
スリランカ、インドネシア、フィリピン、台湾、香港、ベトナム、アフガニスタン、シンガポール、エジプト、イランなど世界68ヶ国や地域で放送され、

苦難に遭いつつも決してあきらめず、明治、大正、昭和を生きた主人公・おしんの姿が、感動を呼び「おしんドローム」という言葉を生み出した。

「世界で最もヒットした日本のテレビドラマ」として知られる。

このドラマを見直して私は、改めて、
真の教育、平和とは何かを考えさせられました。

モラルハラスメントや虐待、
子どもや女性差別などの知識を学び、
戦後70年、安保法案や憲法改正の岐路に立つ今だからこそ
このドラマ「おしん」から学ぶことは、枚挙にいとまがないと、思いました。

例えば、
子守をしながら、文字の読み書き、計算を必死に勉強するおしんに
赤ん坊が泣くから、勉強の邪魔だと、
おしんを教室から追い出す同級生たち。

身分の違う奉公人のおしんを差別し、攻撃していじめる子どもたち、
おしんのお父さん、
おしんをいじめる奉公人にも
押さえ込んだ感情があり
その押さえ込んだ感情は変形して
変形した気持ちを一番弱いおしんに当たるのです。

教室で教えるべきことは、読み書き、計算だけでいいのか?

これを機会に《教育の目的》についても考え直してみます。
イギリスの植民地だったインドを独立に導いたマハトマ・ ガンジー(1869‐1948)の教育思想を思い出したので、転記しておきます。

「ガンジーの言葉」の第8章に「教育」について書かれている一部分だけを、P.204より抜粋します。


***
私の言う教育とは、
子どもや大人
ー体、心、精神ー
の最善のものを全面的に引き出すことである。

読み書きの能力は、教育の目的ではなく、最初でさえもない。

その能力は、人が教育される手段の1つに過ぎず、それ自体は決して教育では無い。

***

また、他でもガンジーは、
無批判に取り入れられた西洋の学校教育を受けた結果、子どもたちが親の仕事を価値の劣るものと見下し、
仕事を継がなくなってしまう状況を取り上げ、

自分の置かれた環境に誇りをもてなくさせ、
家庭から子どもを引き離してしまうような教育のあり方を問題視した。

インドの学校には、いろいろな職業カーストに所属する少年 たちがいる(煉瓦工、鍛冶屋、大工、仕立て屋、靴屋など)が。

「教育を受け たら、自分たちがこれまでやってきた仕事の技術を高め、自らの仕事にさら に励んでいくのではなく、
そのような仕事は何か劣っていることとしてやめ てしまいます。そして、事務職に就くことが名誉なことと考えるのです」
と 述べています。

これを読み直して、
戦後の日本人が自信を失い、人々の不安が大きくなってきた点とも
どこか、重なる気がしました。

温故知新=
将来の事態を知りたいのなら、過去の経緯を考察すること。

今だからこそ、知ることと温故知新が重要ですね。


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モラルハラスメント

2016年01月09日 | カウンセリング
《心の傷》には、感情処理が有効です。

嫌なことがあった時、すぐさま嫌だと感じれるといいのですが
意外とすぐに嫌と感じにくいもの。

カウンセリングで、「嫌」「怒り」を処理し、夫婦、嫁姑、親子、同級生、恋人、上司と部下、同僚などの人間関係が楽になったと言われます。

夫婦で、あからさまに身体的暴力がないのに
感情処理が必須なのは、言葉や態度による暴力、モラルハラスメント。

身体の傷は、時間が薬だとしても
心の傷は、目に見えないし、癒えにくいもの。

モラルハラスメントとは=
「ことばや態度で繰り返し相手を攻撃し、人格の尊厳を傷つける精神的暴力のこと」


フランスの精神科医マリー=フランス・イルゴイエンヌの
著書「モラル・ハラスメント~人を傷つけずにはいられない」が
翻訳(1999年)されてから、日本でもモラハラという言葉が知られるようになりました。

DVドメスティックバイオレンスの精神的暴力にあたります。

モラハラも力による支配です。


社会的に経済力のない女性は、悲しいことに

①なき寝入りか
②貧困になっても逃げるか
③経済的に自立するまてま我慢するか

になってしまいます。


夫婦間のモラハラは、具体的に次のようなものです。


《夫婦間のモラハラの具体例》

●妻が話しかけても無視をする
●妻の話をバカにした態度で聞く
●妻の質問に対してはっきりとした返答をしない
●突然不機嫌になり、舌打ちやため息をついたり、わざと大きな物音を立てる(ドアを乱暴に閉めるなど)
●妻の人格や存在を否定するような暴言を吐く
●妻が楽しそうにしていると、不快な顔をする
●妻の家族や友人、仕事や趣味などをけなす
●家庭のスケジュールを自分勝手に変更する
●家族で外食や旅行などをした際は、家族が大げさに喜ばないと不機嫌になる
●人前で妻をバカにする
●用意した食事に手をつけず、自分で買ってきた惣菜やインスタントラーメンなどを食べる
●「誰のおかげで生活できているんだ」「金を稼いできてるのは俺だ」などのセリフを発する
●家庭外では「良い人」で通っている

《モラハラ加害者の特徴》
●結婚前はやさしいが、結婚すると態度を一変させる
●結婚すると、家庭内のことを全て自分で決めようとする
●自分の欲求をはっきり口に出さない
●妻が自分に従わないと怒る。暴言を吐く。無視など嫌がらせをする
●妻の気持ちや考えは一切尊重しない。共感性がない
●妻の痛みや苦しみには鈍感だが、自分の痛みや苦しみは大げさに主張する
●妻が体調を崩すと不機嫌になる
●妻の自由な行動を制限する
●自分のためにはお金を沢山使うが、妻のお金の使い道は厳しく制限する
●自分の非は絶対に認めない
●世間体をとても気にする
●自慢話が大好き
●平気で嘘をつく
●家庭外では良い人と思われている

《モラハラ被害者の心理》
モラハラの被害者は、モラハラを受けても、「自分が悪いのでは」
「知らない間に夫に悪いことをしたのかも」
「私に問題があるから夫はこうなるのだ」
と考えて、自分を責めてしまいます。

被害者であるにもかかわらず、悪いのは自分だと思い込まされてしまう。
これがモラハラの怖いところです。

モラハラ被害者は、まるでマインドコントロールを受けているかのような心理状態にあるのです。



夫が結婚を機に変わってしまったとしたら、それは妻のせいではなく、夫のモラ加害者としての本性が現れたに過ぎません。

モラハラ加害者が結婚前に見せていた「やさしさ」は、とりつくろったものであり、結婚後の姿が本来の姿なのです。


《家庭内のモラル・ハラスメントの特徴》

◯最初は優しい

加害者は最初はとても優しい相手として登場することが多く見られます。


◯同情を誘う

加害者は自分がどんなに不幸な家庭で育ったか、どんなに惨めな子供時代を過ごしてきたか、涙ながらに語ったりします。

まるで土砂降りの中で子猫が憐れに鳴くように相手の同情を誘います。

被害者は 「私がこの人を幸せにしてあげよう」と思います。


◯豹変する

相手の心を掴んだと確信した瞬間、豹変します。それは見事な早変わりです。

しかし夫に言わせれば自分がそのようになったのは妻のせいだと言いいます。

自分が悪いのではなく、自分をそうさせた相手が悪いのだと屁理屈、こじつけで弁舌巧みにまくし立てます。

豹変するのは結婚時、妊娠、出産後などのきっかけで多く始まります。

結婚時に変わるのは、相手が自分のモノに なったからで、妊娠、出産時は相手が身動きがとれないので好き放題にできること。

また、子どもができたことで子どもに対する嫉妬の場合もあります。


◯密室で起こる

夫が妻に対して特有の言葉や動作で威嚇するのは家の中だけです。

一歩外に出れば温厚で 明るい絵に描いたような理想の夫や父親が、家の中ではただならぬ暴君に変身します。

外の人に話したことが夫に知られてしまうと夫から何をされるかわからないという「学習」を常日頃から されていますので、怖くて言えません。

言ったところで夫は、外面は良く、どう見ても紳士なので、わかってもらえないと思います。

※モラ夫の中には、外でも家でも同じようにふるまう表裏のない暴君ネロタイプもいます。



◯平気で嘘をつく

モラ夫は大うそつきで、「食事を作らない」「洗濯もしてもらえない」などという嘘を 周りにばらまいていることがあります。

狡猾な場合はわざと汚い服を着ていって、悲しそうにふるまったりします。

モラ夫は外ではとてもいい人なので、「ひどい奥さんね」「よく耐えているね」などと言われたりします。

人をおとしいれる嘘、自分が優越感に浸れる嘘を平気でつきます。

ばれた場合は「そんなことは言っていない」「思い違いだよ」 「冗談だったのに、本気にしたの?」などと言ってごまかします。



◯暴力は伴わない

モラハラは普通暴力は伴いません。

それは夫は外から見た自分を非常に大切にするからです。

暴力夫なんて 言われるのはとんでもないことなのです。

暴力をふるえば証拠が残ってしまいます。

賢しいモラ夫は 証拠が残るようなことはしません。

ただし激高すれば伴うこともあります。

その暴力も痕が残らない程度に首を絞めたり、 胸ぐらを掴んで揺さぶるなどといった証拠が残らない方法で行います。

それは何を意味するでしょうか。

それは激高しても理性が存在するということです。

憤怒で何も考えられなくなっているわけではありません。

モラ夫にとって相手を傷つけるのが目的ではありません。

相手に威圧感・恐怖感を与えて支配することが目的なのです。



◯自分を正当化する

夫にとって自分は常に正しいのです。正しくないはずがないのです。

間違っているのはいつも相手なのです。

だから「お前が間違っているから教えてやっているのだ」という態度で接します。

妻がどんなに説明しようとしても、 言葉を変え、昔のことや関係のないことを引き合いに出して「あの時お前は間違った。

だから今も間違えてるに違いない」と 言い始めます。

言われたことは事実ですから、何となく「そうか、私がまた私が間違ったのか」と思ってしまいます。

夫はこうやって いつも話をすりかえ、違う方向に持って行っては妻を責め立てるのです。

また、これが何度も続くと「どう言っても夫はわかっては くれず、長時間人格否定や口汚く罵られ、責め立てられる」と諦めて、最初から謝る癖がついてしまいます。



◯ハラスメントの方法

モラハラは暴力を伴いません。

ではどうやって妻を追いつめるのでしょう。

これがモラハラの一番の特徴です。

夫がとる行動は「俺はお前に対して非常な怒りを感じているんだぞ」という 態度です。

これがモラハラの一番やっかいなことです。

何しろ「態度」は証拠にならないからです。

口をきかない、無視をする(※1)、食事を一緒にとらない、家事の不出来を次々に指摘する、わざと大きな音を たててドアを閉めたり、大きなため息をついたりする。

いったん始まると、数週間から数ヶ月続けることもあります。

決まり文句は「俺を怒らせるお前が悪い」です。そういわれてしまえば、 妻は夫を怒らせてしまったという罪悪感を持つことを計算して言っているのです。

妻は家庭の平和のために何とか機嫌をとろうとしたり、話し合いを求めたりしますが 話しかけても無視をするので聞いてもらえません。

妻はそうならないように日頃から夫の顔色を 伺う癖がついてしまいます。

そうするように夫が「調教」するのです。

(※1)無視というのは相手を不安にさせる武器として使用され、
【無言】とは別のものです。

無視と無言は区別して考えましょう。

誰にでも「話したくない時」や「話したくないこと」はあるものです。



◯後出しじゃんけんする

夫は常に優位に立っていなければなりません。

だから時々妻を怒ってやらなければなりません。

それに使われるのがこの「後出しじゃんけん」です。

暑いからエアコンをつけようとしますね。

「つけていい?」と聞けば「聞かなければわからないのか!」と怒鳴ります。

黙ってつければ 「そんなに暑くないのになぜつけるのか!」と怒鳴ります。

つけなければ「こんなに暑いのになぜ エアコンをつけようとしないのか!」と怒鳴りつけます。

エアコンのスイッチひとつで妻は悶々と 悩むことになります。それが毎日続くのです。



◯責任転嫁

夫は常に正しくなければなりません。

間違いなんかあってはならないのです。

ですから選択を 迫られることがあれば常に妻に聞きます。

「お前はどう思う?」
妻は即答を求められます。

次第に夫の表情が険しくなるので 考えている時間なんかありません。

しかも日頃から夫の思考を読みとるよう訓練されていますから、夫が望む答えはわかっているのです。

もし違う答えをすれば、夫は即座に不機嫌になり、 モラハラが始まります。

ですから答えはひとつしかありません。

「こうしたい」と妻が言えば夫は「いいんだな、お前が 選んだんだからな」と念を押します。

選んだ結果がよければ問題ありませんが、不都合な場合は「お前が選んだのになんだ、これは!」と、責任を押し付けます。

悪いのは全部妻なのです。



◯人を利用する

妻の時間、お金、人脈など、利用できるものは徹底的に利用します。

すでに支配されている妻はそれを差し出せば夫の機嫌がよくなると 学習しているので、何でも言うことを聞いてしまいます。

しかし妻の頼みは聞いてもらえません。

自分は決して人から利用されたりはしないのです。



◯共感性がない

彼らは非常に共感性が乏しく、妻は人間として見られていません。

自分の都合のいいように使える道具としか思っていません。

妻も病気になったり、疲れたり、時間は同じように24時間しかなかったり、同時に2カ所に存在できない ことが、彼らには理解できません。

できなければ「俺の言うことを聞かなかった」になります。



◯子どもを利用する

妻を思うように支配できない場合は、代わりに子どもをいじめたりします。

また、子どもたちの前で 妻を怒鳴りつけたり、悪口を吹き込んだりして子どもを洗脳します。



◯大切なものを捨てたり、ペットをいじめたりする

妻が大事にしているものを適当な理由をつけて捨てたり、かわいがっているペットをいじめたりします。

自分のしたことで妻が悲しそうな顔をすると、自分がとても大きな力を持っているように感じるからです。

夫は人が辛そうにしているのを見るのが大好きなのです。



◯予定をクルクル変える

家族は自分の予定をたてることができません。

たててもその日急に「○○へ行く」と言い出したら 従わなければならないからです。

妻に予定があっても全く気にとめません。

妻が自分の言うことを優先 させるのは当たり前だからです。

妻に行かせたくないためにわざと急に言い出すこともあります。



◯マイルールがある

自分が勝手に決めたルールによって家族が動くよう強制します。

また彼だけが「それは常識」と思っているルールがあります。

例えば「太陽は西から昇るのだ」と家族には言います。

「そんなバカな」と言うと、ハラスメントが始まるので黙って聞き入れ なければなりません。

ところが外では「太陽は東から昇るに決まっているじゃないか」と言ったりします。

どうやら彼の 頭の中では、外向けと内向けの答えが用意されているようです。



◯不安にさせる

わざと全部まで言わず「ま、言ってもお前にはわからないだろうな」などと言ってぼかしたり、 別の部屋から肝心の部分だけ聞き取れないようにつぶやいたりします。

妻は「私がまた悪いことをしたのだろうか」 「また無視が始まるのだろうか」と不安になります。



◯嫉妬深い

妻が外で働くことを嫌います。

それは妻が外で何をしているかわからないので、いつも自分の 監視下においておきたいのです。

家にいても何度も電話をかけてきたり、外出先に頻繁にメールを 送ってきたりします。

その内容も「怒っている」という文面や、それを臭わすものだったりします。

妻は夫の機嫌を損ねるのが 怖くて外出することができなくなってしまいます。



◯強欲である

逆にむしろ進んで妻を働かせるヒモラ型と言われるタイプもいます。

妻を働かせますが、自分は家事は一切しません。

ただしゴミ捨てや庭掃除など外から 見えるような家事はします。

自分が稼いだ金は生活費に出さず、それどころか妻の稼ぎをあてにして、自分の遊びや道楽に使います。

高価な車を次々と 乗り換えたり、趣味のおもちゃを集めたり、家庭を顧みることがありません。

欲しい物があれば不機嫌になり当たり散らしたりさえすれば、モラハラが怖い妻は 折れて買ってくれるのをちゃんとわかっているのです。



◯外との接続を絶つ

友達の悪口を言って仲を絶つようにし向けたり、妻が実家へ行くと不機嫌そうにして、親の悪口を言ったりします。

ただし妻と実家の親の仲が悪ければ実家を味方につけようとします。

モラ夫にとって、人とは利用できるかできないか が重要なのです。



◯言葉で冒とくする

モラ夫は相手が「絶対人には言われたくないこと」を探り出す天才です。

そしてその部分を徹底的に言葉で攻撃します。

「お前のようなだらしない女はいない」
「馬鹿か」
「どんな育ち方をしたんだ」
「それでも母親か」
などと相手の弱いと思う部分を集中的に攻撃します。

言い返せばモラハラが始まるので黙って聞くしか ありません。

その攻撃は妻が「すべて私が悪かった」というまで何時間でも続きます。

自分が傷つきたくなかったら何も言わずに黙って従うことを妻はここで学習します。

「私が悪かった」と言いさえすれば、事は平和に終わるのですから。



◯自己紹介する

上にある「言葉で冒とくする」というのは、モラ夫自身のことかと思える場合が数多くあります。

「本当におまえというヤツは使えないな~」
「頭が悪いんじゃないか?」
「すぐウソをついて責任 逃れするよな」
などと言われ、
「それって全部自分のことじゃないか」と思うことがあります。

モラ夫はこうやって他人を鏡のように使って自分のイヤな部分を現します。

これを「モラ夫の自己紹介」(投影性同一視)と言います。



◯妻が不機嫌なのは嫌い

自分が不機嫌なのは妻がそうさせるからだと言いながら、妻が不機嫌なのは許しません。

妻たる者は、いつも 明るくほがらかで、家族に接しなければならないと思っているからです。

妻の横っ面をはり倒しながら「なぜ怒るんだ」 と言っているようなものです。

夫の頭の中ではこれが矛盾せずに存在しています。

妻は(心を)殴られても蹴られても、 ニコニコと笑って立ち上がらなければなりません。

モラ夫の思考回路は普通ではないのです。



◯疑問形で責める

モラ夫との会話は、いつも疑問形で責めてきます。

「お前はこんなこともわからないのか?」
「言わなければわからないのか?」
「俺が悪いというのか?」
疑問形ですから妻は一生懸命答えを出して相手に伝えようとしますが、答えは自分の非を認めるものしかありません。

「俺が悪いというのか?」という問いには「そんなことはない」という答えしかありません。

「では悪いのはお前だな」と いう会話の持っていき方をします。

もし「悪いのはあなたでしょう」と言えば、
怒号が繰り出され、
1週間の無視が2週間になり、
下手をすると身体的暴力になりますので、
「悪いのはすべて私です」としか言えない会話を強いられます。



◯いつも怒っているわけではない

こんなことが毎日続いているわけではありません。

何週間も口をきかないというのは日数にすれば それほどのことではありません。

普段は外と同じように冗談を言い、子どもと一緒にゲームに興じる普通の父親 です。

プレゼントを買ってきたり、いたわりの言葉をかけてくることも珍しくありません。

だから妻は夫が実はいい人で、自分が悪かったから怒らせてしまったのではないかと思うのです。

「なぜ離婚しないの?」 と聞かれると「悪い人ではないのよ」と言ってしまいます。

平和を保つために妻は365日顔色を伺い、好物を用意し、気にいるように掃除洗濯をし 言葉尻をとられないように話す内容をあらかじめ決めておきます。

夫は年に数回怒鳴ったり、口をきかなかったり すればいいだけです。

それはドメスティックバイオレンスに言われる、ハネムーン期→緊張期→爆発期のサイクルと とてもよく似ています。

しかしすべてのモラ家がそうだとは限りませんし、感情の波もそれとわかるほど大きく見えないこともあります。

爆発が起こった後は、嵐のあとの海のように穏やかになります。

「悪かった」などど謝ることもあります。

治ったと思うと数週間から数ヶ月後、また緊張期がやってきます。

モラハラは、いつ怒り出すかと緊張がピーンと張り詰めたような「蓄積期」のあと「爆発期」のあと、
支配の為に優しくする「ハネムーン期」となります。

モラハラの最大の特徴は、上記にあるような方法で相手を支配し、
自分の思いどおりに操ることです。

サイレントモラという、怒鳴ることも 大きな音を立てることもなく、
静かに静かに相手を取り込み、
自由自在にコントロールするタイプもいます。

妻はその 状況を素早く読みとり、相手が何を望んでいるかを察知し、
速やかに望み通りのことを実行するようになります。


***
樋口一葉(1872~1869)が明治27年12月「文藝倶楽部」に掲載した小説「十三夜」には、
モラハラ、精神的暴力が描かれています。

「十三夜のあらすじ」

おせきは望まれて官吏の嫁になったが、
子どもが生まれたとたんに冷たくなった夫の仕打ちに耐えかね、ある十三夜、離縁を決意し幼子を置いて婚家先を出てきた。

事を分けたる実家の父は、おせきをさとし、おせきもまた置いてきた子どもの行く末を案じて婚家へ帰ることを決める。

***



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《弱った時に優しい人と無頓着な人》

2016年01月08日 | カウンセリング
《弱った時に優しい人と無頓着な人》

困った時に本当に助けてくれる人って、
こんなに沢山いるんだと思いました。

そんな皆さんの支えのおかげで、ケガもだいぶ良くなってきました。

逆に、ケガや病気の時に、人の痛みに鈍感で、
「それぐらい我慢しなさい」などと
痛みに共感してくれない人って
どうして、そうなってしまったんでしょう。

これは、幼少期に、病気でもケガでも
親は忙しく全然かまってもらえず、寂しい思いをした人は
少々のことは無理はきくと頑張るのです。


休みたい時に、つい無意識に
自分で自分を病気やケガをしてしまつこともあります。

これは、「自分の、身体をいたわらないようにしよう」というインナーメッセージ。

このインナーメッセージは、
身体をいたわらないために
本当に健康を損ねてしまう恐ろしいメッセージです。

少々のことは無理はきくと、ついつい自分の身体を大事にせずに無茶してしまい、
ある日、心筋梗塞や脳梗塞で倒れてしまうかもしれません。

つまり、
健康に無関心になってしまうと
自分の身体にも、他人の身体にも優しくなくなってしまい

病気やケガの時どころか、
結果、平常時も、人に身体にも自分の身体にも
優しくなくなってしまうのです。

日ごろから
自分の身体も
他人の身体もいたわり
健康にも関心を持ちましょう。




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《依存か甘えか》

2016年01月06日 | こころ
《依存か甘えか》
「依存」か「甘え」かの見極めが難しいと言われます。

そこで、今日は、《依存と甘えの違い》について考えます。

熱烈な恋愛をして
「もう、この人が居ないと生きていけない」
と、思ったとしたら、
ひょっとしたら、お互いに依存しているかもしれません。

お互いに依存し合う関係は、親子関係・夫婦で、良く見られます。


お互いに依存し合う関係のことを《共依存》と、言います。

小さい頃の親子関係では、健全ですが、
子どもが自分で歩き、しゃべり、色んなことが出来るようになるにつれ、次第に手を放して行き

子どもが、励まし、支援を求めている時以外は、
親がいかに手を出さずに、励まし、見守っていくかが大事になってきます。


《共依存》している時、相手の面倒を看ている側、つまり与える側は、
一見「相手のため」に見えますが、

実は「自分が相手の面倒看ていることで自分の存在価値を見出しているという自己満足のため」であり、
過剰なコントロールで、様々な歪みを作り出します。

人から面倒看てもらっているばかりの人が「依存」していることは、分かりやすいです。

ところが、面倒看てもらうばかりの人も、
与えることに「依存」しているのです。

これは、本人にも自覚しにくいものです。


共依存の典型的な事例は、
アルコール依存症の夫を妻が
「この人は、私がいないとダメなんです」
と言って、甲斐甲斐しく夫の面倒を看るケースです。

世話をする側は、相手を依存させ、
生活力を奪って、自立を妨げ、支配しているのです。

与えるばかりで、心が疲れ果てぼろぼろになりながらも、
相手を支配する現在の状態を捨てられないのです。
本人は、無自覚かもしれませんが、これもひとつの依存です。

一方は、与えてくれる相手に依存して

もう一方は、受け取ってくれる相手に依存する
いう形で

お互いに依存し合っているので、《共依存》と言います。


与える側は、
・救済者の立場で、相手を無力と見なす
・矛盾するメッセージ、ダブルバインドでコントロール
・自分に対して、愛情を受け取ることを禁止している
・愛情を受け取れないので満たされない
・次第に心が疲弊してしまい、犠牲者になる

逆に、受け取る側は
・犠牲者の立場で、自分を無力と見なす
・甘えたい
・自分はラクしたい
・与えると、損した気分
・問題解決を自分で出来る自信がない
・次第に自由がなくなり、不安が大きくなる

という心理。

一方、《甘え》とは、

自分で問題解決を試みるが、
どうしても困った時には甘えられる。弱音が吐ける。
人に頼る。
愛情や思いやりを受け取れる。

相手が困った時には、勇気付け、手を差し伸べ、甘えさせてあげられる。弱音を聴いて慰め、支援してあげられる。
頼られることが出来る。
愛情を与えることが出来る。

親子の場合は、大人が与える側ですが、

大人同士の場合、特に夫婦の場合は、

健全な関係で、お互いが配慮し、甘えられる関係でいるためには、

二人が共に精神的に安定していて
自立していることが前提となります。世界的に著名な精神科医の土居健郎先生は、1950年代の米国留学時に受けたカルチャーショックをもとに
日本を把握しようと試みた本「甘えと構造」で、
日本語の「甘え」に該当する言葉が他言語に見つからないことに着目しました。この日本にしかない《甘え》という言葉は、

後の心理学者によると、
欧米で表現すると《愛》という言葉に相当すると言われます。

確かに《甘えたい》は、《依存したい》というよりも《愛されたい》と表現すると
ピッタリくる。

確かに、いくつになっても、《愛》は、欲しいものですよね。
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映画「母と暮らせば」

2016年01月04日 | オススメです
映画「母と暮らせば」を観ました。

オススメです。

吉永小百合さんと二宮和也さんが親子の役で、
長崎弁も上手、繊細な演技、息もぴったりでした。

家族や大切な人との別れ…。

広島、長崎の原子爆弾投下だけでなく、東日本大震災の時もそう。

病死、事故死でも突然の別れを余儀なくされてしまうこともあります。

また、関係が破局して、生きてお別れする場合だってそう、「別れ」は辛いものです。


突然市民の頭上に落とされた一発の原子爆弾の悲劇。
遺族は、心の準備ができないまま、遺体も特定されないまま
諦めきれない悔しさや、
持って行き場のない怒りを持って

戦後生き抜いて来られた複雑に葛藤する気持ちを
理解出来たように思いました。

惨さは表現せずに柔らかなタッチで、心に染み渡るように、
遺族だけでなく、亡くられた側の気持ちまで伝える
巧みな脚本の映画です。

実際70年前の長崎で、私の叔母さんは、原子爆弾投下の日、
爆心地近くの小学校の工場に学徒動員されていました。

私の母は、焼け野原を探しに行った時に、すさまじい光景にショックを受けた上に、

何度も探し回ったけれど、
とうとう人々の変わり果てた姿の中から
姉と特定するに至らなかったそうです。

その恐ろしい経験がトラウマになって、母は、蝉時雨の暑い夏になると、
50年経って、毎年、夜中に悪夢でうなされていました。

私は、小さい頃から母のトラウマ体験を目の当たりして育ちました。

その母が生きていたら、おそらくこの映画を一緒に観に行ったであろうと思い、
私は一人で観に行ってきました。

山田洋次監督が、井上ひさしさんの戯曲「父と暮らせば」の長崎版」母と暮らせば」の構想を引き継いだ映画だそうです。

描かれた原子爆弾投下の瞬間の描写は、トラウマ体験のある人や
小さな子どもが観ても大丈夫。


二宮和也さん演じる医学生の視点からのCGは、
原爆のグロテスクな恐ろしい部分をいっさい排除した上で、
人間が作り出した核というものがどれだけの威力で、
恐ろしい戦争兵器だということを見事に表現しています。

その一瞬に
一般市民の被害者の立場で、立ち会った感じさえ感じました。


戦争に翻弄される人々の細やかなこころのひだまで
本当に良く描かれていて、
亡くなった叔母や苦しんだ母を思い、目が腫れるほど、泣きました。

亡くなった叔母の分まで、幸せにならんといかんと思いました。

また、今の日本人が忘れかけている
私たちが本来持つ繊細さ、妬みの心、思いやりの心、親子愛、夫婦愛について考えさせられました。

観終わって、ジワジワと感動が私の中に広がってきて、また観たいと思う映画です。
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《2016年新年のごあいさつ》

2016年01月01日 | メッセージ
《2016年新年のごあいさつ》

明けましておめでとうございます。

どんなお正月をお過ごしですか?

昨年も、このBlog「ひまわり先生のちいさな玉手箱」をのぞいてくださり、
また、コメントをいただき、ありがとうございました。

最後の最後まで、ありがたいお言葉を頂戴し、本当に励まされます。

今年も皆さんと一緒に成長し、
お一人お一人の皆さんが、
より皆さんらしく幸せになっていくのを応援したいと思っております。

今年4月からは、
52歳にして大学院に進学が決まり、
さらに心のことを広めていく希望を感じています。

これまでを振り返えれば、皆さんの成長や諦めない心、
より楽に幸せになられていく姿に随分励まされ
ただ、ただ前に進んで参りました。

私個人的には、3年の間に両親が他界し、
荒波の海に立ちはだかってくれていた防波堤を失った感覚でした。

半世紀生きて、今さら、
自分は、本当の意味で自律できていなかったことに気が付き
自分というものを再構築する覚悟をしました。

その手始めに瞑想に行ったことは、自分を見つめ直す大きなスタートとなりました。

暮には、右足を骨折してギブスになってしまい、車の運転すら出来なくなったことで

改めて、周囲の方々の支えや協力があって
今の自分があるんだと、実感した一年でした。

さらなる本物を目指して、悩み苦しみつつ前に進もうと思います。

今年も どうぞ よろしくお願いいたします。
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