ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

今年受けたカウンセリング~2015年を振り返って~

2015年12月28日 | カウンセリング
《2015年今年受けたカウンセリング》

今年もカウンセリングを受ける事ができました。

私が、今年受けたカウンセリングの中で、
印象的で、特に効果的だったのは、
「私は、嫌われている」という思い込みについて。

日頃、あまり意識することは、ありませんが、
ストレス時に
「やっぱり、私は嫌われる。」 と、思います。

元々、嫌われる存在だから、OKではない。

OKではないから、人の機嫌を伺い
人の役に立つことをしなければならない。

人が喜んでくれないと、私はダメ。
たちまち、OKでないポジションに戻ってしまう。

これは、私の無意識の人生計画。

心理学では、これを「人生脚本」と言います。

人は、幼い頃に
自分について
他人について
社会について
色んなメッセージを自分で決めて取り入れます。

メッセージは、主に親、または主な養育者からの非言語的なものです。

日頃、優しいお母さんが、急に怒って、怖いと感じた場合
子どもは、「やっぱり、私は嫌われているんだ」と思ってしまうかもしれません。

急に怒ったお母さんの表情は、鬼のようで、
「魔女的な親」と呼ばれます。

つまり、「魔女的な親」は、実際の親よりも
ずっと、ずっと怖いイメージなんです。

今年、私が受けたカウンセリングは、
これまで出てきた
友だちを引っ叩く怖い保育園の先生や
兄を特に可愛がるお母さんや
手を叩きながら怒るピアノの先生ではなく、
大好きなお父さんでした。

私にとって、大好きだから、お父さんから怒られたことが
特に印象的で、怖かったようです。

だから、カウンセリングで出てくるのも
今頃だったのでしょう。

つまり、思い出して堪えられる問題なら、たやすく出てくるけど
思い出して堪えられない問題だと
思い出さないようにするのが、
防衛。

この防衛のことをフロイトは、防衛機制、
防衛のメカニズムと呼びました。

…もう、思い出しても、大丈夫。

私にとって、大好きだから、お父さんから怒られたことが
特にショックで、忘れたかったことなのでしょう。

かすかな記憶と、後は、親から聞いたエピソード。

2~3歳のあの時、何で怒られたかは、覚えてないけど、
小さい私は、お父さんからあれほど怒られて、怖い思いをする程、悪い事をしてないし、

「お父さんが怒ったからといって、私を嫌いになった訳じゃない。
お父さんの機嫌が悪かっただけ。お父さんは、私のことが嫌いになった訳ではない。」

と、ようやく心で分かり、安心しました。

あれから、人の機嫌を気にしたり
人を喜ばせないといけないと、過剰反応しなくなっています。

怒りも少し感じるようになり、理不尽な時に、真顔の自分に気が付きます。

そして、最近の講演、カウンセラー講座などで話す時、
大きな変化を感じています。

人前で、心のことをお伝え出来る喜びを実感し、
さらに、興奮するワクワク感を感じるようになっているんです!

人は変わることが出来る。

そして、心穏やかな年末を迎えています。

皆さんもどうぞ、よいお年をお迎えください。




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2015年を振り返って

2015年12月25日 | メッセージ
2015年は、皆さんにとって、どんな一年でしたか?

今年は、瞑想合宿に行ったり、アメリカに研修に行ったりなどと忙しい毎日でした。

今年、特筆すべきは、瞑想。

宗教になる前、座禅ではない《瞑想》のやり方を身につける、
まるで、自動車学校の合宿に参加したかの様な体験でした。

一度、車の運転を覚えると、久しぶりに運転すると、下手だけど、思い出して運転できる。

瞑想法を修得するとは、そんな感じです。


◯2015年5月 11泊12日の瞑想の記録

京都の丹波にて、朝4時起き夜9時半就寝

1日2食の菜食を10日間

誰とも話さず、目を合わせず、心鎮めて穏やかに自分に向き合う練習

人と話すこと、人が喜ぶこと、人が幸せになること、人に気にかけられることがエネルギーになる私にとって
合宿に参加を決意し、私にとってまるで牢獄の中に身を投じたこと自体が、修行でした。

自分自身がカウンセリングを受け始めてからの変化は、

前より人に合わせ過ぎず、自分で考えて、思うことを人に伝えたり

自分の考えで行動するようになったり

勝手に我慢して犠牲者にならなくなったり

頼めるようになったり

断れるようになったつもりです。


瞑想合宿の途中、
誰とも口はきかないのに、人と共に居て安心を感じているのに気がつきました。

目を閉じていると、
生まれてから~現在に至るまで
これまで支えてくれた方々の姿が浮かび、
その方々への感謝の気持ちが湧き上がりむせび泣きました。


そして、薄あかりの安全な瞑想所という空間で、生まれ直した感覚でした。


両親が他界し、荒波の海の防波堤を失ったような感覚を感じ、いかに親が心の支え、安心感であったかを痛感していたこの3年でしたが

ここに来てようやく、一人の自律した大人として、生きていけると思えた大きな一年でした。

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《やれてたじゃん自分》っていいね

2015年12月23日 | メッセージ
《やれてたじゃん自分》っていいね

dropさん

コメントありがとうございます。

いただいたコメントから一部 転記します。

***
そうか、その途中では、一つ一つ自分なりに どんな仕事にもいろんな人にも向き合ってたことや 考えてなるべく丁寧に迷惑をかけないでやろうという気持ちだったことを思い出しました。

やれてたじゃん自分!!

やるのは当然、結果、人に評価してもらえなかった、何もできなかったと全否定し、可哀想すぎると思ってました。

 一番忘れていたのが、過程での現在ここの自分に向き合えてなかった。

いつの間にか、義務感に苦しんで楽しめていなかった。もったいなかった。

***

確かに!

《やれてたじゃん自分》っていいですね。

気付いた時が変わり時。

もう、これまでを否定したり、犠牲者になるのを止めて、

これまでの自分やこれまでの過程を認めて、
認めた所から、さらに積み上げる人生にしませんか?



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《断わる勇気》

2015年12月22日 | メッセージ
《断わる勇気》

dropさん

職場で、大変でしたね。

コメントを読んで、私も、職場で似たような感じだったことを思い出しました。

頼まれると断れない私は、色んな部所からの沢山の仕事を請け負ってしまい、
他の社員が帰った後もよく一人机に向かって、残業していました。

ある日、上司から、痺れを切らしたかのように
「君は、いったい何をしているんだね?」
と、聞かれて、ついムカッとしました。

あの時、私は上司に怒っていたと、今まで思っていましたが、
今、改めて、あの時の私の気持ちを見直してみると
悲しかったんだろうな。

こんなに頑張っているのに、上司に分かってもらえなくて。

退職する時に
「私がやってた仕事、誰がやるのかな?
困るんじゃないかな…
でも、上司は、あんなこと言ったんだから、思い知ればいい」
などと、
とても意地悪な気持ちを抱いてしまったことを覚えています。

20代のあの頃の私は、とても大人気なかったなあと、今更ながら思います。

断れないから、大人気なくなる。

「断れる」って大事なこと。

「断ったら、私は価値がないまま。断らないことが、私は、価値のある人間にしてくれる。」

そんな自信のなさ、怯えから、断れない性格になっていたんだと思います。

何の仕事が出来ようが、出来まいが
私にもあなたにも価値がある。

だから、一人で抱え込まなくていいですよ。

断わる勇気も必要です。

一つだけ、あの頃、断らなかったおかげで
色んな仕事をして
その経験は、今でも生かされています。

まるで、犠牲者のように
一人で抱え込んで、損したと思っていましたが、
得しました。
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《犠牲者にならない練習》

2015年12月20日 | こころ
只今、犠牲者にならない練習、我慢しない練習をしています。

《犠牲者にならない練習》

写真の制服姿の方は、福岡空港でお世話になったANAの斎藤さん、筱原(しのはら)さん。

飛行機から降りて、地下鉄乗り場まで車椅子で送っていただき、とても親切にしていただきました。

しのはらさんは、車椅子の方を手伝いをする練習中だそうで、
「勉強になりました。」と、返ってお礼を言ってもらいました。


空港で車椅子をお借りしたいと思い、
前の日にあらかじめ電話したけど、
空港に行くと、なかなかスムーズに借りられない。

それどころか
「搭乗口からの貸し出しになります。」

あらら、昨日の話とは、だいぶ違ってしまってる…。

『我慢して歩こうかなあ…。
(元気な時には大した距離じゃないけど、ヨチヨチ歩く身としては遠いなあ)
電話でお願いして、搭乗口までも貸してもらえるハズだったのに…』
と、思った瞬間、
ふと『私、悲しいんだ』と思った。

悲しいのを抑えて、
『もう、いいです!歩きます!』と、すねて歩き始めたら、

きっと、『なんて、可哀想なんだ、私』
と、これ見よがしに、ゆっくりと、痛そうに歩く自分を想像した。

ああ、こうして、我慢するから、
悲しい気持ちが、だんだんひねて
この我慢した気持ちが『恨み、つらみ』に変わって行って
『可哀想な犠牲者』が作りあげられるんだなあ~。

これ、交流分析で言う
『犠牲者のゲーム』
とか
『義足のゲーム(もしも、私がこんなでなかったら)』
って、呼ぶんじゃないかなあ~。

もし、一人で我慢を続けるなら『苦労性のゲーム』になるかも?!

なるほど…クレーマーって、
一見 怒っている様に見えるけど、
本当は、『悲しい』とか『怖い』のを我慢しているんだろうな。



◯義足のゲーム

こんなに可哀相な私。

責任回避や失敗の弁解の時などに自分のハンディキャップをアピールし、同情を誘います。

泣き言や言い訳の多い人がよく使うゲームです。


◯苦労性のゲーム

自分を駆り立て、無理を重ね、疲労困憊するゲームです。

仕事中毒の人に見られます。幼児の頃から要求水準が高く、何をやっても満足が得られません。

うつ病・偏頭痛・筋痛症・胃潰瘍などになりやすいので注意が必要です。



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私を育てていただいた子どもたちと先生方に感謝♡

2015年12月19日 | 命の授業
2015年12月19日昨日、玄界灘に浮かぶ対馬、気温0度と寒いけど気持ちの良い快晴!

対馬ヤマネコ空港から一時間程の所にある
島の中程にある小学校で
「ひまわり先生の命の授業」をさせてもらいました。
全校児童21人の小さな学校。お母さん方、先生方、子どもたち。3年前にもこの小学校にも、来た、来た、覚えてる。1年生だった子どもが4年生に
2年生だった子どもが5年生に
3年生だった子どもが6年生に
成長していて、「命の授業」を覚えていてくれました。

たった45分間だったのに、よく覚えていてくれてるなあ…。感激!
赤ちゃんの産声を聴いてもらったり、感情の大切さや
私たち、誰もが持つ『生まれながらにして持つ価値』
『他の人にない良さ』
『無限の可能性』など
についての話を、み~んな真剣に、聴いてくれました。

一人一人が思い思いに描いてくれた力作のひまわりを沢山、沢山ありがとう(^^)振り返れば、8年前、対馬に初めて呼んでいただいた時、対馬市立鶏鳴小学校の担任されていた先生は、

3年前に呼んでいただいた時に、対馬市立小綱小学校の教頭先生。

今年は、この対馬市立小綱小学校の校長先生になられています。校長先生は、8年前に初めて、クラスの子どもたちと「ひまわり先生の命の授業」を聴いてくれました。

その時の担任の子どもたち、ご自身の変化についてお話しくださいました。

「担任をしていたクラスで、2時間目に命の授業を聴いた子どもたちは、早速、昼休みに5人の子どもが、
『先生、先生、聞いて。』と、話しかけてきた。
それまでになかったことでした。

あれは、自分たちの聞いてもらいたい話を
子どもたちが、担任の私が聞いてくれるという確信を持って話しかけてきてくれたんだと思います。

放課後には、取っ組み合いのケンカが勃発したんです。
こんなこと、なかったんです。

ひまわり先生が、『嫌な気持ちを我慢しなくていい。我慢している子は、言っていいよ』と言われたからだと思います。

その日、保護者の方からの相談を親身になって長い時間聴けたんですよ。

これまでは、どこか避けていたのかもしれません。
これまでとは、違い、保護者に向き合っている自分に気がつきました。

担任の自分にも、変化がすぐに現れたんです。

あの頃は、子どもたちに対して、もっとビシビシっと言うばかりだったと思いますけど、対応が変わっている自分に気がついて…」

確かに、私から見ても、先生の眼差しは着実に子ども目線に、
温かく、優しく、
ちゃんと叱るべき所もわきまえていて、

ご自身の表情は以前にも増して優しく、和やかな雰囲気になっていらっしゃいました。

私も、こうした子どもたちや先生方の変化に励まされ、これまでの活動を続けてこられたんだなあ…。

むしろ、子どもたちや先生方に育てていただいたんだなあと感謝の気持ちでいっぱいです。

一人で開業して9年目、これまでを振り返る良い機会を頂戴しました。記念に私の8年前のBlogを貼り付けます。

***
2007年11月29日のBlog

対馬の子どもたち、ありがとう
子育て講演会の合間に対馬の小学校で『命の授業』をしました。
受けてくれたのは、鶏鳴(けいめい)小学校6年生と大船越小学校5、6年生の子どもたち。福岡からひまわり先生が来て緊張もあったそうですが、みな真剣な目で話を聴いてくれました。
共感して、泣いている子や先生もいました。
いやあ~、話している私がその純粋さに胸を打たれて涙が出そうになりました。
子育て支援センターでお会いしたお母さん方や養護の先生方も真剣で、子どもへの想いが伝わってきました。
島でも子育ては、やっぱり大変なんですね。
子育てご苦労様です。親同士や先生と協力してがんばってください。
今度はゆっくりお邪魔します
最後に、真剣に話を聴いてくれた子どもたちありがとう!



2007年12月1日のBlog

対馬の小学校の先生から嬉しいメールをいただきました
心が温かくなりましたので、ご紹介させてください

米倉先生、今日はありがとうございました。
ちょっと緊張気味の子ども達でしたが、それぞれが先生の話を真剣に受け止めていたようです。先生方とも「よかったね」「感動したね。」とずっと話しておりました。
私自身も米倉先生の授業が終わったら、子ども達に話さないといけないのに、言葉になるかな思うくらい、何度も目頭が熱くなりました。
他の先生方も同じ思いだったようです。
先生の話を聞きながら、そうだそうだ、もっと感情に共感してあげなきゃいけなかった。と、しばらく多忙な中で忘れていたことを思い出させてくれる貴重な時間でもありました。
先生の授業のあとは、子ども達の顔が少し違っていたように思います。
きっと、私の顔が違っていたのかもしれません。
本当に素晴らしい時間をありがとうございました。
寒くなってきますが、どうぞご無理なされませんよう。
いろいろな場所でたくさんの光をみんなに分けてあげてください。
本当にありがとうございました。

こんなに感じて、感謝してくださる先生に教えてもらっている子どもたち、
ほんとうに幸せですね。
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《嫌という感情の大切さ》

2015年12月18日 | こころ
《嫌という感情の大切さ》

「嫌」という感情について
人間が生まれながらにして持ってる自然な感情であるにも関わらず、
日本では、特に、否定されがちな感情…「嫌」

「嫌」は、自然に湧き上がる感情で、自分を作る大切な感情です。

特に、反抗期には、頻繁に感じます。

嫌と思うことを受け入れ共感すると、ますます、嫌だと感じることが増えて、したくないことを何にもしない子どもになってしまいそうと思いがちです。

が、逆なんです。

嫌という感情を受け入れ、共感した方が、
嫌だと感じることが減ってくるのです。

「嫌」と言う時点で、既に「しなければいけないこと」だということを
理解しているということなのです。

親から見ると、反抗ですが、
子どもの側からは、我慢しない方が
自分を作ることの出来る自然な感情です。


親が子どもの「嫌」だという感情を受け入れると、子どもが何にもしなくなると思う不安。

当然、親が抱く不安です。

「嫌」だから、しないでいいというわけでなく、そう説教すれば、する程、したくなくなるのが心理。

「嫌」を受け入れる方が、「嫌」が減るようになってます。

不思議ですね。


辞書を引いてみると

***
デジタル大辞泉 より

いや【嫌/×厭】

《「否(いや)」と同語源》
[形動][文][ナリ]
1 欲しないさま。したくないさま。きらいだ。「―なものは―だ」「ピアノのレッスンがだんだん―になる」
2 不愉快なさま。「―な顔一つせず手伝う」「会合で―な思いをする」「―な天気」→いやに
[派生]いやがる[動ラ五]いやさ[名]
[接頭]《近世上方語》名詞に付いて、いやな、いとわしい、の意を表す。「―客」「―勤め」

***

10年以上前ですが、
「欲しがるな」のワークを受けてから
「嫌」が分かるようになったことを思い出しました。

実体験からも「嫌」という感情は、自分の欲求ではないと区別するためと分かりました。

例えば、この男性の匂いは、生理的に「嫌」 (娘は、父親の匂いが嫌いだそう)

例えば、お母さんの言う通りにするのは「嫌」
(子どもは、親のお人形ではない)

例えば、先生に指示されるのは「嫌」
(子どもは、自分で考えて自発的に行動したいもの)

「嫌」という感情は、自分の欲求を大事にして
受動的になるのを回避し

生まれながらにして湧いてくる「~したい」という欲求、自発性、自立心を尊重するためにあるのだと思います。

「嫌」を感じて初めて「自立」する…

やっぱり、反抗期は、大事なんだなあ~

今日は、対馬。
対馬市立小綱小学校での講演です。
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《気にかけられたいから病気する》

2015年12月17日 | こころ
《気にかけられたいから病気する》

人は、寂しくなると、怪我をしたり
病気をしたりすることがあります。

もちろん、自ら進んで、怪我をしたい人も
病気をしたい人も居ません。

無意識です。


今回、怪我したことで、沢山の方々に優しくしてもらい、
ふと「私、寂しかったのかなあ?」って
自分を振り返っていました。

自分のことは、一番、分かりにくいものです。

気にかけられたい時に、無意識に
怪我したり、病気したりしたとしたら、
治った時が肝心です。

急に、見てもらえなくなると、また病気になりたくなる。それが、人の心です。

自分で、自分を病気にしてしまうのです。

だから、そういう人は、
しょっ中、病院にかかってしまうのかもしれません。

これは、健康である時には優しくしてもらえないけど、
健康でない時には、優しくしてもらえるから、
寂しくなったら、病気になろうという
《インナーメッセージ》

だいたい、小さい頃に、日頃かまってもらえない子どもが
病気をした時だけ、優しくしてもらった経験から、
「寂しくなったら、素直に甘えられないから、自分で自分を病気にしよう」などと
自分の内なるメッセージとして取り入れてしまいます。

親が忙しかったり、大変そうだったりすると、そうなりがちです。

そして、このインナーメッセージを軽くするには、寂しい時には、
「寂しいから、かまって」と人に甘えることが出来るようにすることです。

もし、あなたが親であれば…
子どもが病気の時に優しくするだけでなく、
病気が治った時に、病気が治ったことを喜び、変わらず優しいことが大事です。

何よりも病気ではない健康な時から優しくすることです。

子どもならずとも、大人同士でも
やはり
日頃から優しくされたら、病気になる必要もないですね。

もし、人に優しくしてもらいたかったら、
ずっと受身でいたり、諦めるのでなく、
「人に自分から甘える」ことも重要です。

ああ、つくづく…
日頃から、人に甘えることは難しいし、
甘えられることが大切ですね。

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傷は癒される

2015年12月16日 | こころの子育て
《愛ある環境の重要性》

愛のない環境、守られない環境から救出して、
守ってくれる、愛してくれる環境に子どもを置くことが大切です。

環境を改善する可能性があれば、改善するための親のカウンセリングが急務です。

子どもにとっての環境とは、親だけではありません。

保育士さんや学校の先生方も、また子どもにとって重要な良くも悪くも影響の大きい環境です。

子どもを木に例えると、根っこの部分に影響があるのが、親や家族。

木の幹の根幹の部分に影響があるのが、親、家族、親戚、先生、友だち、近所の人々など。

昨日は、糟屋郡宇美町のしーず宇美で講演後、福岡市立鶴田小学校に伺いました。

教職員研修で、
「カウンセリングの視点からの子どもの見方・褒め方・叱り方
~子どもたち生まれてきてくれてありがとう~」
と、いうテーマでお話させていただきました。

先生方が、より子どもの心を理解し、言葉かけ、接し方を改善して、子どもが心身ともに健全に育つお手伝いになればと思っております。

***

虐待された子どもに、脳の変化が生じるという研究結果があります。

福井大学 友田 明美著
「いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳」
***

虐待によって子どもの脳が変化するのは、
シナプスの刈り込み現象のせい。

子どもの脳は2歳ごろまで、シナプスの数が急速に増え、多めに形成されます。

その後16-24歳ごろまで、不要なシナプスを刈り込み、神経伝達の効率を高めていきます。

このシナプスの刈り込み現象によって、
子どもの脳は思春期ごろまで柔軟性に富みます。
何か不具合なことがあれば、それに対応することができるのです。
これは神経回路を柔軟に作り変える可塑性として知られています。(p51-52,98,125)

子どもの脳に柔軟性があって、虐待を受けても、それに対応できるように脳が変化するということ。

友田先生は虐待によって脳に変化が生じる意味をこう説明しています。

***
われわれからみたら、虐待というのは非日常的で普通ではない状態である。

しかし被虐待児は「日常的で普通の生活」を経験したことのない者がほとんどであるから、
たとえそれがストレスフルな状況であっても、その環境を疑うことができない。

ゆえに、耐え難い苦痛や恐怖の中でも、何とかして生きていく術を身につけていく。

…これは戦争体験などにはみられない、特異な反応の仕方である。 (p108)

DVを目撃しつづけた子どもの視覚野が小さくなっているのは、
母親がひどい目に遭わされるショッキングな光景を見ないでよいように脳が適応した結果です。(p76)

親から日常的に暴言虐待(バーバル・アビュース)を受けてきた子どもの聴覚野に発達の変化があるのは、
聞くに堪えないののしりを聞かないで良いように脳が適応したからです。(p131)

海馬が萎縮するのは、ひどい状態に対処しようとして、ストレスホルモンであるコルチゾールを多量に分泌した結果です。
扁桃体が過敏になるのは、生き残るために“逃走か闘争か”に徹した結果です。(p40,61,127)

虐待を受けた子どもの脳に見られた異常は、避けられないストレスにあらがい、
普通でない日常を生き抜こうとして、脳の柔軟性をフルに用いた成果なのです。

友田先生はこう結論しています。

虐待による脳の変化は、冷酷な世界を生き抜く“適応”ではないのだろうか。

…ホルモンの量がわずかに変化し、子どもの脳神経の配線を“適応”という形で永久に変えてしまう。
そして他人の不幸を喜ぶような冷酷な世界でも生きていけるように適応していけるのである。(p127)

愛情遮断症候群の子どもの場合、
患者を劣悪な環境から切り離すことで急速に改善することが知られています。
(p93)

写真は、学校で研修会場の二階の教室に
お姫様抱っこで運んでもらっている姿~
恥ずかしがりながら、甘える猛練習中!
愛ある環境に感謝(礼)
傷は、着実に癒されております。
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成し遂げるには

2015年12月12日 | 命の授業
昨日は、佐賀県の三瀬に向かう途中にある曲渕ダムのすぐそば
福岡市立曲渕小学校に伺いました。

全校児童26人とお父さん、お母さん、地域の方、先生たちにお話させていただきました。

久留米 、人吉、北九州などの小規模校にも伺いましたが、
これまで伺った中で、一番児童数が少ない学校でした。
特に、親御さんの参加が多かったです。

「ひまわり先生の命の授業」
~子どもたち生まれてきてくれてありがとう~

子どもたちの真剣な眼差し、素直な応答、純粋な心に触れて、幸せな気持ちになります。

講演を聴いて、泣いている子ども、大人を見ていると、涙を流せて良かったと思います。

その上、足を負傷中で、毎日、色んな方にお世話になります。

ご迷惑おかけしますが、
身近な人、見知らぬ人に親切にしていただき、
返って感謝の気持ちでいっぱいです(礼)


《成し遂げるには》

あなたが「こんなのできない!」と考えている間に

誰かは「できる!」と考えているものです。

ロバート・キヨサキ


金持ち父さん貧乏父さん」という本が世界的なベストセラーになったロバート・キヨサキさんの言葉。

***

《できないかもしれない》と、考えて無駄な時間を過ごすなら、

《できないかもしれないと考えている時間》に

どうやったら、できるかという《できるための方法》を考えて、

その成功ために《できるための努力》をすればいい。


何かを成し遂げるには、ただ
《実行する》
《練習する》
《失敗する》
《試行錯誤する》
のみ。
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講座 & フランクル その2

2015年12月10日 | 講座

明日は、朝から博多駅前の朝日カルチャーセンター。

まだ、間に合いますよ。タイプ別の接し方の講座。

楽しいですよ~*\(^o^)/*

自分と相手のタイプをまず、知ること。

違いを知り、自分も相手もOKだと知る。

誰にでも、長所、短所があり、私たちは、補い合って生きている。

お互いの良さを尊重し、認め合い

自分にも、相手にも優しく出来たらどんなにらくでしょうか。

12月11日金曜から参加できます。

朝9時30分に博多駅前の朝日カルチャーセンターにお越しください。

朝日ビル8階です。
さて、この前からBlogで紹介している「夜と霧」のヴィクトール・フランクルは、
この様に述べています。

「私たちは、3つの異なった方法で、人生の意味を発見することができる。

それは、

①よいことをすること

②価値のある体験

③苦しむことの3つである。」

わたくし、ただ今、価値ある体験中!

明日は、朝日カルチャーセンターの後は、曲淵ダムの近くの福岡市立曲渕小学校で
「ひまわり先生の命の授業」です。

楽しみです。

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ありがとうございます

2015年12月09日 | ラブレター
ご心配おかけします。足は負傷しても、心は至って健康です。

昔の私は、身体の不調=心の不調になってたんですが…。
こんな時、犠牲者にならなくなりました。

色々と、ご迷惑をおかけします。

「甘える」練習中です。

人様からの好意を受けて、有り難く
それと同時に、つくづく恐縮し過ぎる自分を感じます。

「すいません。」と、ペコペコしてしまう。

いけない、いけない。

✖️「すいません。」でなく

◯「ありがとう。」

ペコペコせずに、素直に感謝しよう。

日本には、相手に何事かを依頼する際に添える言葉が沢山あります。

「お手数ですが 」

「たいへん恐縮ですが 」

「ご迷惑をおかけしますが 」

「申し訳ありませんが」

「ご面倒かとは存じますが」


この様に、日本語は、人にものを頼みにくい言語であり、

この言語の背景にある
「迷惑をかけないように」という考え方は、
日本の美しい文化でもあります。

東日本大震災の時に、略奪もなく、ひもじくても静かに行列に並んだ日本人は、
世界中から、賞賛されました。

日本のこうした協調、謙遜の文化は、私も大好きな文化。

その「謙遜」「協調」を忘れないで、

その上で、素直に人の好意に甘え、感謝することは、

さらに、人生を豊かに生きていく上で、「幸せの鍵」となると、痛感し、
むしろ心は豊かになっている気がします。
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《今までで、一番幸せだったことは何ですか?》

2015年12月08日 | こころ
《今までで、一番幸せだったことは何ですか?》

例えば

パートナーに出会ったこと

子どもが生まれたこと


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甘える練習中!

2015年12月07日 | こころ
感謝の気持ち…。仕事はできる程度に足を負傷し、少し動くのにも不自由。

そんな時に受ける好意、好意。

人から頼まれること、甘えられることは、苦にならないどころか、
嬉しいくらいなのに

ナント人にものを頼めないことか!

「ちょっと、そこの物を取って」

この一言を言うのも、しんどい…。

甘える練習。

体は痛くても、心は感謝の気持ちであたたかいです。

身体が健康でなくても、心は健康!


先日、Blogに書いた「幸福」ウェル・ビーイングについて、
少し分かった気がします。

「幸せを目指すということ」って、
ウェルビーイングを目指すということ。

***

well-being 直訳すると「幸福」。

WHO1946年の草案がもとになった言葉。

「健康とは身体的・精神的及び社会的に良好な状態(well-being)であって、
単に病気ではないとか、虚弱ではないということではない。」

とされています。
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今年の一文字

2015年12月05日 | ワークショップ
早いもので師走。


今年一年を振り返り、
あなたの2015年、この一年を漢字一文字に例えると、何になりますか?


昨日は、カウンセラー養成講座の前に
ワークショップをして、恒例の今年の振り返りをしました。

みんなの2015年今年の一文字

◯楽
◯学
◯己
◯継
◯由
◯楽

心から楽しむことがなかった人→今年はホントに楽しんだ

考えずに、まず行動していた人→いっぱい学んだ

人に合わせて自分がなかった人→己が出来てきた

やり続けるのが苦手だった人→継続した

色んなことに挑戦しなかった人→たくさん経験した

自分は我慢ばかりして楽しめなかった人→自分が楽しんだ
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