ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

《周りが幸せじゃないと、私は幸せを感じちゃいけない》

2016年04月28日 | こころの子育て
《周りが幸せじゃないと、私は幸せを感じちゃいけない》

・不幸でないけど、幸せじゃない

・何のために生きているのか、分からない

「幸せ」というのは、考えて分かるものではなく、感じるもの。

例えば、先進国で、食べ物にも着るものにも、住む所にも不自由してないから
「幸せと思わなきゃ」

と、私たちは頭で納得しようとしても、案外「幸せ」だとは思えないものです。

小さい頃に、お母さんが不幸そうにしていると、
私たちは「自分も幸せと思っちゃいけない」と思うかもしれません。


お母さんが幸せそうにしていたら、子どもは、それだけで幸せを感じるもの。

子どもが幼稚園に行ってる間に、
スイーツとお茶でちょっとゆっくりする
なんて、大事なこと。







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カンボジア料理

2016年04月27日 | オススメです
カンボジア料理、福岡で食べられます。

今回、カンボジア行きのきっかけは、このお店、福岡県庁前にある「シェムリアップ」。ランチタイムは、県庁マンで賑わいます。

明るくて働き者の店主のスロスさんは、カンボジアご出身で、日本で家庭を持って暮らしておられます。

福岡に留学中のカンボジア人の学生さんの相談相手になることもあります。

「私は、14歳の時から屋台でお料理してました。
お母さんが亡くなったから。
だから、私は、学校に行けませんでした。」

カンボジアでは、医療が充実しておらず、日本で助かる様な病気や怪我でも命を落とす人が多いそうで、そのため孤児も多いです。

「プノンペンに行くなら、
お寺で勉強している子どもたちの所に連れて行きたい。
文房具がないから、ノートと鉛筆を持って行ってください。」

スロスさんは、福岡市に構えたこのお店で、
長年(日本で言えば、中学生から)プノンペンの屋台で働いて磨いたカンボジア家庭料理の腕を振るいます。

いただいたランチは、写真のAセット600円。

・米粉のうどん(クィーテオ)

・牛肉のオイスターソース炒め
(カンボジアで採れたての黒こしょうがスパイス)

他にグリーンカレー600円、カンボジアコーヒー200円もあります。


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プノンペン大学日本語学科の学生さん

2016年04月24日 | 行ってきました
カンボジアで最も大きい大学と言えば、王立プノンペン大学。1948年に設立された、カンボジアで最初の高等教育機関なのだそうです。プノンペン大学から、日本政府による留学奨学生として福岡で一年間過ごしたリマさんを訪ねました。彼女は、日本語学科で猛勉強中、日本語がとても流暢です。日本語学科には、日本語の本が沢山ある図書館大きな木の下にはテラス皆、講義が終わっても、大学に残って自主的に勉強していました。
因みに、「木の下で涼しいんです」と聴きましたが、とはいえ、オープンテラス。
この日の最高気温は41℃です。

熱中症にならないようにと、せっせと水を飲んでも、
民さんと私の顔が火照って紅くなってます。「この大学に来たら、勉強しないといけないんですよ。」と、リマさん。写真の男子学生さんは、
「実家が小さな商店をしています。
私は、日本の大学に行った後、日本のコンビニの会社で仕事をして、行く行くはコンビニをカンボジアに持って来たいです。」
と、とても流暢な日本語で夢を語ってくれました。リマさんは、日本に来ていた時、勉強したいと思っているのに、生活のためにアルバイトに追われてしまいあまり勉強できなかったと悔やんでいました。

カンボジアでは、内戦等によって残された地雷の被害や、児童買春、横領、詐欺などの問題もありますが、その根底にあるのは、貧困の問題です。
SNA(国民経済計算マニュアル)に基づいたデータ
<出典>
IMF - World Economic Outlook Databases (2016年4月版)

写真は、カンボジアのシェムリアップに出来たAEONの食品売り場のお寿司コーナーの前。
彼女は、こんな悩みを話してくれました。

「私は日本の皆さんが働いて納めた税金で留学させてもらっているのに、
期待に応えることができているのかといつも悩んでいました。
そして私は、日本のために何ができるんだろうと考えています。」

留学生がこれ程までに期待に応えないといけないと考え、プレッシャーを感じていたと知り
益々応援したい気持ちになりました。

そして、私なりに、彼女にこう答えました。

「これは、私個人の一意見だけど、
もちろん日本とカンボジアの架け橋になってくれるのは、嬉しい。

でも、何よりも
あなた自身が幸せになることを考えて欲しい。
ポルポト時代で教育も受けられなかったお母さんの心配をするなら、
まずあなたが幸せになる姿を見せてあげて。

そして、あなたの幸せが、私の幸せ。」


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カンボジアの小学校

2016年04月22日 | 行ってきました
カンボジアの首都プノンペンから飛行機で40分
世界遺産のアンコールワットで有名な
シェムリアップという観光地に来ました。

道路脇にズラッと待機しているのは、カンボジアのタクシー、トゥクトゥク。
バイクで客の乗る荷台を引きます。
シェムリアップの都心部から車で30分地元の人たちが利用する市場で買い物をしました。気温40℃を超える暑さで生肉も置いてあって、衛生状態はあまり良くないので、しっかり火を入れてしか食べられません。日本にも1970年代くらいまで、こうした駄菓子屋さんの様なお店があったので、懐かしい感じがしました。
また、さらに30分車で移動します。
赤い土の道路はタイに通じる道で、
おおがかりな舗装工事中です。お父さんと一緒に楽しそうに歩く子どもやバイクの横には、多くの工事用の車両と
バンやトラックの荷台に労働者がすし詰め状態で行き来しています。
そして、ようやくある村の小学校に到着しました。この学校では、スペイン人の先生がボランティアで英語を教えていらっしゃいました。そこにお邪魔させていただきました。
・世界地図で日本はどこにあるのか?

・東京オリンピックが2020年に開催されます

・Hello、「ソクサデイ」は、日本語で「こんにちは」

・Thank you.「オックン」は、「ありがとう」と言うから言ってみて

とか、やり取りをして、「村のにわか先生」になった気分。

お礼に歌を歌ってくれました。半年~一年くらいしか英会話を学んでない子どもさんから
「お名前何?」と英語できかれたり

逆に英語で年齢を訊くと、
「6歳」「14歳」「16歳」
自分の年齢を答える事が出来て素晴らしいです。

ほんのちょっとしたことでも目の輝く子どもたちと触れ合い、
日本に忘れたものがあるのではないかと考えました。
この交流は、私にとって大切な経験となりました。案内してくれたカンボジアの方によると、
お金や物資など、何か支援したければ、
直接手渡しをしなければしなければ間に入った人が、お金をいくらかくすねてしまうこともあるそうです。この小学校の川隣りの小学校にも行ってみました。綺麗な校舎に日本の支援団体の名前があったので、尋ねてみると
校舎を建てたのでなく、ペンキを塗りなおしてくれたんだそうです。
ミンチェイ小学校に来ている子どもは、幼稚園5歳~6歳 35人
6歳~12歳 約300人だそうです。校舎3つのうち、2つしか使えず、教室が8部屋しかないため、
一つを幼稚クラスが使用し、あとの7つの教室には、50人の子どもが学んでいるそうです。
「教室が足りないため、一つの教室に
違う学年の子どもと学ぶため、高学年の子どもの学びが進まない。」「2008年に建てた校舎は、約40,000ドル
人件費高騰のため、新しく校舎を建てるとすれば、約50,000ドルかかるだろう。
寄付をもらえるならば、村人からもお金を集めて、合わせて建てたい」と
35歳のプワット・サート先生は、語る。

中庭には、枯れてしまったので、65メートル掘っても出なかった井戸と
World Food Programが朝食を食べさせてくれる小屋もありました。

確かに、老朽化した校舎の中はボロボロです。
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アンコールワット

2016年04月20日 | 行ってきました
アンコールワットに行ってきました。1181年に出来たそうです。
砂岩を象で運び、莫大な人数で
石畳み、回廊、寺院を建立し、
漆や金を塗った時代もあったそうです。地上65メートル。宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」そっくりの天空の城。
天国と呼ばれる第3回廊に登らせてもらいました。本来の階段は70度以上の角度があります。炎天下の中、1日で1万歩以上歩きました。少し絞れたかなあ~

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プノンペン

2016年04月20日 | 行ってきました
福岡からシンガポール経由で、
カンボジアの首都プノンペンに到着しました。福岡国際空港10時発ブノンペンの空港に20時着ですから
約10時間かけて、ようやく着きました。

映画「3丁目の夕日」で観た日本の戦後の復興期のようなゴチャゴチャと
経済成長の勢いを感じます。気温39℃
湿度90%です。


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カンボジアにいってきます

2016年04月18日 | よもやまばなし
やはり、2度目の大きな揺れが本震だったそうです。お見舞い申し上げます。

避難所から戻って、片付けが大変です。

気が張ってる間は、まだいいけど、
一段落してからは、特に、心のケアも大切になります。

福岡国際空港に来ています。

いきなりですが
今からカンボジアにいってきます。

4月22日金曜に帰国します。

申し訳ありませんが、18日~22日朝まで、携帯もメールもつながりません。

里親さんの民さんと一緒です。

民さんは、カンボジア8回目で、全てお任せの旅です。

無事を祈っていてください。
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《息をし続ける限り、私たちは希望をもち続ける》

2016年04月17日 | メッセージ
コメントありがとうございます。
怖くないって否定されると、怖さが増すんですね。

感情を受け容れ、怖さを減らすために、
子どもが怖がっている時は、
子どもを抱きしめて
「怖いね」
「怖くていいよ」



《息をし続ける限り、私たちは希望をもち続ける》

これだけ余震が続くと、安全な家に住んでいる有難さを感じると同時に、
でもこの家は、いつか倒壊しないかという不安もよぎります。

福岡まで講義にお越しいただいた
弁護士の角田由紀子先生と打ち合わせの時に

「阪神大震災の被災者で、
家が倒壊して亡くなった人は、一人暮らしの女性が多かったの、なぜか知ってる?」

と、問いかけられました。

答えは、男性に比べて、女性は所得が低いために、受け取る年金も安く
倒壊してしまい易い家にしか住めないからだそうです。

そう、そう、日本の子どもの貧困が問題となっていますが、貧困家庭の多くも、
「母子家庭の母親の所得の低さ」
が原因だそうです。

こうして学んだことから
「日本の子どもたちの明るい未来」を考えた時に
虐げられてきた女性の所得を上げることは、
とても大切なことだと思うようになりました。

そして、こうしている今も
熊本では、家が倒壊したり、物が散乱して避難生活をされている方々がいる。

この困難を乗り越えられるという、希望を持ちたい。

以下、オバマ大統領が大統領選の時に行ったスピーチから一部抜粋してご紹介します。

***
私たちがこれまで達成してきたことを見れば、これから先さらに何ができるか、何をしなくてはならないかについて、希望を抱くことができるのです。

今回の選挙には色々な「史上初」があり、これから何世代にもわたって語り継がれるいろいろな物語がありました。
けれども私が今夜なによりも思い出すのは、アトランタで投票したひとりの女性の物語です。

彼女はほかの何百万という人たちと同様に、この選挙に自分の声を反映させようと行列に並びました。
ただ1つだけ、ほかの人と違うことがあります。アン・ニクソン・クーパーさんは106歳なのです。

奴隷制が終ってから一世代後に、彼女は生まれました。
道路を走る自動車もなければ、空を飛ぶ飛行機もなかった時代です。

その時代、彼女のような人はふたつの理由から投票できなかった。
女性だから。
そして皮膚の色ゆえに。


さらに私は今晩、アメリカで生きた100年以上の間にクーパーさんが目にした、ありとあらゆる出来事を思っています。
心を破られるほどの悲しみ、そして希望。困難と、そして進歩。
そんなことはできないと言われ続けたこと。
にもかかわらず、ひたむきに前進し続けた人たちのこと。
あのいかにもアメリカ的な信条を掲げて。
Yes we can。私たちにはできる、と。

女性は沈黙させられ、女性の希望は否定されていた時代にあって、クーパーさんは生き続け、女性が立ち上がり、声を上げ、そしてついに投票権に手を伸ばすのを目撃したのです。
Yes we can。私たちにはできるのです。

アメリカの大草原に絶望が吹き荒れ、大恐慌が国を覆ったとき、クーパーさんは「新しい契約(ニュー・ディール)」と新しい仕事と新しく共有する目的意識によって、国全体が恐怖そのものを克服する様を目撃しました。
Yes we can。私たちにはできるのです。

この国の湾に爆弾が落下し、独裁が世界を支配しようとしたとき、時の国民が立ち上がり、偉業を達成し、そして民主主義を救うのをクーパーさんは見ていました。
Yes we can。私たちにはできるのです。

クーパーさんは(人種隔離政策が行われていたアラバマ州)モンゴメリでバスが黒人を差別するのを知り、
(同州)バーミングハムで警官が消火ホースの水でもって黒人を抑圧するのを知り、
(流血のデモ行進が行われた同州)セルマの橋を知り、
そしてアトランタからやってきた牧師と時代を共有しました。
アトランタからやってきたその牧師は人々に「We shall overcome(私たちは克服する)」と語った。Yes we can。私たちにはできるのです。

人が月面に着陸し、ベルリンでは壁が崩壊し、われわれの科学と想像力によって世界はつながりました。

そして今年、この選挙で、彼女は指でスクリーンに触れ、そして投票したのです。
なぜならアメリカで106年生きてきて、幸せな時代も暗い暗い時代もこのアメリカでずっと生きてきて、クーパーさんは知っているからです。
このアメリカと言う国が、どれほど変われる国なのか。

Yes we can。

アメリカよ、私たちはこんなにも遠くまで歩んできました。
こんなにもたくさんのことを見てきました。
しかしまだまだ、やらなくてはならないことはたくさんあります。
だから今夜この夜、改めて自分に問いかけましょう。
もしも自分の子供たちが次の世紀を目にするまで生きられたとしたら。
もしも私の娘たちが幸運にも、アン・ニクソン・クーパーさんと同じくらい長く生きられたとしたら。
娘たちは何を見るのでしょう? 私たちはそれまでにどれだけ進歩できるのでしょうか?

その問いかけに答えるチャンスを今、私たちは手にしました。今この時こそが、私たちの瞬間です。

今この時にこそ、私たちは人々がまた仕事につけるようにしなくてはなりません。
子供たちのために、チャンスの扉を開かなくてはなりません。
繁栄を取り戻し、平和を推進しなくてはなりません。
今この時にこそ、アメリカの夢を取り戻し、
基本的な真理を再確認しなくてはなりません。
大勢の中にあって、私たちはひとつなのだと。

息をし続ける限り、私たちは希望をもち続けるのだと。
そして疑り深く悲観し否定する声に対しては、そんなことできないという人たちに対しては、ひとつ国民の魂を端的に象徴するあの不朽の信条でもって、必ずやこう答えましょう。

Yes we can。

ありがとう。神様の祝福を。そして神様がアメリカ合衆国を祝福しますように。

(2016年4月17日日曜日 )


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余震が続いて怖い…心のケア

2016年04月16日 | こころの子育て
写真は、博多駅前の植え込みのツツジの花。2016年4月17日日曜日に博多駅前のカウンセリングルームで予定しています
ワークショップは、予定通り開催します。

16日に日付が変わった直後一時半ごろに
福岡でも震度5~4の余震?にしては
すごく揺れました。

ひょっとしてこれが、本震?と思うほど
九州では、珍しく揺れました。

熊本の方は、今回の夜中の揺れで、
食器棚が倒れて、食器などが散乱して
避難所に避難した方もいらっしゃいます。

何よりも、スマホの地震警報で目が覚めて、突然の大きな音に驚き、
その後も何度か地震警報で眠れませんでした。

関東の方々は、慣れていると言われていました。

それにしても、九州では、ここ数十年
これほど余震を頻繁に経験したことがなく
「心のケア」が大事になってきますね。

不安が大きくなった時、
ビックリした時、
恐怖を感じた時、

「守られている」

と感じられることが大切です。

特に、小さい子どもが「守られている」と感じるためには、

・一緒に居てあげること

・抱きしめること

・優しく、軽くタッチすること

・目を合わせること

・互いにほほえみあい、笑顔には必ず応えること

・興味を持って話しかけること


家族、近所の人、知人にも、実行したいものです。

今日は、一日「親育ち」について勉強しています。








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《地震が怖い》

2016年04月15日 | こころ
《地震が怖い》

熊本益城町で震度7

熊本市内でも震度6弱~5


突然の揺れ、さぞかし怖かったでしょう。

食器が割れて、散乱したお宅も多いようです。

余震もまだまだ、警戒しないといけません。

お見舞い申し上げます。


東日本大震災の時は、テレビを見て
それがトラウマの様になってしまった方もおられました。

衝撃的な映像を繰り返し
見たり、聞いたりするのも考えものですね。


福岡市では、震度4で、その後の余震も何度も感じました。

昨日は、福岡市在住の人で、夕方急に頭がすごく痛くなった人もいて、地震の予知かもと言ってました。


関東でも強くはないけど、長く揺れを感じたという方もいるそうで、遠いほど長く感じるという方もいます。


さて、「怖い」の感じ方も人それぞれです。

夜中に震度3~4の余震、「怖かったね」と家族に言うと

大学生の息子は、
「お母さんは、怖がりやね。僕は、金魚と思いよった」

「金魚」とは、保育園時代にしていた「さくらさくら体操」で、
身体を金魚の様に動かして
身体の力を抜いてリラックスする体操のこと。

お主もやるのう。怖い時は、頼れそう。

それにしても、子どもさんやお年寄り、怖がりの人には、

✖️決して「怖くない」と、抑えずに

こんな時こそ、そばに居て

◯「怖いね」と、守ってあげてください。


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《うどんが食べられる幸せ》

2016年04月13日 | オススメです
《うどんが食べられる幸せ》

日本の食文化は素晴らしい!

特に、博多の食文化は、安くて美味しいとばい!

何だか、博多華丸さんみたいですが、博多発祥と言われるうどん。

その中でも、お出汁のしっかりした「博多のうどん」が好きです。

博多駅バスターミナル地下に
新しく「牧のうどん」が開店してました。

ここは、子どもたちが小さい頃家族で良く行ってました。

大量の昆布で出汁を取り、お店にある大きな機械で自家製麺、
テーブルには、一味唐辛子と並んで、
刻んだネギが大量に置いてあって、うどんに入れ放題なのが嬉しい。

ネギは、食べている途中で、たくさん追加して入れても怒られません。

牧のうどんのうどんは、食べても、食べも下から麺が湧いてくる感じがします。

博多華丸さんによると、博多のうどんは茹で方が柔らかく、スープを吸うからだそうです。

私の好みの麺は少し硬目です。
そこで、私は麺を「硬めん」で注文。

かしわ飯が大好きだから、ミニうどんとかしわ飯のセット 630円をオーダー。ニューヨークのマクドナルドでパンケーキが9ドル、オレンジジュースが2ドル弱だったから、
このミニうどんセットのお値段はかなりお得感があります。海老天と肉、麺もたっぷり、ミニうどんとは呼べないほどじゅうぶんな量とトッピング。

牧のうどんでは、一人一人のお盆に、急須に入ったお出汁も付いてくるので、
お出汁も追加しながら、最後まで熱々で美味しくいただけます。

アメリカで、毎日の様に
サンドウィッチやハンバーガーを食べていると

口がバサバサしてきて、必ず、汁物が食べたくなります。

そう、そう。
ニューヨークで、ブロードウェイに向かっている時に、「札幌味噌ラーメン」を発見し、すぐ様入店。

生真面目そうな「タナカさん」が「いらっしゃいませ」と迎えてくれ、
ここの味噌ラーメンは観光客やニューヨーカーにも大人気、ボリュームたっぷりで、イイお味でした。味噌ラーメン、カツカレー、チキンカツカレーとも、12ドルでした。(115円で計算すると1.380円な~り!)



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《怒りの奥の深い悲しみ》

2016年04月11日 | こころ
写真は、博多駅前の広場に咲くチューリップ♪
《怒りの奥の悲しみ》

悲しい時泣きたいけど
泣けない時も多い。

小さい頃に「泣くな」
と、怒られて
直接的に禁止された人もいれば

親が辛そうなのを見て、親に気を使って自分は泣けなかった人も多い。

または、親が決して泣かない姿からも
子どもは、「泣いてはいけない」というインナーメッセージを受け取ってしまう。

悲しくなるのは、自然なこと。
「悲しい」のは、自然な感情。

仲間はずれにされた

人から否定された

人から認めてもらえない

つらいことがあった

大切な人が亡くなった

大切な人と離れ離れになった

夢を失った

失望した


こういう辛いことを乗り越えるために
私たちには、「悲しみ」という感情が備わっている。

「悲しみ」を抑えると

「イライラ」になりやすい。

「悲しみ」をずっと、ずっと抑えると

「攻撃的な怒り」になってしまうこともしばしば。


「怒りの奥に隠れている悲しみ」は、深い。

いっぱい泣いていいよ。



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《地域の大人が安全基地になって子どもを見守る》

2016年04月09日 | こころの子育て
「ただいま」です。

「おかえりなさい」のコメントありがとうございます。
こうして、皆さんに見守ってもらって、幸せです。

ようやく、移動の疲れ、時差ぼけも癒され、日本時間に戻り
映画も二本「リリーのすべて」と「ルーム」を観ました。

どちらも決して経験することのないであろう
想像を絶する状況。

映画は、自分が経験できない人生を体験したかの様な感情や知恵を知ることが出来るので好きです。

その微妙な心理状態が、無言や眉間のシワなどで巧妙に描かれ
観た後も主人公たちの心のヒダを感じて、
心にぐっと来ました。春は新たな出発の時、そしてお別れの時でもあります。

この春、大切な人が旅立たれた方、

ご自分が新たな出発をした方、

春はワクワク、ドキドキ、嬉しくもあり、
しょんぼり…寂しくもありますね。

さて、火曜日のお昼休みに
今年最期のお花見を楽しもうと、
近くの公園の桜の木の下でお弁当を食べました。

舞い散る桜ではしゃぐ子どもたちに話しかけるお花見のサラリーマンたち。

こんな光景を見て「日本って良いな」って、思いました。

私も子どもの頃に
近所の大人に沢山 声をかけてもらい、
見守ってもらい、
地域全体が安全基地となって
育ててもらったと思っています。

特に、習字の白いお髭のおじいちゃん先生が大好きでした。

「けいこ、来たか。」と、ニコニコ迎えてくれ、

お習字を書く時は、余計な介入もせずに見守ってくれて

沢山の中から、自分がコレだと思う作品を持って行くと
「けいこ、良くかけとる。」と、赤い細筆で丸を沢山、沢山書いてくれる。

だからでしょうか…
サラリーマンが話しかけて子どもたちも楽しそうに触れ合う光景を見て、
私は「幸せ」と感じました。

私たち大人が、子どもたちを温かく見守っている地域作りをしたい
古き良き日本に戻りたいと願っています。

季節の変わり目、
環境の変化の時、
皆さんも、どうぞ、ご自愛くださいませ。
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《他人と過去は変えられない》

2016年04月03日 | カウンセリング
帰国しました。公園の満開の桜に癒されてます
《他人と過去は変えられない》

よく相談を受けます。

心のことを勉強する前は、

相談者がアドバイスも聞いてくれず、状況や状態が悪化すると、

相談を受けた私まで苦しくなってました。

「他人と過去は変えられない」

と、習って、とても楽になりました。


相手が相手の意志や偶然の出来事などで変わることはあっても、
私が相手を変えることは出来ないということ。

私が変えられるのは、今の私自身だけ。

私が変わり、相手との関係性の中で相手が変わることは、あります。

ただ、相手が変化することを目的としたカウンセリングは、ないのです。

あくまで主体は、自分。

相談してもらう時、こんな私でもサポートできることに喜びを感じます。

根底には、自分もOK、相手もOKという大切な考え方があります。

人間は、行動を間違うことはありますが、本質的には価値があり、尊厳があるということ。

そして、生まれながらにして、生きようとし、大切に扱って欲しいと願い、かまって欲しい、愛されたいと願い、人にも優しくしたい、人と親密になりたいと思う、
それが叶うと心地よく、
叶わない時に心地よくないからあの手この手で訴えるために、問題行動になることもある。

私たちは、元々人に関わりたいと願っていて、人の幸せも願い、自分も幸せになりたいと思っている。

こうした本質的なことを理解していると、今、目の前にいる人が
頑固でも
回避的でも
批判的でも
そのままを肯定できる。

どうやら、相手を変えようとする時にイライラしたり、悲しくなったりするらしい。

そして、変化への怖れを抱えつつ、変化したいと願った時にはサポートをするのが私の役目。ひとの痛みに共感する優しさを持ち

怖くても自分の問題に向き合い、立ち向かう勇気を持ち、

体験から得た熟達した知恵を豊富に持ち、

自分も相手も信頼し、

「自分は完全でない」と心から理解している謙虚さを持ち、

分け隔なくすべてをそのまま受け止め、相手の幸せを心から願うことのできる慈しみを持って

人に接したい。それが、私の目指す姿。
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不動産王トランプ氏のガラス張りのビル

2016年04月02日 | 行ってきました
トランプ氏の人気は、どんな意味があるのでしょうか?

アメリカ大統領選は、元俳優さんのレーガン氏が当選した時も異様だったと言われています。

そびえ立つトランプ・タワー を見ました。多くの美術館やセントラルパーク、ブランドショップ、デパートがすぐそば、マンハッタンの目抜き通り。

2016年アメリカ大統領選 有力候補のドナルド・トランプ氏は、ニューヨークの不動産王の二代目。テレビをつけると、トランプ氏について頻繁に報道されています。

自己顕示欲が旺盛であると言われ、各種メディアに積極的に露出し、移民に対する暴言などを叩かれながらも メディアの批判を上手く利用して返って人気を博しています。

自らが開発・運営する不動産に「トランプ・タワー」、「トランプ・プラザ」など、自分の名前をつけています。

「トランプ・タワー」は、1983年に、ニューヨーク五番街に建設されたガラス張りの巨万の富の象徴の様な派手なビル。80年代のトランプ氏の代表作として知られ、高級アパートメントとショッピングモール、オフィスエリアを擁する複合施設。

80年代にはスピルバーグやマイク・タイソンといったセレブが入居しており、
現在もハリソン・フォード、ビヨンセなどの有名人が住んでいるとか。閑静な住宅街に住んでいるイメージのセレブ…

こんな賑やかな観光客や買い物客で賑わう目抜き通りに面したマンションに住んでいるとは…
ビックリしました。

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