ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

月夜の対馬にて

2015年08月30日 | 行ってきました
対馬に行ってきました。韓国からの観光客が年間19万人だそうで、カラフルなウィンドブレーカーが目印。
人気の秘密は、お買い物だけでなく、やはりリアス式海岸の美しいこの大自然。

満月の夜の月明りに照らされる海。

草の匂い

秋の虫の声

人々のあたたかさ、優しさ

癒されました。

対馬の音楽祭「つしま海道音楽祭」にお邪魔しました。

ハワイ出身のKONISHIKIが、ウクレレで演奏しながら、歌い
対馬の美しい自然と海の幸に触れて
もっと宣伝しないともったいって
対馬の若者たちにエールを送っていました。

ほんとにそう。写真は、穴子の刺身です。

それから、夏のご褒美を対馬でいただきました。
♩「桜」「愛の歌」の河口恭吾さんにサインをいただきました*\(^o^)/*


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達成感

2015年08月27日 | こころの子育て
一度始めたお稽古事などを途中で止めた時に何と言うか?

自分に
子どもに
家族に
誰かに

「あなたが、したいと言ったでしょう~、
途中で止めるなんてダメ!
最後まで続けなさい」


たしか、私もそう言われたような…

小さい頃に、そんな風に言われて育つと
子どもは、達成感を感じることが困難になり、

「自分は、何でも中途半端でダメだ。成功できない。」

などと思ってしまい
ほんとうにしたいことをやり始めることが困難になったりする。

やりたくないと感じても、やりたくないことを続け、
また、次にやりたくなったことは、なかなか始められない。

そして、成し遂げることが困難になる。

本当は、これじゃなくて、あれがしたかったと目移りする。

成し遂げられないと自分を責める一方、成し遂げていないことだらけ。

長い人生を振り返ると
成し遂げていないことばかり。

親として大切なのは、
子どもが、自分からしたいと始めたことを途中で止めたい言った時に
「あなたは、何でも中途半端」
と、レッテル貼りしないこと。

「ここまで、良くやったね。」

つまり、物事を途中で止めることが悪いのではない。

途中で止めた時に、そこまでやったことを認めること。

もし、子どもが
「あなたは何でも中途半端で、成し遂げられない人間だ」
というメッセージを受け取った時に
子どもは、将来、成功できなくなるかもしれない。

ここまで、やった。
よくやった。

やったところまで認めることが出来たら、
子どもは、本当にやりたいことをやりたいだけやって
「私は、成功した」

と、達成感を感じることができる。




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0歳児教育より大切なのは、子どもを愛と優しさで包んであげること

2015年08月23日 | オススメです
映画『ベイビーズ トーク』で、
赤ちゃんがこんなことを考えてるのかなって思うとおもしろかったですが、

赤ちゃん自身から見た、妊娠中のこと、出産についてが分かってきたことをご存知でしょうか?

胎児の脳は、お母さんのこころを感じながら発達するそうです。

オススメの本があります。

トマス・バーニー著
「胎児は知っている母親のこころ」
日本教文社刊2.095円+税

これから赤ちゃんを産むお母さんや
お子さんが生まれたばかりのお母さんに
どうしたら、子どもの心を安定し、元気に育てるための、科学的なホルモンなどの研究によるアドバイスが書いてあります。

じつは私たちの心は、すでにお母さんのお腹の中ににいるときから作られている。

赤ちゃんが胎児期~出産~乳幼児期をどう過ごしたかが、その後の心の成長そして人生に大きな影響を与えている。

本書の著者バーニー博士は、赤ちゃんが胎内にいる間から生まれた直後、
そして2~3歳までの環境が赤ちゃんのこころの成長にどんな影響を与えるのかを研究してきた「周産期心理学」の世界的権威。

本書には、ベストセラーになった第1作『胎児は見ている』(祥伝社,82)以降の博士の20年来の研究成果が集大成されています。

博士がこの本でたくさんの科学的証拠をあげて語っているのは、

「妊娠中・出産時・出生後の赤ちゃんの脳(心)の発達に、お母さんの心の状態が驚くほど大きな影響を与えている」

ということです。

つまり赤ちゃんの心は、お母さんのこころを感じながら発達するということです。

そこからわかってきたことは、

●幸せなお母さんの脳からはエンドルフィンなどの幸せホルモンがたくさん分泌され、それは成長中の胎児の脳の「回路づくり」によい影響を与える

●反対に、家庭内や仕事での慢性的ストレスをかかえているお母さんの脳からはストレスホルモンが分泌され、胎児の脳に悪影響を与える。それは子どもが大きくなってからの人格にも影響するということです。


博士のアドバイスは本書の各章の「まとめ」と「育児のポイント」にたくさん紹介されていますが、そこからいくつかご紹介します。

子どもを産むお母さん、お父さんに役立つ知識がいっぱいです。

●0歳児教育よりも大切なのは、子どもを愛とやさしさで包んであげること。

子どもが心から安心できる環境で成長できれば、子どもの脳の学習能力は自然に伸びていく。

●胎児のころから子どもに愛情をもって話しかけてあげよう。

お腹の赤ちゃんには人間のすべての感覚・意識・記憶力・感情がすでにそなわっている。(その体験を後年「胎内記憶」として思い出すのです)

●お母さんの「しあわせ脳」とつながって誕生し、成長した赤ちゃんは、よく食べよく眠り、めったに泣かない。

●誕生は、温かく心地よい子宮からいきなり寒くて騒々しい外界への移行。

病院での医療的処置の痛みは、小さな赤ちゃんには大人の何倍もの苦痛となる。

バーストラウマ(誕生時のトラウマ)をなるべく作らないように、できるだけソフトでやさしい、自然なお産のスタイルを選ぼう。

●お母さんが外で働くためには「0歳児保育」は便利かもしれないが、子どものしあわせな成長と人格形成のためには、心理学的に見て最低2年間はできるだけ子どもと一緒に過ごすことが望ましい。

その体験は、子どもが大きくなって社会生活をしていくうえでの大切な基盤になる。

日本にも「三つ子の魂百まで」という素晴らしい言葉がありますが、
胎児期からの大切さは、言われてきましたが、

・胎児は、人間のすべての感情や知覚をすでに持っている

・受胎から出産までの母親の精神状態が、あかちの人格づくりを大きく左右する

・母親の慢性的ストレスは、神経ホルモンを通じて胎児の脳に悪影響をおよぼす

・母と子のシンクロ「同調」した反応の返し合いが、健康な脳の回路を作る

・十分に愛されなかった赤ちゃんは、怒りやすく暴力的な若者に育ちやすい
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愛し愛し愛しぬいて…平和

2015年08月19日 | 関心事
蝉しぐれの夏、平和を考える。

私たち一人一人が自分自身がユニークで素晴らしい価値ある存在だと思えたなら
人をうらやむ必要もなくなるかも…。

敵対する必要もなくなるのかも…。

自分を愛する人は、人を愛せるが、
自分を愛せない人は、人を愛せない。

戦後70年の終戦記念日を機に、あらためて考え直したい。

長崎に投下された原子爆弾に被爆し、後に亡くなられた医学博士が子どもに宛てた「いとし子よ」から抜粋。


*********************

”私達日本国民は、憲法において戦争をしないことに決めた。(中略)

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、憲法を改めて
戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ者が出ないともかぎらない。

そしてその叫びが、いかにももっともらしい理屈をつけて、
世論を日本再武装に引き付けるかもしれない。

そのときこそ、・・・誠一よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、
どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと

「戦争絶対反対」
を叫びつづけ、叫び通しておくれ!

たとい卑怯者とさげすまれ、裏切り者とたたかれても「戦争絶対反対」の叫びを守っておくれ!

(中略)愛するものは滅ばされないのだよ。

愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ
平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。敵も愛しなさい。

愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。

愛すれば愛される。愛されたら、滅ばされない。愛の世界に敵はない。

敵がなければ戦争も起こらないのだよ。”

永井隆 「いとし子よ」 サンパウロ2002年
p.207-209

*********************
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本音を言う

2015年08月13日 | こころの子育て
「大切な人に本音を言ったら、傷ついた。」
と、聞くことがあります。

大切な人とは、

お母さん
お父さん
恋人

妻…など。

カウンセリングを受け始めると、子どもが返って、ひどくなったように感じる親も多いものです。

これは、これまで、抑えてきた気持ち、言えなかったことを言えるようになった【いい変化】
なのですが、
周りから見ると、悪化したように見えてしまうものです。

反抗や本音を言うのは、成長過程です。

親に反抗もせず、
嫌とも言わず、
親に合わせて生きてきたとしたら、
その子は、学校や職場でも人にノーも言わず、
人に合わせて生きていくことになるでしょう。

だから、人が怖くなったり、
学校に行くだけで、「疲れたー、疲れたー」となるのです。

「言いたいこと言えて、よかったね。」

本音が言いたいのは、本当はその人が好きだから。
わかって欲しいから、諦めずに訴えている。

親、パートナーは、言われて嫌だけど、本音を言ってくれている相手は、あなたを諦めていないということ。

「そうだったの。つらい思いさせたね。ゴメンね。」
って、気持ちを分かって欲しいだけ。
責めてるんじゃない。

心を開いて本音を言えるのが【親密さ】の能力。


心を開いてぶつかって行った時に、相手が理解し、配慮してくれるかは、
相手によるから、傷つくこともある。

相手も理解し、歩みよってくれたら、親密さは、増して、より心地いい人間関係になる。

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《むごい教育》とは?

2015年08月11日 | こころの子育て
《むごい教育 》

日本には、昔から素晴らしいことわざが残っています。
《三つ子の魂百まで》
確かに、人間は、生理的早産と言われ、
本来お腹の中で育つべきあと9ヶ月を含め
赤ちゃん~3歳くらいまでに
沢山甘えさせ、抱っこし、甘えを満たしてあげることが
一生を通じて心の安定した人への土台、愛着が形成されていきます。

それが、《基本的信頼感》となり、
他者への信頼、
自分への信頼、
社会への信頼へとつながるのです。

その《基本的信頼感》が、幼少期に醸成されたあとには、
バランスを見ながら、
ここまではやっていいけど、
ここまではやっちゃダメだという
ルールや決まりなどを設け、厳しさも必要になってきます。

いつまでも子どもの自由、子どもの言いなりになることは、
《むごい教育》になりかねないのです。

戦国時代、徳川家康は、人質として、
近隣の戦 国大名、今川家・織田家を転々としました。

その徳川家康がまだ幼くて、人質だった頃の話です。

駿河の国を治めていた今川義元は、
政略的に竹千代(後の徳川家康)を人質に取り育てた時代があります。

確か、竹千代が8歳くらいからだったと思います。

今川義元は、教育担当の家来に対し、 一言だけ、こう指示しました。

「竹千代には、むごい教育をせよ」

暫くして、義元は家来を呼び、

「竹千代は、どのような様子か」

を尋ねました。

家来は、以下のように報告しました。

「はい、早朝から起こし、 水練をさせ、
三食は粗食を与え、 昼は馬術や剣術に励ませ、
夜は学問と厳しく教育しております。」

報告を聞いた義元は、烈火の如く激昂したそうです。

「馬鹿者! それはむごい教育とは言わん!

朝は好きなだけ長寝させ、

山の幸や海の幸あふれる贅沢な食事を与え、

武術や学問が嫌と言えば決して無理強いせず、

常に傍らには女を侍(はべ)らせ、

本人の望む通りに、何でも与えてやるが良い。

そうすれば、大概の人間は駄目になる。」

家来は、ここまで聞いて、やっと義元の真意に気が付いたのです。 

やがて隣国の大将となる竹千代を、腑抜け人間に仕上げようと思っていたのです。

しかし、今川義元の思惑通りにはならず、竹千代はやがて織田家の人質となって、
隣国に向かいます。

徳川幕府十五代二百六十年にも及ぶ天下泰平の礎は、
今川義元の考えとは違う、
家来の考えたむごい教育によって築かれたのかもしれないのです。

現代、社会が成熟し、豊かな先進国では、
良かれと思ってやっている教育が
この今川義元の言う
「むごい教育」
になっていないか、
考え直してみませんか?


今日は、これから唐津市保育士会の研修のため、電車で移動中、
日焼けした夏休みの子ども、お兄ちゃんと妹?2人で電車、楽しそうです。

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《なぜ、日本人は英語が話せないのか?》

2015年08月10日 | こころの子育て
《なぜ、日本人は英語が話せないのか?
~学ぶより楽しむから始める~》

アメリカに行く度に、英語が話せるようになりたいと思います。

いわゆる成田決心と言いますか…
その時だけで、その決心は、日に日に薄らいでいってしまいます。

韓国や中国の人たちが英語を果敢に話している横で、黙りこくる日本人。

完璧な英語でなくても、通じたいと思う気持ちが勝った時、

英語に対する苦手意識が減った時、

もっと言えば、英語を話すことが楽しいと思った時に、英会話が上達するのでしょうね。

小さい頃に出会う英語は、読み書きより、
ネイティヴの発音を聞き取れること、
英語で話して、通じて楽しいと体感すること。

だから、叱るより褒めること。

とはいえ褒めるのって、難しいですね。

褒めることが大切なのは、他の勉強や習得したいことにも通じること。


・片付け

・料理

・掃除

・整理整頓

・宿題→仕事(やらなきゃいけないこと)

元駐日アメリカ大使であり、
ハーバード大学教授だった
エドウィン・O・ライシャワーさんは日本生まれのバイリンガル。

ライシャワーさんの演説を読むと、どうも日本での英語教育は、ご指摘通り!

ピリオドのうち忘れで、✖️になるようでは
英語の苦手意識は払拭しずらいと思います。

まんまと勉強嫌いを育ててる。

だから、日本人は大学に合格した途端、勉強しなくなるんじゃないかな?!

テストの点数重視で、益々、日本人が世界で飛び抜けて英語が話せない方向に行ってる気がします。

"日本人の英語習得法"について
語られている部分を抜粋してご紹介します。
   ~参考資料「英語名スピーチ集」

*********************
私は、日本でもし学生に会話をマスターさせたいというのであれば、
英語教育の最初の段階での正しい発音の学習に
もっと力を入れるべきだと思うのです。

(中略)

日本の教育では、残念ながら、
しばしば正反対の状況が起こっています。

発音はそのうちよくなるだろう、
そのうち学生は自分を表現する能力も
身につけるだろうということで、
早い段階ではこれらの点はあまり強調されないのです。

日本人の学生が向き合うことになる問題は、
正反対のアプローチを迫ってきます。


つまり、初期の段階では
音声の問題をクリアにすること、
それから英語での自己表現ができるようにすることです。

高度の文法や語彙については、
その後次第に積み上げていけるでしょうが、
音声の基本や自己表現の能力は
最初に身に付けなければなりません。

この反対のプロセスで進んできた結果、
日本では学生が英語読解力はかなり習得するものの、
表現能力はほとんどないということになっています。

日本が特にコミュニケーションの
必要に迫られていることを考えると、
私は力点の置き場所を変え、
まず英語読解からではなく、
音声教育から始めることが望ましいと思います。


I believe Japan has to put more emphasis
on correct pronunciation from the very beginning
if students are going to achieve a mastery of spoken English.

(略)

What often happens in Japanese education,
I am afraid, is just the opposite.

It is hoped that pronunciation will gradually improve
in later years and that in time the student will also acquire
an ability to express himself,
even though these points are not much stressed in the early years.

I think the special difficulties
which face Japanese students force almost the opposite approach:
that the early emphasis should be on mastering the phonetic problem
and solving the problem of self expression in English.

Mastery of advanced grammar and vocabulary can be built up gradually
as one goes along,but the fundamentals of phonetics and of process
in Japan has resulted in considerable mastery of reading
on the part of the students, but little mastery of self expression.

Because of Japan's special needs for communication,
it would seem to me advisable to put the emphasis the other way around
and to start with the oral approach rather than
with the reading approach.



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人間魚雷の島 大津島

2015年08月05日 | 行ってきました
《人間魚雷の島 大津島》

戦後70年

《人間魚雷回天》

神風特別攻撃隊と同じく窮地に立つお国のためにと開発された特攻兵器をご存知ですか?

なんと、人間が乗りこむと、二度と開かない人間魚雷この人間魚雷を積んで、大型の潜水艦でパラオなどまで行き
船長が目視で敵艦を見つけたら、沈めた魚雷に人間が乗り込み、発射したそうです。

あり得ないことに、魚雷ごと敵艦に突入するという生還不可能な兵器でした。

その訓練があったという大津島《回天記念館》に来ました。
山口県周南市、新幹線徳山駅から徒歩五分の港からフェリーが出ています。
近くの海風診療所の帰りに立ち寄ってみました。

回天とは「天を回らし、戦局を逆転させる」意味があるそうです。

昭和19年当時、既に戦況は酷くこの作戦も「やぶれかぶれ」としか、思えません。

この大津島で訓練を終えた106名が実戦で戦死とありますが
戦場に回天を運んだ潜水艦が8隻も犠牲になっていて
潜水艦乗員や基地関係者の練習や空襲に戦死された方々まで合わせると
戦死者は1300名を超えるそうです。

戦死した回天乗組員の平均年齢は21歳という若さだったそうです。

当時、ほぼ百発百中、当たれば必ず敵艦を轟沈と信じられていました。

しかし、米軍の12隻に命中はしたものの、
内撃沈は4隻と思いのほか与えた損害が少ないものでした。

少尉とは言え、まだ若者の
「われ、無名の防人となる」
という家族への手紙が残されています。

ああ、今の日本の平和は、かけがえのない多くの先人たちの犠牲のもとに…
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ねずみ女房

2015年08月04日 | オススメです
ゴッデン作の絵本「ねずみ女房」オススメです。ネズミの物語なんですが、
人間の姿が重なる童話です。

「あるところに、一ぴきの小さな女房ねずみがいて、そのねずみは、他のねずみと違いました。」

平凡な毎日を送るねずみ女房。

「このねずみは、他のめすねずみのすることを、みな、しました。

やがて産みたいと思っている赤んぼうたちのための巣も作りました。

だんなさんや自分の食べる食べ物のかけらも集めました。

『これ以上、何がほしいというんだな?』と、おすねずみは聞きました。

めすねずみには、何がほしいのかわかりませんでした。
でも、まだ、今もっていない、何かが、ほしかったのです。」

ある日、ねずみの住む家に、一羽の捕まえらたハトが連れてこられました。

家の主人は、そのハトを居間の棚の上の金の鳥かごに入れました。

ハトは、エサを食べませんでした。

ねずみは豆ほしさに鳥かごのところにやってきます。

やがて、ねずみ女房は、
ハトから、自分の知らない広い外の世界の話を聞くようになります。

毎日ハトは、ねずみ女房に、窓の外の世界の話を、自分が空を飛んでいたとき見たように話して聞かせます。

ねずみ女房は、遠くを見るような目つきをしていました。

そしてある日、ねずみは、巣にいっぱいになるほどの子どもを産みました。

ねずみ女房は、赤んぼうたちをとてもかわいがり、幾日かの間、他のことなど何一つ考えられませんでした。

しばらくして、ねずみ女房は
再びハトに会いに、窓じきいに上っていきました。

ハトの、なんと変わり果てていたことでしょう。

ハトは、ねずみ女房がたずねて行かなかった間、ほとんど何も食べていなかったのです。

「おまえさん、どぅこかへ、とぅこかへ、どぅこかへ行ってしまったかと思ったよ。」
ハトが言います。

ねずみ女房のヒゲの先には、ハトのために流した小さな涙がとまっています。
ねずみ女房が家に帰ると、おすねずみはねずみ女房の耳にかみつきます。

ねずみ女房は、ハトのことを考えると眠れませんでした。

そして、とうとうある晩、こっそりと鳥かごのある場所へ行くと、
ねずみ女房は、渾身の力を込めて、鳥かごの留め金をはずし、ハトを外に逃がします。

ねずみ女房は思います。
「ああ、あれが、飛ぶということなんだわ。」

もう誰も、丘のことや、麦畑のことや、雲のことを話してくれるものはなくなりました。

ねずみ女房の目に涙が宿ります。

ねずみ女房は涙をまぶたで叩き落とし、また外を見ました。

とうとう、ねずみ女房は、外の世界を見ました。

「わたしにはそれほど不思議なものじゃない。
だって、わたし、見たんだもの。

ハトに話してもらわなくても、わたし、自分で見たんだもの。

わたし、自分の力で見ることができるんだわ。」

ねずみは、そう言って、ゆっくり、誇らしい気持ちで寝床に戻りました。

ねずみは、老いてその子どもや孫、ひ孫にひいひい孫に敬われ、大事にされました。

おばあさんねずみは、見かけはひいひい孫たちと同じでした。
でも、どこか、ちょっと変わっていました。

「他のねずみたちの知らないことを知っているからだと、わたし(作者)は思います。」

ねずみ女房は、家事、目の前のしなくてはならないことをこなし、時間をとられながらも、
心は窓の外に向かって開いている。


決して卑屈にならず、
自分という存在は、誰のものでもなく自分のものであることを忘れないねずみ女房。

童話ですが、このストーリーを丁寧に読むと

外の世界に心を開いていくねずみ女房の姿を通して
私たちに色んなことを感じ、考えさせてくれます。


絵本「ねずみ女房」 福音館書店 
ルーマー・ゴッデン 作
W・P・デュボア 画
石井桃子 訳




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