人を世話・介護することへ依存していないか?
親が子どもを。
支援者、対人援助職の人が要支援者を。
夫が妻を。
妻が夫を。
カウンセリングの勉強会で、「共依存」という言葉を使った時、「分からない」と反応してくれた方がいます。
良く使う言葉なので、
改めて、共依存について調べてみました。
「分からない」と、言えることは、幼い子どもが純粋に素直に言うようで素晴らしい。
大人が分からないと言うのには、勇気の要ることだと思います。
アメリカのドラマで、こんなシーンを見ました。
「BULL/ブル 心を操る天才」シーズン2
エピソード22
裁判のコンサルタント 心理学者のブルの元で働く部下の有能な女性が
カウンセリングの場面で
「大学で心理学が必須で、心理学の教授が共依存について教えた時、驚いた」
と、カウンセラーに話し出します。
「私は養子で、それまで誰かに頼ったことがなかった。
だから、依存し合う関係に憧れた、ステキ。
私の幸せを糧にして、相手も幸せになれるなんてー理想的だわ。
でも、結局、相手の幸せに振り回されてる。」
と、彼女の苦悩を語ります。
以下、共依存について、Wikipediaより抜粋します。
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共依存とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、
その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。
すなわち「人を世話・介護することへの愛情=依存」「愛情という名の支配=自己満足」である。
共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、
そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、
自身の心の平穏を保とうとする。
共依存という概念は、医療に由来するものではなく、看護現場サイドから生まれた。
共依存と呼ばれる前は、Co-alcoholic(アルコール依存症の家族)と呼ばれ、
当初は「アルコール依存症患者との関係に束縛された結果、
自分の人生を台無しにされてしまっている人々」の特徴を説明するために使われていた。
アルコール依存症患者を世話・介護する家族らは、
患者自身に依存し、また患者も介護する家族に依存しているような状態が見受けられることが、
以前より経験則的にコメディカルらによって語られていたからである。
共依存にある状況では、
依存症患者がパートナーに依存し、
またパートナーも患者のケアに依存するために、
その環境(人間関係)が持続すると言われている。
典型例としては、アルコール依存の夫は妻に多くの迷惑をかけるが、
同時に妻は夫の飲酒問題の尻拭いに自分の価値を見出しているような状態である。
こういった共依存者は一見献身的・自己犠牲的に見えるが、
しかし実際には患者を回復させるような活動を拒み(イネーブリング)、
結果として患者が自立する機会を阻害しているという自己中心性を秘めている。
共依存者の多くは、
お互いの依存を健全なる愛や支援などと捉えて判断する者があるが、
この概念が覆るとき、
両者は苦痛や疲労や無力感などを背負う。
また他者より、共依存という関係を否定されたり責められると、
強烈な自己否定感から精神的安堵を求め、
更に強い共依存の関係を求めやすく、
その行動や言動を改善する事とは逆に、
共依存であることを煽る場合もあり最悪の場合は自殺する者もいる。
そのため治療の場においては、
第三者の適切で繊細な支援やケア、または共依存の歪みの克服をする機会でもあり、
それまで学ばなかったことを新たに学びを得るための心理教育などが必要となる。
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親、支援者、対人援助職の人も、時々自分に問いかけてみる必要があるかもしれない。
そして、愛という名の支配に気づいた時の苦悩に寄り添い、
依存、アディクション(嗜癖)から抜け出すカウンセリングを行います。