ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

カウンセラー講座の体験講座

2015年04月25日 | 講座
5月23日土曜日午後7時30分から開講予定のカウンセラー講座の
体験講座を
博多駅前のカウンセリングルーム303号でします。




○カウンセラー講座の体験講座
5月9日土曜日午後7時~9時
参加費は、五百円です。
さて、こんもりとした荷物としばらく食べられないお肉、プリンと共に
ただ今、京都に移動中です。
今日から京都の山奥に籠ります。

ので、ゴールデンウィーク明け6日まで

携帯電話もメールも通じません。


思えば、アメリカでは、電話もメールもインターネットも し放題だったのに…。

受け付けで、携帯電話も、本も、書くものも預け、
人との会話もアイコンタクトも全て禁止!
自分の世界へ!

人と接するのが最大のストローク=心の栄養である私の
一番苦手とする自分にのみ、ストローク。
まさに自分の内側を見つめる「ひきこもり」 の時間です。


留守の間、何かとご迷惑おかけするかもしれません。

よろしくお願いいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土下座を強要しても 気が済まない

2015年04月24日 | オススメです
【土下座を強要しても気が済まないのでは?】
また、土下座を強要?して逮捕された?

自分のストレスを八つ当たりする人がいる。

協調性を重んじ
「お互い様」の精神で、
思いやりを持って人に接していた
美しい日本の心は、
どこへ行ってしまったのでしょうか?


自己愛に苦しむ現代人について

『相手に思い込みを託したり、過剰な期待をかけてしまえば、
家族や友人との関係はうまくいかなくなるもの。

そうならないためには、「独りになる」ことも学ばなければなりません。

生きるとは、基本的には独りで生きていくことだ、
という自覚もどこかになければなりません。』


そう書いているのは、
「逝きし世の面影」の著者で

幕末・明治期に日本を訪れた外国人の記録から
幸せに暮らす日本人、民主的だった江戸社会を著した
熊本市在住の渡辺京二さん。

著書「無名の人生」文春新書より。

特に、以下の部分について、深く考えさせられます。


*********************

(中略)
石牟礼道子さんの文学の根本には、
小さな女の子がひとりぼっちで世界に放り出されて
泣きじゃくっているような、そういう姿が原形としてあります。

一個の存在が世の中に向かって露出していて、
保護してくれるものがない、
この世の中に自分が露出していて誰も守ってくれるものがいないところから来る根本的な寂しさー
それがあの人の文学の中核なのです。

考えてみれば、人間はみな、本来そういう存在なのです。
危険にさらされることも、
寂しいことも、
それは誰だって望んでいるわけではありません。

だから、そこから抜け出そうとして人とつながり、
家族をこしらえ、
社会的な交わりが生まれ、
さらには、自分の生存を保障してくれる制度が生まれてくる。

文明とは何かといえば、
生がむき出しになった寄る辺ない実存を、
束の間、なんとか救い出そうとする仕組み、
それを文明とよんでいるのでしょう。

やはり原点には、寂しさを抱えた自分があるということを自覚しておいたほうがいい。

(中略)
人間、死ぬから面白い。

こんなことを言うと、お叱りを受けるかもしれません。

しかし、人間、死ぬからこそ、
その生に味わいが出てくる。

かく言う私だって、まだまだ死にたくはありません。

今でも世の中には執着がある。
けれども、死ぬからこそ、
今をいきていることに喜びが感じられるのです。


*********************

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネガティヴな感情を受け入れる

2015年04月23日 | こころの子育て
《ネガティヴな感情を受け入れる》

今日は、長崎女子短大に来ました。
写真は、長崎市内を一望できるカフェからの眺めです。

こんなコメントをあるお母さんからいただきました。
「中学生になってから、壁の連続だ。ひとつ壁を乗り越えたら、また次の壁が目の前に立ちはだかる・・」
とつぶやく長男。

「辛いね。ひとつひとつ乗り越えることができたってすごくない?!」
と言うのが精一杯・・。
*********************
息子さんもお母さんも素晴らしい!

壁を感じ、立ち向かい乗り越える。

また、壁を感じる。

乗り越える。

その辛さを受け入れ、乗り越えた自分を認める。

人生は、それの繰り返しだと、私も思います。

人間、同じステージには、そう長く居られないようになってるのだと、
私の師匠も言われてました。


そうして、成長していくのが、人間。

そんな時、
「つらいね」
と、受け止めてくれるお母さんがいれば、どんなに救われることか!

ポジティブな感情は、受け止めやすいけど、

ネガティヴな感情は、受け止めにくいもの。

親も先生も自分も。

だから、一番身近なお母さんが
「つらいね」
って、受け入れてあげることが
何より大切です。

人は傷ついた時に癒される安全基地があってこそ、
また、出撃できる。

傷は、癒されるもの。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

挫折が人を成長させる

2015年04月21日 | こころの子育て
スティーブ・ジョブスは、
スタンフォード大学の卒業式に招かれ
名スピーチを残し、
この後、わずか6年でこの世を去りました。

彼は、このスピーチの中で
自分が創始したアップル社を首になった体験を話しています。


長崎女子短大の浦川末子学長は、
子育てで
子どもを泣かせないように育てるのは、良くないと話されます。

子どもを泣かせない教育は、
徳川家康が竹千代の時代に、敵の目を摘もうと
今川義元が甘くして能力を育てないようにした《むごい教育》に例えられると。

子どもを成長させたいのなら、可愛い子どもに旅をさせ、子どもを泣かせないと。

つまり、サナギが脱皮を繰り返すように
挫折が成長を促すのだと。

*********************
「ハングリーであれ。愚か者であれ」  
スティーヴ・ジョブズ スピーチ

世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。
I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world.

実のところ、私は大学を卒業したことがありません。
Truth be told, I never graduated from college.

これが人生でもっとも大学卒業に近づいた日です。
And this is the closest I've ever gotten to a college graduation.

本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。 
Today I want to tell you three stories from my life.

たいしたことではない。たった3つです。
 That's it.  No big deal.  Just three stories.

まずは、点と点をつなげる、ということです。 
The first story is about connecting the dots.

私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。
I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit.

ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。
So why did I drop out?

私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。
It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption.

母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。
She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife.

ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。
Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl.

こうしてウエイティングリストにあった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。
So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking:

「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。
"We have an unexpected baby boy; do you want him?"

両親は「もちろん」と答えた。
They said: "Of course."

生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。
My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers.

実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。これが私の人生のスタートでした。
She only relented a few months later when my parents promised that I would someday go to college.And,this was the start of my life.

そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。
And 17 years later I did go to college.

ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、
But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford,

労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。
and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition.

そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。
After six months, I couldn't see the value in it.

当時は人生で何をしたいのかが分からなかったし、大学に通ってもそれが見つかるとはとても思えなかった。
I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out.

私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。
And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life.

私は退学を決めました。何とかなると思ったのです。
So I decided to drop out and trust that it would all work out OK.

多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。
It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made.

退学を決めてからは、興味もない授業を受ける必要がなくなり、私は面白そうな授業に潜り込み始めました。
The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.

とはいえ、いい話ばかりではなかったです。
It wasn't all romantic.

私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。
I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms,

食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。
I returned coke bottles for the 5 ― deposits to buy food with,

温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。
and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple.

それでも本当に楽しい日々でした。
I loved it.

自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。
And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on.

たとえば、
Let me give you one example:

リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。
Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country.

キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。
Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed.

退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。
Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this.

ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。
I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great.

それは、、美しく、伝統的で、科学では捉えきれないもので、私はとりこになったのです。
It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.

当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。
None of this had even a hope of any practical application in my life.

ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急に蘇ってきたのです。
But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me.

そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。
And we designed it all into the Mac.

美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。
It was the first computer with beautiful typography.

もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。
If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts.

ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。
And since Windows just copied the Mac, it's likely that no personal computer would have them.

もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。
If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do.

もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。
Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college.

しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。
But it was very, very clear looking backwards ten years later.

繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。
Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards.

できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。
So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.

だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。
運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。
You have to trust in something ― your gut, destiny, life, karma, whatever.

私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。
This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

2つ目の話は愛と敗北です。 
My second story is about love and loss.

私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした
I was lucky I found what I loved to do early in life.

共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。
Woz and I started Apple in my parents garage when I was 20.

それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長したのです。
We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4000 employees.

そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。
We had just released our finest creation ―the Macintosh― a year earlier, and I had just turned 30. And then I got fired.

自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて。
How can you get fired from a company you started?

実は会社が成長するのにあわせ、一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。最初の1年はうまくいっていたのですが、
Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well.

やがてお互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。
But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out.

そして最後には決定的な亀裂が生まれてしまった。そのとき、取締役会は彼に味方したのです。
When we did, our Board of Directors sided with him.

それで30歳のとき、私は追い出されたのです。
So at 30 I was out. And very publicly out.
それは周知の事実となりました。私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。
What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.

これは本当にしんどい出来事でした。
I really didn't know what to do for a few months.

1カ月くらいはぼうぜんとしていました。
I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down –

私にバトンを託した先輩の起業家たちを失望させてしまったと落ち込みました。
that I had dropped the baton as it was being passed to me.

デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしてしまったことをわびました。
met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly.

公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。
I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley.

しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。
But something slowly began to dawn on me I still loved what I did.

自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。
The turn of events at Apple had not changed that one bit.

アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。
I had been rejected, but I was still in love.

会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。
And so I decided to start over.

その時は気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生で最も幸運な出来事だったのです。
I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me.

将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。
The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything.

アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。
It freed me to enter one of the most creative periods of my life.

その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。
During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar,

そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。
and fell in love with an amazing woman who would become my wife.

ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。
Pixar went on to create the worlds first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world.

そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。
今や、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。
In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT,I returned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance.

そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。
And Laurene and I have a wonderful family together.

アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。
I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple.

非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。
It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it.

最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。
Sometimes life hits you in the head with a brick. Don't lose faith.

自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。
I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did.

皆さんも大好きなことを見つけてください。
You've got to find what you love.

仕事でも恋愛でも同じです。
And that is as true for your work as it is for your lovers.

仕事は人生の一大事です。
Your work is going to fill a large part of your life,

やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。
and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work.

そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。
And the only way to do great work is to love what you do.

好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。
If you haven't found it yet, keep looking.

決して立ち止まってはいけない。
Don't settle.

本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。
As with all matters of the heart, you'll know when you find it.

すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。
And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on.

だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。
So keep looking until you find it. Don't settle.

3つ目の話は死についてです。  
My third story is about death.

私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。
When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right."

それは印象に残る言葉でその日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかける様にしているのです。
It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself:

「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。
"If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"

「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。
And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.

自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。
Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life.

なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。
Because almost everything ― all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death,

本当に大切なことしか残らない。
leaving only what is truly important.

自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。
Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose.

我々はみんな最初から裸です。
You are already naked.
自分の心に従わない理由はないのです。
There is no reason not to follow your heart.

1年前、私はがんと診断されました。
About a year ago I was diagnosed with cancer.

朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。
had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas.

私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。
I didn't even know what a pancreas was.

医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。
The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months.

医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。
My doctor advised me to go home and get my affairs in order,

つまり、死に備えろという意味です。
which is doctor's code for prepare to die.

これは子供達に今後10年かけて伝えようとしていた事を、たった数カ月で語らなければならないという事です。
It means to try to tell your kids everything you thought you'd have the next 10 years to tell them in just a few months.

家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。
It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family.

別れを告げなさい、と言われたのです。
It means to say your goodbyes.

一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。
I lived with that diagnosis all day. Later that evening I had a biopsy,

のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。
where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach

膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。
and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor.

鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。
I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying

手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。
because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery.

私は手術を受け、いま元気でいます。
I had the surgery and I'm fine now.

人生で死にもっとも近づいたひとときでした。
This was the closest I've been to facing death,

今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。
and I hope it's the closest I get for a few more decades. Having lived through it,

このような経験をしたから今だからこそ、死というものを考えることが、あなた方にとっても純粋に知的で有益な概念だと自信を持って言えます。
I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept:

誰も死にたくない。
No one wants to die.

天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。
Even people who want to go to heaven don't want to die to get there.

死は我々全員共通の行き先です。
And yet death is the destination we all share.

死から逃れた人間は一人もいない。
No one has ever escaped it.

それは、あるべき姿なのです。
And that is as it should be,

死はたぶん、生命の最高の発明です。
because Death is very likely the single best invention of Life.

それは生物を進化させる担い手。
It is Life's change agent.

古いものを取り去り、新しいものを生み出す。
It clears out the old to make way for the new.

今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。
Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away.

深刻な話で申し訳ないですが、真実です。
Sorry to be so dramatic, but it is quite true.

 あなた方の時間は限られています。
Your time is limited,

だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。
so don't waste it living someone else's life.

ドグマにとらわれてはいけない。
Don't be trapped by dogma ―

それは他人の考えに従って生きることと同じです。
which is living with the results of other people's thinking.

他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。
Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice.

そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。
And most important, have the courage to follow your heart and intuition.

あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。
They somehow already know what you truly want to become.

ほかのことは二の次で構わないのです。
Everything else is secondary.

 私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。
When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog,

私の世代の聖書のような本でした。
which was one of the bibles of my generation.

スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。
It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch.

パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。
This was in the late 1960's, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and polaroid cameras.

言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。
It was sort of like Google in paperback form,
グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。
35 years before Google came along: it was idealistic,

理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。
and overflowing with neat tools and great notions.

スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。
Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue.

70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。
It was the mid-1970s, and I was your age.

背表紙には早朝の田舎道の写真が。
On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road,

あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。
the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous.

その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。
Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off.

ハングリーであれ。愚か者であれ。
Stay Hungry. Stay Foolish.

私自身、いつもそうありたいと思っています。
And I have always wished that for myself.

そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。
And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.

ハングリーであれ。愚か者であれ。   
ありがとうございました。

Stay Hungry. Stay Foolish.     
Thank you all very much.

※スティーブ・ジョブズ氏が
2005年6月12日、
スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ。


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海風診療所

2015年04月19日 | オススメです
ニコニコ
テクテク
カムカム



運動
栄養

病気の予防、治療にかかせない大切なもの。


山口県周南市の海風診療所 と
周南病院の理事長で医師の
沼田光生先生から予防医療について教えていただきました。

先月、私たちは、海風診療所をお尋ねしました。
新幹線で徳山駅まで行き、歩いて10分程の所にガラス張りのおしゃれなレストランのある三階建ての建物。

一階は、レストラン。
二階は、加圧トレーニング室と診察室。
ゆったりとしたビタミン点滴椅子。
三階は、カウンセリングルームが2つ。

沼田先生は、予防医療に力を入れられていて

病気になる前に気軽に行ける
《遊びに行く診療所》を目指していらっしゃるそうです。

写真は、一階のレストランの健康メニュー。

薬膳カレーが美味しかったあ~(^^)



人間には元来、自然治癒力が備わっています。

その自然治癒力を最大限発揮するための要素は、栄養です。

栄養素の過不足は、血液検査データから読み取ることができ、必要な栄養素をアドバイスいただけます。

また、「血糖調節」(食事コントロール)も大切な柱で、
精製した小麦粉、米、砂糖などの摂取で血糖値が急激に上がって下がり、
体調不良や攻撃的になる人が最近とくに増えているそうです。

それに、診療所では、「高濃度ビタミンC」点滴療法もされています。
ガンなどの悪性疾患、精神疾患、皮膚疾患などが対象です。

そして、運動も大切。

でも、でも、一番大切なのは、心だそうです。
だから、心理カウンセリングも大切にされています。

目からウロコの知識ばかりで、
まさに、これからの医療の姿を見ました。


先生がいつもおっしゃる大切な3つ
ニコニコ
テクテク
カムカムを
さらに勉強して、実践し
多くの方に予防医療をお伝えしていこうと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《あなたには苦悩を乗り越える力がある》

2015年04月17日 | こころ
《あなたには苦悩を乗り越える力がある》


生きていれば、辛いことに遭遇してしまいます。

・親しかった人との別れ

・愛情喪失

・信頼していた人からの裏切り

・身体の機能の低下

・病気、ケガ

・人間関係のこじれ

・引越しによる人間関係や環境の喪失

・職場の配置転換

など…。

実は、私たちは、子どもの頃から

こうした苦悩に遭遇し

それを何とか乗り越えてきました。


悲しみは癒されていきます。


私たちには、苦悩を乗り越える力があります。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝日カルチャーセンター

2015年04月14日 | 講座
子どものタイプ別接し方講座

博多駅前の朝日ビル8階
朝日カルチャーセンターにて

6月から


ご参加の皆さんが集まっていただければ、

開講できますので、よろしくお願いします。



詳しくは、朝日カルチャーセンターまで直接、お問い合わせください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《ここまでできた事を褒める大切さ》

2015年04月14日 | こころの子育て
《ここまでできた事を褒める大切さ》

「なんであなたはできないの!」とつい怒ってしまう


私たちは、自分の子どもと他の子どもを比べて、
ついつい怒ってしまいます。

できないことばかりを見て怒ってしまいます。

私は小さい頃我慢したのに…。

ときには自分と比べて怒ってしまうこともあります。

決して、他の子どもと比べずに、

昨日できなかったことが

今日はできたと

その子の中での成長を褒めてあげましょう。

大人だって、同じです。

できなかったところに目を向け意識すればする程

出来ないようになってしまうことも多いもの。

出来た所を見て、自分で褒めましょう!


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《すぐ怒る人は、優越感を感じていたい人》

2015年04月12日 | カウンセリング
《すぐ怒る人は、優越感を感じていたい人》

・自分の思い通りにならないと、すぐに怒る人

・自分の非を認めることが出来ない人

・言い訳ばかりする人

・自分の失敗を人のせいにする人

・自分の失敗を隠そうとして、人には決して話さない

・人が失敗すると、指摘して責め立てる人

・人から何か言われたら、攻撃する人


こんな人は、もしかしたら…


劣等感を持っていて、

自分の弱い所・失敗・間違いを認めると

優越感を感じられないようになる恐れがあるのかも?!


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分を可愛いと思えば…

2015年04月10日 | こころ
《自分が可愛いと思う》

優先順位の問題です。

自分か他人か。

優先順位を戻せばいいだけです。


「自分本位に戻っていいのか」
と、メールをいただきました。

じこ‐ほんい【自己本位】 を
国語の辞書で調べると

物事を自分を中心にして考えたり、行ったりすること。


生来、私たちは、お腹がすいたら泣き
眠たくなれば眠る。

それこそが、自分本位の行動だ。

もちろん、協調性は大事だけれど、
他者優先し過ぎると、
自分の欲求や感情が犠牲になってしまう。

そんな自分が嫌いなら、そんな自分を可愛いと思ってみませんか?

自分を可愛いと思えれば、

人に自分本位の部分を見ても、
それは、とても可愛く、愛おしく見えて来るのでは?

私たちは、自分の欲求を満たし、
自分の感情を消化できて初めて
協調性を、発揮し
思いやりのある行動ができます。

もともと、私たちは、一人では生きていけないので、
自分本位なだけでなく、人も思いやる存在です。

優先順位を戻すだけで、協調性や思いやりがなくなるワケではありませんから、ご安心を。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怒り

2015年04月08日 | こころ
怒りと言う感情は、現在の問題を解決するのに必要な感情です。

パワーです。


でも、でも、間違わないでください…

大きな声で怒鳴りことは、攻撃です。

相手にぶつけても攻撃で、怒りの消化にはなりません。

自分の中で腹を立てること。

怒ること。

モオーっと、腹を立てること。


スッキリすると、前に進めます。

因みに、どんなに好きな相手にも怒りを感じることは、あります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無条件の愛情と条件付きの愛情の違い

2015年04月06日 | オススメです
《無条件の愛情と条件付きの愛情の違い》

何かができたときに褒めると言うのは、
条件付きの愛情です。

何ができようができまいが微笑みかけ、
大好きと言う…

これが、無条件の愛情です。

たとえ、親から怒られるような事をしても、
絶対に見捨てられないと思える…

これが、無条件の愛情です。

これは、形だけでは伝わりません。

なぜなら、人は言葉よりも、
声のトーンや顔の表情、
例えば眉をひそめる、
冷たい視線を浴びせる、
ドアをバンと締めるなど
非言語のメッセージの方を受け取るからです。

私たちは、顔の表情を作れますが、
口は、笑えても、目は笑えないと言われています。

メラビアンと言う心理学者さんは、言語によって伝わるのは、わずか7パーセント、
93パーセントは、非言語によって伝わると言いました。

子どもが、何かが出来た時に褒められるだけで、
何も出来ない時に愛されないと非言語的に感じたら、
子どもは、親の期待する通りに頑張ろうとするし、
出来ない時には、愛されないと感じてしまうかもしれないのです。


だから、基本的に大切なのは、無条件の愛情。

無条件の愛情があって初めて何かができて褒める条件付きの愛情も有効になります。


人を木で例えると、無条件の愛情が土や水。

そこに、条件付きの愛情という肥料を与えてさらに、子どもは、伸びて行く。




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《怒りを使えると、気持ちの切り替えも早くなる。》

2015年04月04日 | こころ
ジェットラグ
時差ぼけがようやく治りつつあります。

帰国してから、
お昼を食べた頃から強烈に眠たくなるなあと思って
携帯の世界時計見てみると

アメリカ東海岸との時差は、
マイナス13時間で
ちょうど夜中に当たるみたいです。

さて、怒りを使うエピソード。

ホテル専属のタクシーの運転さんがいて
フロントにお願いした時間に15分も遅れてきたのにもかかわらず
彼は、私たちに全く謝りもしませんでした。

確かアフリカの出身という年配の男性で、いつもは、ノリのいい明るいおじさん。

その態度に、私は怒りました。

「私たちは、あなたを待ってました。」

何も答えないので、さらに

「遅すぎます。」

と、真顔で、怒って言いました。

言えた!

そして、彼は、いつも日本人にふっかけてくる値段を安くしてくれました。



今日は、日本でのエピソード。

手続きで訪れた区役所の窓口が混んでいて、
しばらく並んで待ち、ようやく順番がきました。

窓口の女性は、イライラしている様子。

私が、手続きの書類を示したら、

「ここじゃないですよ。ははは!隣りです、ははは」

と、何故か、突然、大声で笑いました。

昔の私なら、

「失礼しました。」

と、低姿勢で苦笑いしてたでしょう。

理不尽な行動に対して、怒りを使うようになってきた私は、
ムッと怒り、真顔で何も言わずに隣りの窓口へ堂々と移りました。


両隣りの窓口の担当者たちと手続きに来ていた人たちが、

笑われた私の方を注目しました。

その時私は、怒って無言。


返事くらいすれば良かったかな。

シーン…。心の中では、こう思ってました。

《私、悪くない。

間違いを大きな声で笑う方がおかしい!》

ちなみに、その隣りの窓口の方は、ニコニコしてとても優しく応対してくれ
私も、元々のニコニコに戻りました。

怒りを使えると、気持ちの切り替えも早くなる。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥南うどん

2015年04月01日 | オススメです
アメリカから帰ると、必ずうどんが食べたくなる。

毎日食べたサンドウィッチやハンバーガーに飽きて
口にしっとりするものが食べたくなる。

福岡市天神 新天町商店街にある「博多ごろうどん」
セルフで食券を買う。

鳥南うどん480円

トッピングのごぼうフリット150円

この鳥南うどんのお出汁がたまらない!

思わず、店員さんに「美味しいですね」と言ってしまうくらい。

太めで、もっちりした麺。
食べても食べても麺が減らないお店もあるが、
女性の私には、このくらいがちょうどいい量。

ごぼうフリットは、まるで、ごぼうチップスみたい。
うどんと別におやつのようにいただきました。

お酒のおつまみにも良さそう。

アメリカの空港でハンバーガーとジュースだけで約12ドルでした。
124円で換算すると1488円!

それに比べて
なんとリーズナブルで、舌に繊細なお味なこと。
日本食 見直すなあ。



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長旅で感じたこと

2015年04月01日 | メッセージ


日本に戻りました。ただいま~!

日本の桜や自然、日本の景色は、本当に美しい…

さだまさしさんの「風に立つライオン」の歌詞にもあったけど
この美しい日本は、何か進む方向を間違ってしまったのでしょうか?


アメリカでは、研修やカウンセリングを受けて、大変 収穫の多い旅でした。

大勢の仲間と旅して思ったのは、

大切なのは、自分の気持ちや欲求に正直であること。

そして、それを伝えること。

相手は、ただ、黙ってそれを聴くこと。

「あなたは、そう感じるんですね。」

「そうだったんだね。」
と。

時には、ハグしたらいい。

時には、それは、イヤと言ってもいい。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする