「よかたい先生」三枝三七子 ?を読んで
娘さんがなんだか難しい本を借りて 、感想文に取り組み、苦労しているのでわたしも読んでみた。
これは… 難しいかも。(^^;;
わたしなりに内容を簡単に抜粋してみよう。流石にヒントを上げないと、お姉ちゃんが混乱しているみたいだしね。(^^;;
さて、自分流にあらすじ。
書いてみよう。
患者さんと医者の立場を超えてわかりあおうとした原田先生の物語。
お父さんを継いでなんとなく医者になった原田先生は水俣病をみたことで変わって行く。
メチル水銀中毒を見つけ、それがお母さんから生まれてくる子供に伝わることを見つけた。
第二の水俣病がおきて、先生は考えた。病気の原因がはっきりしていても、きちんと社会として認識されていないってことを。そうしないと悲劇は繰り返されるってことを。
そうして原田先生は水俣病をきちんと調べて、みんなに伝えようと努力をし始める。
毒を食べてしまった人達をちゃんと調べて、其の後どうなっていくか調べることで、人類みんなの経験になるのに、そのころの日本という国では残念ながらそうはならなかった。だから調べて裁判がおこなわれた。
いろんな人に反対されながらも原田先生は苦労して裁判した。あきらめなかった。でもその結果はいまだに十分とは言えない。
本当は国が始めから病気を公害と認めて、汚い水を流した会社を指導していれば、患者さんは少なくて済んだ。でも国はやらなかった。
来たない水を飲んだ魚を食べないように国が決めれば、患者さんは広がらなかった。でもしなかった。
そのころの国の何処かに、「弱いものは我慢するのが当たり前」という考えがあったのかなと思うと残念。
水俣病は治らない。
治らない病気を前にした時、医師は治りたいと思う患者さんを手伝うだけでいい。そのことに先生は気がついた。
僕らはいま、快適な暮らしをしている。でもその代わりに、環境を大切にするという心を失ってしまいつつあるような気がすると先生は思ったんだ。
そのことを伝えきいた三枝さんと言う人が、絵本を作ることを思いついた。「みなまたの木」という絵本。
それを作った。
原田先生は亡くなってしまったけれど伝えることは出来る。
原田先生はこう言っていたそうだ。
「水俣病のおかげで、ぼくの人生は輝いたものになった。」
三枝さんも同じような想いをもったことだろう。
なんだかものすごく、共感する。
「娘さんが両足脛骨完全欠損症だったおかげて、わたしの人生は輝いたものになった。」それはいまでも間違いないのである。
すごくわかるなと思ってしまった。
(^.^)