そもそも何のために古代をかじるのか?ただかじるだけでは味気がない。
古代において出雲の王国が影をひそめたのは何のためだったのか?
天孫降臨説の大和王朝が隆盛を極めて行った時代時代の中で、彼らは
どのような位置を占めていたのかを探りたかった。
大国主命が国譲りをする条件として、天の御子が帝位につく壮大な御殿の大通りに、私の立派な宮居を建ててくれたならところどころに隠れていましょう。
と云った。
この事は出雲王国の事実を形あるものとして、後世に残したい意思の表れではないか。その形が今日の出雲大社だと思う。
また付随的な条件としては、事代主を頭にして一族を導くなら背く者もいないでしょうと云った。
国譲りにしても海神族を完全に排除したわけではなく、むしろ血族的には関係を深めていった。物部氏族や三輪氏族のように皇室との婚姻関係が連綿と続いたことでも大国主命との約束が果たされたといえるだろう。
問題を起こす者がいたとすれば長髄彦とその一派であろうか。
また、関東以北には縄文以来の蝦夷も多く、大和朝廷に従属しない部族も多かったに違いない。このへんは歴史の示すところである。
巷に『怨念』という古くからの、歴史から抜け出てくる化け物に出会うことがある。
七生にわたって末代までも祟るというものだが、このようなものが現れる時代もまた、
古代の中世の戦乱の、敗者復活戦を試みようとしている族が跋扈しているのであろう。
解かり難い名前で頭の中の整理がつき難いですね。
この所為でしょうね。
ボクが歴史を避けてしまったのは。
しかしいつかは古事記に挑戦してみようと思います。
天武朝の文武天皇の時に原典の改編があったそうです。
すんなり分からない筋運びが
輪をかけてごちゃごちゃと云う感じがします。