鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

まちの高齢化

2013年12月11日 21時43分06秒 | Weblog
“高齢化”、人間だったらそう言うし、それが建物やインフラだったら“老朽化”というでしょう。同じように「 まち 」の“高齢化”を客観的に考える必要があると思います。まちにとっての高齢化は、今まであったいろいろな機能が、働く人の高齢化やモノの老朽化によって、今まで通りに維持できるかどうかという課題でしょう。
例えば、今まであった診療所やお店が、そこにいた先生やお店の人がもうできなくなって、閉鎖したり閉店しているということは、その動きといえるでしょうし、それは私たちもよく目にすることではないでしょうか。

もちろん、創業百何十年といったお店もあるので、先に書いたことがすべてそうだということはありません。逆にそのようなお店がなぜその土地にあるかということについてが、私たちにとって大きなヒントになると思います。まちが続いているからお店も続いてるのですから、まちの機能が維持されることは、私たちの生活にとって大きな意味があることが明らかです。ということは、閉店されたり閉鎖される状況を自分ごととして考えることや、みんなごととして考えることが大切でしょう。
また、私たちは高齢化という言葉にマイナスの印象を持ちがちですが、成熟や熟成という側面も高齢化の一面ですし、人の一生を考えても、年齢を重ねて魅力を増す人も多いことから考えれば、前向きにプラスの意識で考える部分があってよいと思います。ただ個人的な感覚ですが、年齢を重ねる中で過度に若作りしたり、過剰に身を飾るような年齢の重ねかたはどうかとは思いますが・・・。

ともかく、少子高齢化や人口減少と施設やインフラの老朽化、社会の高齢化という課題から目をそらせないのであれば、それをどうしなやかに受け止めるのか、今までの成功体験や経験則にとらわれるだけでなく、もっと先の世の中を想像しながら一方でもっと過去のことを考え合わせていくことで、もっと魅力的なまちにしていくことを考えることができると思います。

鈴鹿を考えるとき、まちの高齢化について目をそらさないことが、いま鈴鹿の政治に求められていることだと思います。それに目を向けずに、いま耳ざわりのいいことばかりや、その場が盛り上がるだけのことが政治の場で語られるとしたら、10年くらいはもつかもしれませんが、そこから先に行けばいくほどずれが大きくなり、まちが厳しくなると思います。そしてその政治は行政と議会だけで行うものでなく、これまで以上に市民が参画することが大切だと思います。そうなることが鈴鹿をもっと盛り上げることになるはず、まちが高齢化してもまちの心の若さが続くなら、まちは活気をなくすことはないでしょう。

そういうまちに鈴鹿がなるように、いろいろ考えたり行動していきたい気持ちは変わりません。

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