今更ながらにぞっとしたこと
ネットの掲示板などはまだ検索などで見つけることができるけれども、
LINEなどのSNSで噂話などを流されたら
自分のあずかり知らないところで情報だけが独り歩きして
本人の弁明や事の真偽の説明機会もないまま
それが実生活に影響を与える可能性が大きいということ
にもかかわらず
自分に危機が降りかからなければ
モラルや危険性を取り立てて意識することなく
それらに関わっているだろう現状
ナイフは便利だけれども自分も人も傷つける道具になるように
それ以上にSNSのコミュニケーションは
深く人の心を傷つけることを忘れてはいけないと思います
ナイフは加害者と被害者がわかりやすいけれど
SNSでは被害者に対して加害者がわかりにくい上に
加害者になっている可能性に気づかないまま
そのコミュニケーションに加わっているということも
ウィンドウズ98の頃のチャットなどのコミュニケーションや
携帯電話でのメールから考えれば
圧倒的に便利になった部分はあるものの
それらを使ったコミュニケーションについて慎重になったり
言葉のリスクを考えることがほとんどないまま
今のSNSを使うようになった状況は
もしかすると
自分たちが考える以上に
深刻な危険をはらんでいるのかもしれませんね
人にラベル(レッテル)を貼るのは簡単ですが
それをはがすことは非常に難しいことです
貼られた人にとってはもちろんのこと
貼った人も、意識を変えなけれはがせないものです
そもそも貼らなければいけないものなのか
そういうことも考えるべきなのだと思います
ネットの掲示板などはまだ検索などで見つけることができるけれども、
LINEなどのSNSで噂話などを流されたら
自分のあずかり知らないところで情報だけが独り歩きして
本人の弁明や事の真偽の説明機会もないまま
それが実生活に影響を与える可能性が大きいということ
にもかかわらず
自分に危機が降りかからなければ
モラルや危険性を取り立てて意識することなく
それらに関わっているだろう現状
ナイフは便利だけれども自分も人も傷つける道具になるように
それ以上にSNSのコミュニケーションは
深く人の心を傷つけることを忘れてはいけないと思います
ナイフは加害者と被害者がわかりやすいけれど
SNSでは被害者に対して加害者がわかりにくい上に
加害者になっている可能性に気づかないまま
そのコミュニケーションに加わっているということも
ウィンドウズ98の頃のチャットなどのコミュニケーションや
携帯電話でのメールから考えれば
圧倒的に便利になった部分はあるものの
それらを使ったコミュニケーションについて慎重になったり
言葉のリスクを考えることがほとんどないまま
今のSNSを使うようになった状況は
もしかすると
自分たちが考える以上に
深刻な危険をはらんでいるのかもしれませんね
人にラベル(レッテル)を貼るのは簡単ですが
それをはがすことは非常に難しいことです
貼られた人にとってはもちろんのこと
貼った人も、意識を変えなけれはがせないものです
そもそも貼らなければいけないものなのか
そういうことも考えるべきなのだと思います