Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

ジェーン・バーキンのサーカス・ストーリー

2015年10月06日 20時38分14秒 | 洋画2009年

 ◇ジェーン・バーキンのサーカス・ストーリー(2009年 フランス、イタリア 86分)

 原題 36 vues du Pic Saint Loup

 英題 Around a Small Mountain

 監督 ジャック・リヴェット

 

 ◇元邦題『小さな山のまわりで』での方が好き

 大人の恋物語というのは静けさに包まれてて好い。

 ていうか、ジェーン・バーキンがリヴェットの映画に出るのは18年ぶりなんだそうで、だから15年ぶりにサーカスに帰ってきたふしぎな中年女性の物語になったのか~とおもったのは、もしかしたらぼくだけじゃないっておもうんだけど、どうなんだろう?

 ひと目惚れというのは、たぶん、誰にでもあるものなんだろうけど、その瞬間というのは非日常的なものであればあるほど好い。それが旅の途中の山間で、自分の運転する車が偶然に、エンジンの壊れてしまった彼女の車の横を通りかかったとしたらどうだろう?しかも、その彼女の父親はサーカスの団長だったのだが15年前に芸の事故で恋人を失ったことで退団してたんだけど、その父親がこのたび亡くなったものだから、彼女はその報せを抱えてサーカス団をめざし、そこでしばらく過ごすことにしてた、なんていう背景があればなおさらだ。

 ぼくだったら彼女に入れ込み、そのサーカスの場所に逗留し、連日のように通い、やっぱりセルジオ・カステリットよろしく寸劇とかやっちゃったりして団に溶け込み、そこで中年の恋を咲かせようとするかもしれない。そんな気をほんわかと起こさせてくれるんだよね、こういう映画は。

コメント

そんな彼なら捨てちゃえば?

2015年08月20日 17時50分20秒 | 洋画2009年

 ▽そんな彼なら捨てちゃえば?(2009年 アメリカ 129分)

 原題 He's Just Not That into You

 監督 ケン・クワピス

 

 ▽もしかしたらこれがハリウッドのアイドル映画なのか?

 このあいだ、ちょっと用事があって電車に乗ったら、とりまくように女子大生と新入社員のたぶん高校時代の同級生グループとおぼしき連中が乗り込んできて、ドアの端っこあたりに立っていたぼくを壁どんしかねまじき勢いで立ち、遠慮も配慮もなくぺちゃくちゃと喋りまくっていたんだけど、徹頭徹尾、彼氏の話だった。今の彼氏と結婚するかどうか、もうこの先オトコに出会える機会(ワンチャンとか、犬ころかといいたくなるような略をしてたが)はもうなくなるとか、彼氏に「そういう関係でいいんじゃね?」とかいわれたのが許せんから別れるとか、わたしだったら別れないし「そういうこともしたいし」とか、もうなんだかんだ、うるせーよ、おめえらといいたかったが、気の弱い僕は小さくなって窓の外を見てた。で、おもった。

 こんな彼女なら捨てちゃえよ、と。

 しかしそれにしても、これだけ大層なキャストを並べながらなんにも残らない内容の映画をよくもまあ作れたもんだとおもうんだけど、世の中、こういう映画が初登場第1位とか取っちゃったりするんだから、ほんと、ストレスなく生きていくのは難しい。

コメント

噂のモーガン夫妻

2015年08月13日 00時08分32秒 | 洋画2009年

 ◇噂のモーガン夫妻(2009年 アメリカ 103分)

 原題 Did You Hear About the Morgans?

 監督・脚本 マーク・ローレンス

 

 ◇モーガン夫妻は何処だ?

 あるいは、モーガン夫妻を探せ?というのが原題の意味するところなんだろうけど、どうにもこの邦題は内容に合ってなくて気に入らない。

 ま、そんなことはともかく、しょぼいインテリを演じさせたら右に出る者のいないヒュー・グラントだけど、ここでもやっぱりしょぼい。どうしてこの人はこんなにしょぼくれてるのにセレブに見えたり、お人好しに見えたり、運動音痴に見えたり、それでいてなんだかかっこよく見えたりするのはなんでなんだろう?ほんとに貴重な役者さんだとおもうんだけど、コメディタッチの作品ばかりに使われるのが惜しい気もしないではない。

 物語については目新しいものはなにひとつなく、離婚しかけてる夫婦が殺人事件を目撃したために証人保護プログラムによって田舎へ隠れざるをえなくなるんだけど殺人者たちに狙われる内に心が氷解していくっていう、もうどうにもならないくらいがちがちな筋立てだ。にもかかわらず見ちゃうのは、やっぱりヒュー・グラントの魅力としかいいようがない。

コメント

恋は3,000マイルを越えて

2015年08月03日 03時10分20秒 | 洋画2009年

 ◇恋は3,000マイルを越えて(2009年 フランス、カナダ 80分)

 原題 JUSQU'A TOI

 英題 SHOE AT YOUR FOOT

 監督 ジェニファー・デヴォルデール

 

 ◇『百年の孤独』

 一冊の小説がカナダとフランスにいる男女の間をとりもつことになるなんて、なんとまあおとぎ話のような。

 けど、実際にはこうはいかない。そもそもなんの興味もない『百年の孤独』をトランクにいれられてしまった恋人もちながらも冴えない男と、偶然そのトランクが届けられてしまった『百年の孤独』を57回も読んだパリジェンヌとが恋愛するためには、なるほど、なかなか会えずに妄想の相手に恋をしちゃった方がいいのかもしれないね。でもそういう恋はたいがいの場合、破綻するものなんだけど、そうじゃなくしちゃうのがこういうおとぎ話なんだろうね。

 ぼくとしては、メラニー・ロランが出てることだけで充分に満足なんだけどね。

コメント

水曜日のエミリア

2014年11月08日 01時55分08秒 | 洋画2009年

 ◇水曜日のエミリア(2009年 アメリカ 102分)

 原題 Love and Other Impossible Pursuits

 staff 原作/アイアレット・ウォルドマン『The Other Woman』 監督・脚本/ドン・ルース 製作総指揮/ナタリー・ポートマン、アビー・ウルフ=ワイス、レナ・ロンソン、カシアン・エルウェス 撮影/スティーヴ・イェドリン 音楽/ジョン・スウィハート

 cast ナタリー・ポートマン スコット・コーエン ローレン・アンブローズ リサ・クドロー

 

 ◇僕はイサベルの生まれ変わりにいつか会うよ

 簡単にいってしまえば、不倫相手と結婚したとき、その連れ子といかにして仲良くなってゆくか、という話だ。

 でも、そんな他愛ない話に過ぎないんだけど、ナタリー・ポートマンの実生活とどこかダブって見えかねないところがあるものだから、ちょっとばかり別な意味でのデバガメ心もよぎったりする。でもまあ、そんなことはどうでもよく、世の中、これだけ離婚だ不倫だ浮気だ再婚だとかって話が蔓延してくると、従来の価値観ではどうにもならなくなってるっていう感じは受けないこともない。そうしたところ、この作品の目の付け所は決して悪くはない。まあそれに、学歴コンプレックスのあるぼくは、ハーヴァード大学とイェール大学に現役合格し、ヘブライ大学院において中東問題の研究まで修めたっていうナタリー・ポートマンが「作りたい」とおもったものにまちがいはないんじゃないかっておもったりするものだから、始末が悪い。

 ま、設定としてはそれなりにおもしろい。

 ナタリー・ポートマン演じる主人公は、不倫相手と結婚して妊娠するものの、イザベルと名づけた娘をたった生後3日で失った。しかもその死については乳児突然死症候群によるものではなく、もしかしたら自分が圧死させてしまったかもしれないという、ちょっぴり複雑なものだ。だから、彼女の痛手は大きく、きわめて苦しい自己嫌悪にも苛まれている。けれど、略奪愛による結婚だからどうしても夫の連れ子には引け目があり、好い母親でいなければならないっていうストレスも相当にあったりする。で、その連れ子を自宅へ連れ帰る日が水曜日なもんだから、邦題がそうなってるってわけだ。

 それに、連れ子が、その母すなわち夫の元妻に対して、あれこれとなく耳打ちするのだろう。それによって、小姑ならぬ元妻が、めんどくさい夫や家庭の扱い方についてあれこれと口を挟んでくる。だから、なかなか、突然自分の家族になってしまった息子の面倒を見ようにもおもうがままにふるまえない。ほんとに、この連れ子は困ったもので、きわめて邪魔くさい。

「このままじゃあ、自分の望んでたような人生は送れないのではないか」

 という焦りが彼女に浮かんでくるのはごく当たり前な話だ。ところが、人間ていうのは慣れることができる動物なんだよね。自分の置かれている境遇にいつのまにか慣れちゃう。対人関係もそうで、そこには相互理解っていう人間にだけが備えている理性的な感情がある。

「僕はイサベルの生まれ変わりにいつか会うよ」

 と、連れ子がいうのは、つまり、ナタリー・ポートマンを母親として認め、兄弟姉妹ができることを期待しているという心情のあらわれだろう。ハリウッドは家族の再生をよく主題にするけど、この作品は家族の再編が主題なのかもしれないね。

コメント

母なる証明

2014年11月04日 00時28分23秒 | 洋画2009年

 ◇母なる証明(2009年 韓国 129分)

 英題 Mother

 staff 監督・原案/ポン・ジュノ 脚本/パク・ウンギョ、ポン・ジュノ

     撮影/ホン・クンピョ 美術/リュ・ソンヒ

     衣装/チェ・ソヨン 音楽/イ・ビョンウ

 cast キム・ヘジャ ウォンビン チン・グ ユン・ジェムン チョン・ミソン イ・ヨンソク

 

 ◇これ、現代の韓国?

 物事には、善悪がある。

 裏と表があって、犯罪者と被害者があって、

 健常者と障害者があって、富める者と貧しき者があって、

 差別する者と差別される者とがある。

 この映画はそういうものをすべて並べて、

 それをみんなぶち壊すような勢いで利己主義の権化になっていく恐ろしさを描いた映画だ。

 5歳のときにトラウマを持ってしまった知的障害者の息子は、バカといわれるとキレる。

 そんな息子が女子高生を殺した容疑で投獄された。

 息子を溺愛する母親は息子の容疑を晴らすためにそれはもうありとあらゆることをする。

 犯人を捜そうとするだけじゃなく、証拠の捏造、冤罪者の追い込み、証人の殺害などだ。

 それはもはや狂気でしかないんだけど、

 被害者となった女子高生は売春をすることで米や餅を手に入れ、家族を生かしている。

 殺される証人は屑広いの老い先みじかい爺さんだ。

 ほんとは息子が女子高生をコンクリートで叩き殺したにも拘わらず、

 息子に代わって犯人に祀り上げられるのはダウン症のせいで満足に説明できない少年だ。

 伏線というか要になっているのは、母親が鍼灸をしていることだ。

 嫌なことを忘れてしまうことのできるツボは、内腿にあるらしい。

 爺さんを叩き殺して火をつけて証拠を隠滅したはずなのに、

 知恵遅れの息子が火事の現場から母親の鍼を見つけてしまい、母親に渡してやるところなんざ、

 こいつほんとに知恵遅れなのかとおもわれ、観る者に鳥肌を立たせる。

 だけど、この監督はこういうんだろね。

「それぞれの人生や境遇についていろんなことはあって、

 不幸な人間も、犠牲になった人間も、加害者も被害者も、

 そんなことはどうでもよいし、所詮は赤の他人でしかない。

 この母親は息子を守ることができればそれでよく、

 あとはただ踊るだけだという突き放すだけだ」

 でも、どうにも、相容れないものを感じるのは、

 滑稽な場面を見せられたときだ。

 これって笑いをとるような映画なんだろか?と。

 どうにも、感覚的に入り込めないわ。

 とにかく、恐ろしい映画だったわ~。

コメント

オーシャンズ

2014年10月21日 02時52分51秒 | 洋画2009年

 ◇オーシャンズ(2009年 フランス 103分)

 原題 Oceans

 staff 監督/ジャック・ペラン、ジャック・クルーゾ

    脚本/ジャック・ペラン、ジャック・クルーゾー、フランソワ・サラノ、

       ステファン・デュラン、ロラン・ドゥバ

    製作/ジャック・ペラン、クリストフ・バラティエ、ニコラ・モヴェルネ

    製作総指揮/ジェイク・エバーツ

    撮影/リュック・ドゥリオン、ルチアーノ・トヴォリ、フィリップ・ロス、

       ロラン・シャルボニエ、クリストフ・ポテイエ、エリック・ビェリェソン、

       ロラン・フルト、ティエリー・トマ、フィリップ・ガルギ、オリヴィエ・ゲノー

    水中撮影/ディディエ・ノワロ、ルネ・ウゼ、デヴィッド・レイカート、奥村康、

         シモン・クリスティディ、ジャン・フランソワ・バルト、

         ジョルジュ・エヴァット、トマ・ベーレント、マリオ・キール

    編集/バンサン・シュミット、カトリーヌ・モシャン

    音響効果/ジェローム・ウィシア 音楽/ブリュノ・クーレ

 cast ジャック・ペラン ランスロ・ペラン ナレーション/宮沢りえ

 

 ◇世界50か所で100種の生命

 撮影は、ほんと、大変に苦労したんだろうなあっておもう。

 そういうことからすれば、よく撮ったもんだとおもう。

 イワシの群れを追いかけていくイルカの群れの圧倒的な迫力も、

 そのイワシがまるで円柱のように群れる容子も、

 海がミズクラゲで埋め尽くされていくさまも、

 何万匹というクモガニが海底を行進していくところも、

 ザトウクジラも、イッカクも、ムラサキダコも、みんなたいしたもんだ。

 いや、

 気の遠くなるような苦労を重ねてこれだけの映像を撮ったことは、

 尊敬の域を超えるかもしれないね。

 ぼくには到底できないことだもん。

 

コメント

あの夏の子供たち

2014年10月15日 03時25分14秒 | 洋画2009年

 ◇あの夏の子供たち(2009年 フランス 110分)

 原題 Le pere de mes enfants

 staff 監督・脚本/ミア・ハンセン=ラヴ 製作/ダヴィド・ティオン、フィリップ・マルタン

    撮影/パスカル・オーフレ 美術/マチュー・ムニュ 編集/マリオン・モニエ

    挿入歌/ドリス・デイ『ケ・セラ・セラ』作詞作曲ジェイ・リビングストン&レイ・エバンズ

 cast キアラ・カゼッリ ルイ=ドー・デ・ランクサン アリス・ド・ランクザン アリス・ゴーティエ

 

 ◇生きた日々と死んでからの日々

 生きているときは鬱陶しいな~とかおもってた人間が、

 ある日、いきなり死んじゃうと、

 なんだか、その人間のいるべき空間がぽっかりと空いちゃったような気がする。

 さみしくて、どうしようもなくなる。

 鬱陶しいほどの明るさがあったからなおさら空虚さが増す。

 でも、それもつかの間のことで、

 いつの間にかその空間にはいろいろなものが詰め込まれ、埋められていく。

 この映画もそうした人生の中で誰しもが体験することを描いている。

 それも淡々と。

 日本の映画のプロデューサーは、自分の会社が赤字で破裂し、

 借金を返すあてがまるでなくなっても、自殺したとかいう話は聞いたことがない。

 でも、この作品の監督ミア・ハンセン=ラヴの処女作のプロデューサーは、

 どうやらそうじゃなくて、この作品で描かれたように自殺してしまったらしい。

 それを第2作目のモチーフにしたみたいなんだけど、

 いやまったく、邦画界とはちょっとちがう。

 ただまあ、主人公なのかとおもってた映画プロデューサーがいきなり道端で拳銃自殺し、

 あとに残された妻が死にもの狂いでがんばって会社を立て直していく話かとおもえば、

 まるでそうじゃなくて、

 会社はそのまま倒産して残務処理に追われ、

 くわえて、

 夫が実は不倫をしていて息子まで作っていたとかって事実まで知ることになり、

 父親を亡くした子供たちもさまざまな気持ちを抱えながらも、

 長女は長女で、

 父親が最後にプロデュースしようとしていた映画「サトゥルヌス」の監督と恋仲を予感したりと、

 ぼくみたいなアホたれが予測するような展開をまるで裏切る展開が待ってて、

 しかも最後には妻の実家のあるイタリアへ旅立っていくという、

 なんとも現実味に徹した家族の旅立ちが描かれてるんだけど、

 そのときに聞こえてくるのが、

 ヒッチ・コックの『知りすぎていた男』でドリス・ディの『ケ・セラ・セラ』だ。

 ハリウッドの作品や邦画とかだったら、こうはいかない。

 まじかってくらいに家族ががんばっちゃって、父親の夢を継ごうとするんだけど、

 いや、現実ってのはそんなに甘いもんはおまへんねやってばかりに、

 ミア・ハンセン=ラヴは淡々と現実的な世界を映し出していく。

 まいった。

 たぶん、現実というのは、こういうものなんだろう。

 たいした映画だ。

 ただ、ちょっと父親が自殺するまでの描写が長くて、ぼくにはきつい。

 それだけ、父親の生きていた日々を色濃く出そうとしてるのはわかるし、

 ふたつの日々の対比という点もわかるんだけど、ちょっと長かった。

 でも、たいした映画だったことにはまちがいない。

コメント

ココ・アヴァン・シャネル

2014年06月07日 13時51分15秒 | 洋画2009年

 ◎ココ・アヴァン・シャネル(Coco avant Chanel 2009年 フランス)

 ぼくは、おしゃれとは程遠い人間だ。

 着るものにこだわってたらきりがないし、

 そもそもそんな贅沢なんてできるような身分じゃない。

 だから、この映画ではないけど、

 ほかのココ・シャネルの映画で、

 シャネルのロゴが「COCO」から来てるのを見たとき、

「へえ~!」

 っておもうくらい、ファッションについては無知だ。

 で、そんなぼくがこの映画を観たところで、

 そのファッションセンスについてあれこれいうことなんてできない。

 けど、

 オドレイ・トトゥが、実にうまいのはなんとなくわかった。

 監督のアンヌ・フォンテーヌの起用にちゃんと答えてるっていう印象だ。

 これまでにココ・シャネルの映画は何作かあって、

 どういうわけか、ぼくはそれに巡り合ってるんだけど、

 強烈なメロドラマだったり、ちょっとエロチックだったりして、

 姉妹で踊り子になって「ココの歌」を歌ってるときのコケティッシュな感じは、

 あんまり感じられなかったし、

 貧相なココがどんな感じでのしあがってきたのかってことも同様だ。

 ただ、オドレイはその貧相さが上手に漂ってるし、

 きつさもわがままさもプライドも包含されてる。

 なんつっても、お針子の時代が似合うし、

 そこからファッション革命をひきおこしていく自意識の強さも、

 上手に表現されてる。

 ただ、まったく知らなかったことなんだけど、

 このポスター、妙に違和感がある。

 右手に万年筆を持ってることだ。

 どう見たところで、これ、煙草を持ってるポーズじゃない?

 だって、

 シャネルって筋金入りの愛煙家だったんでしょ?

 で、わかった。

 フランスでは煙草の広告が全面的に禁止されてて、

 最初はやっぱり煙草を持ったポーズだったらしい。

 それが変更されてこうなったらしいんだけど、

 もしも、全面回収される前のポスターがあれば、

 プレミア物なんじゃないかっておもうわ~。

コメント

愛する人

2014年05月01日 00時05分51秒 | 洋画2009年

 ◎愛する人(Mother and Child 2009年 アメリカ・スペイン)

 上手な脚本だった。

 さすが、ロドリゴ・ガルシアっていうか、

 ガルシア・マルケスの息子ならではの上手さといったら、嫌がられるだろうか。

 たぶん、そんなことはないだろう。

 だって、親子の情というものは、どうしたところで不滅なんだと、

 かれはこの自作品でいっているんだから。

 アネット・べニングは、

 年老いた母の死を看取ることで、14歳で生んだ娘を探そうとし、

 ナオミ・ワッツは、

 心ならずも上司の子を宿してしまったことで、37年前に自分を捨てた母を探そうとし、

 ケリー・ワシントンは、

 子を産めないために20歳の大学生シャリーカ・エップスの産む子を養子にしようとする。

 この3人が繋がりそうで繋がらないままに物語は展開し、

 それぞれが、

 母と子の絆を意識することになる前後の人間関係をじっくり描いてる。

 こんなふうに書けば簡単だけど、

 なかなか難しい。

 しかも、登場人物たちの上手なすれちがいと、

 それを繋ぐための子供という象徴の使い方に、

 どれだけ苦心したことだろうって感心しますわ。

 ただ、なんていうのか、

 男性不信となっている女性が、

 なんとなく心を開いていくのと共に、

 母親になること、母親であったこと、母親として生きることに対して、

 すこしずつ眼を開いていくという構図が実によく組み込まれてる。

 脚本にはいろんな構成があるけれど、

 これは見本のひとつになるような作り方なんじゃないかなと。

 盲目の少女とのやりとりが、

 途中途中の要になってるのも、またいい。

 堪能できる映画だったわ。

 主役ふたりはあいかわらず綺麗だしね。

 なんとなく似てるふたりをキャスティングしてるのが、またオツなんだわ。

コメント

(500)日のサマー

2014年04月26日 02時45分39秒 | 洋画2009年

 ◎(500)日のサマー((500)Days of Summer 2009年 アメリカ)

「ペニス!」

 たとえば、女の子とつきあってて、子供もいる静かな公園で、

 ふたりで交互に「ペニス!」と叫んで、徐々に声を大きくしていって、

 それが叫べなくなった方が負け、みたいなゲームをしようってなったとき、

 できる?と聞かれたら、できるって断言できる自信はぼくにはない。

 ということは、つまり、ぼくも所詮はジョゼフ・ゴードン=レヴィットとおなじなわけだ。

 気が強いわけでもなく、女の子とつきあうのは上手でもなく、

 それでいて、好きな女の子は独占したいっていう、ちっぽけな感じが。

 ま、そんなことをおもっちゃうくらい、この作品は上手に観客を誘い込む。

 500日という出会ってから別れるまでの時間は、

 長いのか短いのかよくわからないんだけど、

 結局、ゾーイ・デシャネルの心は最後まで見えてこない。

 いったいどんな女の子だったんだろうっていう印象だ。

 けど、女の子ってのは、どこかしら、みんな、ゾーイなんだよね。

 結婚する相手との出会いについては「運命的な」とかいうんだけど、

 はたから観てれば、ジョゼフとの出会いだって充分運命的だ。

 つまり、女の子にとっての「運命」ってのは自分に都合のいい「運命」なんだ。

 だから、ビッチ!とか冒頭でいわれちゃったりするんだろね。

 ただ、途中、

(サマーと別れてから出会う女の子がオータムとかってないだろな~)

 っていう懸念が湧いてきてた。

(まさか、そんなくだらないオチとかつけないよな~)

 で、ラストになったんだが、

 ぼくはオータム役のミンカ・ケリーの方が贔屓だ。

 ま、そんなことはともかく、

 編集の勝利というのか、脚本が練り込まれているっていうのか、

 ともかく、500日の内の特定の日を、

 アトランダムに出し、

 まるでパッチワークのように作り上げてるのは見事だった。

コメント

ヴィクトリア女王 世紀の愛

2013年12月09日 17時35分36秒 | 洋画2009年

 ◇ヴィクトリア女王 世紀の愛(2009年 イギリス、アメリカ 109分)

 原題 The Young Victoria

 staff 監督/ジャン=マルク・ヴァレ 脚本/ジュリアン・フェロウズ

     製作/マーティン・スコセッシ グレアム・キング

         ティム・ヘディントン セーラ・ファーガソン

     撮影/ハーゲン・ボグダンスキ 美術/パトリス・バーメット

     衣装デザイン/サンディ・パウウェル 音楽/アイラン・エシュケリ

 cast エミリー・ブラント ルパート・フレンド ミランダ・リチャードソン ジャネット・ハイン

 

 ◇1840年6月、ヴィクトリア&アルバート狙撃事件

 子孫の呼称ってのは、なかなか知らないものだ。

 子、孫、曾孫、玄孫(やしゃご)までは、たいていの人間は知ってる。

 でも、その後も続いていくわけだから、とうぜん、呼称がある。

 来孫(きしゃご)、昆孫(こんそん)、仍孫(じょうそん)、雲孫(つるのこ)だ。

 8代後まで、決められてる。

 なんでそんなことをいうかといえば、

 この映画には、

 ヴィクトリア女王とアルバート公の昆孫にあたるヨーク公爵令嬢ベアトリス王女が、

 侍女役で出演してるからだ。

 へ~ってな話だけど、

 そもそも、この作品を作ったらどうかしらって発案したのが、

 エリザベス女王の次男ヨーク公爵アンドルー王子の元妻セーラ・ファーガソンらしい。

 つまり、ヨーク公爵令嬢ベアトリス王女のお母さんね。

 ちなみに元妻ってのは不倫報道の結果、離婚したからなんだけど、

 映画のプロデューサーまで務め、

 実際に王位継承権を持ってる自分の娘を出演させるのは、さすがだ。

 まあ、そのあたりのことはさておき。

 ヴィクトリア女王の治世はヴィクトリア朝とまでいわれるくらい長く、63年と7か月。

 その間、大英帝国は繁栄の一途を辿って「太陽の沈まぬ国」とまでいわれ、

 諸外国との婚姻政策も進んで、彼女は「ヨーロッパの祖母」といわれた。

 7つの海を支配したおかげで植民地は最大に広がり、初のインド女帝にもなった。

 こんな凄まじい女帝の話なんだから、えらい大作かとおもいきや、

 なんとまあ、結婚と狙撃事件の前後に焦点をしぼった恋物語でありました。

 配役を見れば、そりゃそうだよねってことになるんだけど、

 少女の殻を脱しきれず、操り人形のように扱われていた女王が、

 恋愛と結婚を背景にして、

 次第に真の女王への陛を登り始めるっていう筋立てからすれば、

 ちょうどいい感じに仕上がってたような気がするんだけど、どうなんだろ?

コメント

みんな元気

2013年10月17日 01時01分53秒 | 洋画2009年

 ◎みんな元気(2009年 アメリカ 95分)

 原題 Everybody's Fine

 staff 監督・脚本/カーク・ジョーンズ

     オリジナル脚本/トニーノ・グエッラ ジュゼッペ・トルナトーレ

     撮影/ヘンリー・ブラハム 美術/アンドリュー・ジャックネス

     衣装/オード・ブロンソン=ハワード 音楽/ダリオ・マリアネッリ

     挿入曲『I Want To Come Home』/ポール・マッカートニー

 cast ロバート・デ・ニーロ ドリュー・バリモア ケイト・ベッキンセール メリッサ・レオ

 

 ◎オマージュのリメイク

 もう、言い古された話なんだろうけど、

 この作品は、

 ジュゼッペ・トルナトーレが、

 マルチェロ・マストロヤンニの主演で撮った映画のリメイクだ。

 その『みんな元気』もまた、

 小津安二郎が笠智衆の主演で撮った映画へのオマージュだ。

 まあ、そういうことからいえば、

 いかに小津が素晴らしい監督だったかわかるというものだけど、

 笠智衆、マストロヤンニ、デ・ニーロの3人が肩を並べてるなんて、

 まったく、まじにうきうきしちゃう。

 もちろん、ちょっとずつ洗練されてきてるような気はするし、

 デ・ニーロがついに笠智衆ばりに老いてきたのか~っていう感慨もある。

 あれだけ煙草が好きで、煙草の似合う役者もいないっていうのに、

「煙草はやめろ」

 と、肺気腫になった父親の役をしっかり演じてるのも、時代なんだな~と。

 心配してやったチンピラに薬を踏んづけられてしまう場面は、

 なんだかとってもかわいそうな感じで、

 いつも冷めた映画の見方をしてるぼくにはめずらしく、

 ちょっとばかり感情移入してる自分に気がついた。

 そこらじゅうの電柱と電線がインサートされている理由が、

 電線が世界中に繋がっているように、

 家族はどこへいっても決して絆は切れないんだという主題に繋がってる。

 現実はなかなかそんなに甘いものじゃないんだけど、

 まあ、映画の中でデ・ニーロは苦労したんだから、

 それくらいのご褒美があってもいいかっておもっちゃうんだよね。

 感情移入しちゃったし。

コメント

パブリック・エネミーズ

2013年10月12日 12時28分44秒 | 洋画2009年

 ◇パブリック・エネミーズ(2009年 アメリカ 141分)

 原題 PUBLIC ENEMIES

 staff 原作/ブライアン・バーロウ『パブリックエネミーズ』

     監督/マイケル・マン 製作/マイケル・マン ケヴィン・ミッシャー

     製作総指揮/G・マック・ブラウン ロバート・デ・ニーロ ジェーン・ローゼンタール

     脚本/ロナン・ベネット アン・ビダーマン マイケル・マン

     撮影/ダンテ・スピノッティ 美術/ネイサン・クロウリー

     衣裳デザイン/コリーン・アトウッド 音楽:エリオット・ゴールデンサール

 cast ジョニー・デップ マリオン・コティヤール クリスチャン・ベイル キャリー・マリガン

 

 ◇1930年代、大恐慌時代

 ギャングのジョン・ハーバート・ディリンジャー・ジュニアは、

 FBI長官J・エドガー・フーヴァーから、

 Public Enemy No.1(最大の社会の敵)と呼ばれるようになるんだけど、

 この銀行を襲っても客からは金銭を奪おうとしない強盗は、

 市民から義賊のように慕われてた。

 だから、かれが銃撃されて死んだ1934年7月22日は、

 いまでもJohn Dillinger Dayって呼ばれて、行事があるらしい。

 墓石が削られて持っていかれるなんて、

 なんだか鼠小僧みたいな感じだけど、

 義賊に対する扱いは洋の東西を問わないのかもしれないね。

 ちなみにディリンジャーが撃たれたのは、

 バイオグラフシアターっていうシカゴ郊外のリンカーンパークにある映画館の前なんだけど、

 このときにディリンジャーを裏切って通報したのは、

 アンナ・セージっていうルーマニアから移民してきた女友達で、売春宿の経営者だ。

 FBIの要請で目立つような服を着ろといわれてたから赤いドレスでデートしてたらしい。

 だから、今でもアメリカじゃ、破滅に導く女はthe lady in redとかっていわれるんだと。

『赤いドレスの女』とか『ウーマン・イン・レッド』とかっていう映画もあったけど、

 いまだに運命的な女の象徴になってるんだね、やっぱり。

 ところで、ディリンジャーを追いかけていたFBIは、ふたつに分かれてた。

 フーバーの部下で特別捜査班の長になってたメルヴィン・パービスだ。

 パービスはずいぶんのちに自殺するんだけど、これを演じたのがクリスチャン・ベイル。

 ジョニー・デップとの色男対決はたぶん女性観客には受けが好かったんだろうけど、

 ぼくは「おお、白塗りじゃないジョニデはひさしぶりに観たわ」とまずおもってしもた。

 注目すべきはやっぱりマリオン・コティヤールで、いやまあ上手だ。

 ディリンジャーの恋人ビリー・フレシェットを演ったんだけど、実にリアルだった。

 インディアンとの混血には見えなかったけど、それはご愛嬌だ。

 ちなみにビリー・フレシェットとディリンジャーの交際期間はあんまり長くなくて、

 出遭ってから半年後には逮捕されてるし、服役中にディリンジャーは銃殺されてる。

 いちばん燃え上がったときの恋人の悲劇なんだから、辛さは想像して余りある。

 ただ、一般女性が義賊とはいえどんどん悪人に嵌っていく過程は、なんかよくわかる。

 女性って、男次第で変わるのかな~。

コメント

ケース39

2013年07月24日 02時24分57秒 | 洋画2009年

 ◇ケース39(2009年 アメリカ 109分)

 原題 Case 39

 staff 監督/クリスティアン・アルヴァルト 脚本/レイ・ライト

     撮影/ハーゲン・ボグダンスキー 美術/ジョン・ウィレット

     衣裳デザイン/モニク・プリュドム 音楽/ミヒル・ブリッチ

 cast レニー・ゼルウィガー ジョデル・フェルランド ブラッドリー・クーパー

 

 ◇39番目の案件

 ソーシャルワーカーって、どんな意味?

 って聞かれて、ちゃんと答えられる日本人はどれだけいるんだろう?

 Social Workerを直訳すれば、

「社会事業あるいは社会福祉に専従する労働者」

 ってことになるんだろうけど、

 社会福祉士、児童福祉士、介護福祉士、精神保健福祉士、認定社会福祉士とか、

 福祉士のつく専門職はいっぱいあって、それの総称ってことになる。

 だったら、ソーシャルワーカーとかカタカナ語なんか使わないで、

 単純に福祉士っていえばいいじゃんね。

 ぼくはカタカナ語が嫌いだ。

 外来語っていうのか和製英語っていうのかよくわかんないけど、

 日本語をどんどん曖昧なものにして、

 それを使う人間も、わかったようでいて実はなんにもわかってない現象に陥る。

 日本語を喋ってるはずなのに、ほんとの意味をわからないまま過ごしてる。

 こんなアホなことはなく、これじゃあ、日本人はどんどんバカになっちゃう。

 ま、それはおいといて、この映画だ。

 レニー・ゼルウィガーの職業が、そのソーシャルワーカーなんだけど、

 ネグレクトやドメスティックバイオレンスのソーシャルワーカーって話だから、

 たぶん、育児放棄や児童虐待を取り扱う児童福祉士なんだろう。

 ほらね、曖昧でしょ?

 けれど、あらすじは単純だ。

 女の子ジョデル・フェルランドが、実の親に焼き殺されそうになるという事件が発生。

 この39番目の案件を担当したのが、児童福祉士レニー・ゼルウィガー。

 ゼルウィガーは、両親が精神病院に入れられたジョデルの境遇を憐れみ、

 里親が決まるまで自分のもとにひきとり、暮らすことにした。

 ところが、ジョデルはどうやら悪魔の申し子で、兄弟姉妹を死に追いやっていた。

 ジョデルの能力は相手が最も恐怖と感じるものを幻覚にして見せられるというもので、

 恐怖の現象に怯えたものが自殺あるいは過失などによって死にいたるわけだ。

 この恐ろしい能力を知った両親がジョデルを殺そうとしたんだけど、殺しきれず、

 ゼルウィガーがとんだ貧乏籤を引いてしまい、さまざまな恐怖を経験させられ、

 彼女を封じ込めるために、ついに車ごと海へ飛び込んでゆくって話だ。

 ただ、映画ではこの子を悪魔と定義してるんだけど、

 これは悪魔っていうより、

「悪魔的な心を持ってしまった超能力を持った少女」

 って定義した方がいいんじゃないかしら?

 まあ、ジョデル・フェルランドは『サイレントヒル』もそうだけど、

 こういう神秘的っていうか、悪魔的っていうか、不思議な役が似合う。

 とっても整った顔立ちで上品なんだけど、

 生気に乏しく、心から笑ってないような演技ができちゃうからなんだろね。

 けど、こういう、親や公人が子どもを死においやる内容ってのは難しく、

 だから、封切が延びに延びたんだろうし、

 日本では劇場で公開されなかったんだろうね。

 コンパクトながら上手に作ってあったとおもうんだけどな。

コメント