Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

青春の蹉跌

2007年05月28日 01時21分27秒 | 邦画1971~1980年

 ◇青春の蹉跌(1974年 日本 85分)

 監督/神代辰巳 音楽/井上堯之

 出演/萩原健一 桃井かおり 壇ふみ 赤座美代子 中島葵 芹明香 森本レオ

 

 ◇石川達三『青春の蹉跌』より

 えんや~とっと。

 高校時代のぼくと、いまのぼくとの差ってのがあって、昔、この映画を見たときは、よくわからない世界なんだけど、なんだか忘れ難い映画になって、この映画を観たことで、すこしばり大人になったような気にもなってた。

 つまり、わからないなりに全面的に支持しちゃったわけだけど、どうも年をとってから観ると、そうでもない自分がいる。場違いな歌を口誦んで怒りを抑えるというのがなんだかとってもわざとらしく見えて、それが繰り返されるとどんどん鼻についてくるのは、もしかしたら、神代辰巳の演出効果なんだろうか?

 この台詞を吐くのは、実は怒りを堪えるんじゃなくて、そういう自分になかば自己陶酔してるわけで、そうでなくちゃ「えんやとっと」はないだろうと、妙に冷めた目になっちゃう自分がいた。

 でも、こういう感想を抱いてしまうように仕向けてるとしたら、神代辰巳、さすがにたいしたもんだ。

 それと、演出なのかそれともそういう演技の質なのか、桃井かおりのもちもちとまとわりつくような濡れ場は、凄い。何十年経って観直しても、妙なリアリティがある。

 神代の演出力もあるんだろうけど、青春ってやつはいつの時代も濃厚なものなんだね。

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お吟さま(1978)

2007年05月24日 01時09分26秒 | 邦画1971~1980年

 ◇お吟さま(1978年 日本 154分)

 監督/熊井啓 音楽/伊福部昭

 出演/志村喬 三船敏郎 中野良子 中村吉右衛門 中村敦夫 岡田英次 遥くらら

 

 ◇今東光『お吟さま』より

 天正18年2月28日、利休切腹。

 ちょっとばかし意外なことに、熊井啓の時代劇はこの作品が初めてらしい。

 いったい熊井さんが茶の湯が好きだったのかどうか知らないけど『千利休 本覚坊遺文』も熊井演出だってことをおもうとかなり入れ込んだ主題だったのかもしれないね。

 どちらにも出ているのは三船敏郎で、本作では秀吉を、後者では利休を演じてるのが、とっても興味深い。

 興味深いといえば、この映画は、三船・志村の日本映画史上最高コンビの最後の作品だ。それも『祇園祭』と『黒部の太陽』以来、10年ぶりの共演になる。邦画界もなんとまあ大きな損失をしでかしたてたんだろうね。

 誰も、ふたりを共演させようとはおもわなかったのかな。寂しい話だ。

 まあ、それは仕方ないとして、演出は抑え過ぎなくらい抑えてる。理由はわからないんだけど、その中で、三船さんはひとり気を吐いてる。もっとも、熊井啓の作品に出てくる三船さんは非常に良い演技をする。

 小芝居が絶妙に早く、いたずらに武張っているだけじゃない。昔、三船敏郎を大根役者だっていうお門違いな批評はよくあったけど、それは三船さんを演出できない監督の作品に出た場合の話で、熊井啓の作品で下手だなとおもったことは一度もない。

 くわえて、志村喬の利休は見事だ。見事っていうより、本人が生き返ってんじゃないかってくらい、よく似てる。中野良子はお得意の髪の毛掻き揚げ演技はできなかったけど、泣けそうで泣けない頬肉目尻小刻み演技はここでもしっかりなされてる。まあ、良子さんのフアンはそれを観たいんだからいいんだ。

 役者さんの話はともかく、ふしぎなのはこの映画の企画をした大和新社株式会社。これ一作だけを作るために設立されたんじゃないかってくらい、後にも先にも映画史には登場しない。京都で活躍した松本常保や大志万恭子の各氏が、のちの製作委員会みたいなものを立ち上げたんだろうか。

 素人のぼくには、なんにもわからないけど、とっても興味深い。

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雲霧仁左衛門

2007年04月24日 00時37分36秒 | 邦画1971~1980年

 ◎雲霧仁左衛門(1978年 日本 160分)

 監督/五社英雄 音楽/菅野光亮

 主演/仲代達矢 岩下志麻 夏八木勲 市川染五郎 松本幸四郎 丹波哲郎 松坂慶子

 

 ◎享保7年(1722)、江戸深川

 雲霧仁左衛門っていう盗賊がほんとにいたかどうかはわからない。

 天保時代に創作されて、歌舞伎の『竜三升高根雲霧(りょうとみますたかねのくもきり)』とかが上演され、手下には小頭の木鼠吉五郎のほか、おさらば伝次、山猫三次、因果小僧六之助、洲走熊五郎とかがいたっていうんだけど、まあ、このあたりもほとんどが創作の域を出ない。

 で、この映画だ。

 よくもまあこれだけ役者を揃えたもんだってくらい、松竹の気合が入ってる。

 くわえて、音楽がいい。菅野光亮は『砂の器』の『宿命』も作曲してるけど、こっちもいいんだわ。なんていうんだろ、劇画調っていうのか、とにかく心が躍ってくる。

 それと、まあなんとも舞台のような長台詞。仲代、染五郎、幸四郎の三人はここぞとばかりの踏ん張りで、これがまた妙に音楽と相俟って格好いい。

 ただ、外連味が先に立ち、ていうか、外連を除いたら何にもなくなってしまいそうな、いってみれば恰好つけただけの顔見せ映画な上に、首や樽とかが吹っ飛ぶのは、ありゃ~こりゃだめだ~っていうくらいちゃっちい。でもまあ、ご愛嬌かな。顔見せだし、丹波さんとかおもいきり楽しんでるから。

 ちなみに、大学のとき、この映画が大好きで、池波正太郎っていう作家がいるんだ~とおもったのは、このときからかもしれない。

 けど、なんとも恥ずかしい話ながら、ぼくは、ほんと、活字が苦手で、実は「定本池波正太郎全集」もなんだか見栄だけ張って全巻買ったんだけど、一度も開いたことがない。

『雲霧仁左衛門』くらいは読めばいいのにね。

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約束

2007年03月12日 02時21分40秒 | 邦画1971~1980年

 ☆約束(1972年 日本 88分)

 監督/斎藤耕一 音楽/宮川泰

 出演/岸惠子 萩原健一 中山仁 三國連太郎 南美江 姫ゆり子 殿山泰司

 

 ☆70年代の傑作

 高校生のとき、ほぼ偶然にこの映画を観た。

 なにもかもすっ飛んじゃうくらい、ぼくはこの作品に嵌まった。映像も脚本も役者も胸に沁み入るくらい好かった。なんといっても音楽は生涯忘れることはないんじゃないかってくらい好かった。

 映画はときとして奇跡的な出来栄えになることがあるんだけど、この映画もたぶん、そういう作品のひとつなんだろう。

 ストーリーは、なんのことはない。列車に乗り合わせた男と女が恋に落ちるんだけど、事情があって別れるっていうだけの話だ。

 けれど、男はチンピラで、やがて強盗傷害をひきおこして逃亡し、逮捕される運命にある。女は服役している模範囚で、墓参のために外出し、囚人仲間の手紙を渡す使命にある。このふたりが列車に乗り合わせるんだから、最後には、男は逮捕されるから出獄した女が約束した場所で待っていても、もちろん、来るはずもない。

 なんとも胸の奥が痛くなるような悲しみに包まれる作品で、うらさびしさに包まれた日本海沿岸のさびれた町というロケーションも好く、多感な時期の僕は、もうたまんなくなって、旅の出会いに憧れたものだ。

 ところが、これ、1966年の韓国の李晩煕監督作『晩秋』のリメイクだってことを知った。

「え~!オリジナルじゃなかったんだ~!」

 ちからが抜けた。

 どうやら、斎藤耕一が韓国で『晩秋』を観、正式に再映画化を頼み、権利を日本へ持ち帰って、オールロケーションで撮り上げたものらしい。しかも、2010年には、今度は米韓合作でふたたびリメイクされる。監督はキム・テヨン、舞台はシアトル、さらに列車ではなくバスらしい。

 でも、ぼくはこの2本の『晩秋』を観るんだろうか?

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反逆の旅

2007年03月06日 02時07分54秒 | 邦画1971~1980年

 △反逆の旅(1976年 日本 92分)

 監督/渡辺祐介 音楽/鏑木創

 出演/原田芳雄 高橋洋子 麻生れい子 横山リエ 田中邦衛 尾藤イサオ 志垣太郎

 

 △藤原審爾『よるべなき男の仕事・殺し』

 原田芳雄、自薦。

 どうやら、原田芳雄はこの作品を好きらしい。なんでなんだろ?と考えてみた。

 よくわからないんだけど、原田芳雄がテツだというあたりにヒントがあるのかもしれない。つまりは、オタクなのだ。もとい、少年の心をいつまでも失わずにいながら、常になにかと闘い続けるハードボイルドな奴なのだ。

 鉄道が好きだと、玩具全般が好きになる。となれば、当然、男の子の究極の玩具ともいえる銃器も好きになる。それらすべてが似合う男といえば、もう、原田芳雄しかいない。

 で、玩具の設計屋にして、殺し屋という究極の設定が生まれるわけだけど、でも、なんでこの映画が好きなんだろ?

 麻生れい子の病的な絡みと高橋洋子のぼっちゃりな絡みは、まあ好い。

 けど、拍子抜けのラストは、もとい、最後の殺しを行うべく、いいかえれば、男の原点である戦場へ向かう男の姿に共感をおぼえる観客はいったい何人いたんだろう?

 っていうのは、ちょっといいすぎかもしれないけど、原作を読んでいないぼくは、どんなメモを取っていいのかよくわからない。

 このもどかしさは、どうすればいいんだろう。

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砂の器

2007年02月28日 02時00分39秒 | 邦画1971~1980年

 ☆砂の器(1974年 日本 147分)

 監督/野村芳太郎 音楽/芥川也寸志 作曲/菅野光亮

 出演/丹波哲郎 森田健作 加藤剛 加藤嘉 島田陽子 佐分利信 山口果林 緒形拳

 

 ☆哀悼丹波哲郎

 2006年9月24日、丹波哲郎さんは大霊界に旅立たれた。

 丹波さんのお別れ会に、東撮大泉には多勢の関係者が集ったという報道だった。もちろん、ぼくが大泉へ行くわけには行かないので、ひとり、丹波さんの冥福を祈りながら、自宅で観た。スクリーンで観たいし、できれば、オーケストラをボックスに入れて生演奏を聞きながら観たいけど、なかなかそういう催事をしてくれるところってないんだよね。

 いつかどこかの映画祭で『砂の器』制作50周年とかってやってくれないかしら?

 ちなみに、ぼくがこの映画を初めて観たのは、17歳のときだった。高校の文化祭が目前に迫っている頃で、生徒会の執行部に所属していたぼくは毎晩のように帰りが遅く、でも、この映画だけは観たいとおもって、仲間よりひと足先に学校を出、最終上映に飛び込んだんだけど、お客はぼくを含めて数人しかいなかった。

 田舎の劇場なんてものはたいがいそうで、この名作も例外じゃなかった。信じられないことに、映画が終わったときには、ぼくひとりしか残っていなかった。なかば貸切のような状態で観たんだけど、それがかえってよかったのかもしれない。

 ただ、この映画は全国的には大当たりして、その後、3回か4回、テレビ化された。いちばん印象に残ってるのは、丹波さんの刑事役を仲代達矢さんが演られた作品で、加藤剛さんの和賀英良役は田村正和さんが演られ、曲の題名は『炎』とされてた。原作では電子音楽だったとおもうんだけど、やっぱりこの作品のように『宿命』がいちばんしっくりくる。内容については、いまさら触れるのはやめとこう。

 今回は、丹波さんの冥福を祈るばかりだから。

 (2006年10月、記す)

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化石の森

2007年02月18日 13時43分47秒 | 邦画1971~1980年

 ◇化石の森(1973年 日本 118分)

 監督/篠田正浩 音楽/武満徹

 出演/萩原健一 杉村春子 二宮さよ子 八木昌子 岸田森

 

 ◇石原慎太郎『化石の森』

 マニキュアにミステリ。

 ぼくの田舎には、いちばん多いときで11館の映画館があった。けど、70年代には、5館に減ってた。東宝、松竹、東映、大映、日活の映画を上映してたんだけど、この内、東宝系の邦画を上映してる映画館がいちばんましだった。

 とはいえ、それでも椅子は固く、スクリーンに近づくにつれて傾斜が高くなってるんじゃないかっておもったけど、たぶん、まったいらな館内だったんだろう、ともかく、前の人の頭が邪魔で邪魔で仕方なかった。

 そんな劇場に、授業をさぼってよく出かけたもんだけど、この映画もそういう時代に観た。

 印象に残っているものといえば、どこかの郊外にあるお城のようなラブホテルに回転ベッドがあって、そこの掃除を杉村治子がするんだけど、うぃ~んとベッドが上に昇っていって、それでようやく天井の鏡が拭けるんだ。

 これにはカルチャーショックを受けた。

「ほお、こうして掃除するんだあ」

 ほかにはなんにも憶えてないくらいだったんだけど、今回あらためて、いや~、杉村春子の上手さっていうか凄みを実感した。

 ほんとに凄い女優さんだわ。

 二宮さよ子の可愛さがなければ息苦しくなりそうな感じで、彼女の時代を感じさせるミニのワンピはとっても良だ。

 それはいいけど、劇薬をいくら致死量とはいえ、マニキュアにいれて爪に塗ったらほんとに殺せるのかな?

 なにか出典とか実際の事件とかあったんだろか?

 ま、それもさておき、子どもにとってなにより残酷なことは、母親のセックスを観ちゃうことだ。ショーケンが杉村春子のそんな場面に遭遇してトラウマになるのはよくわかるし、おとなになった自分が今度は八木昌子とセックスして子どもに観られるっていう、なんとも重苦しい因果をよくも考えたものだっておもうんだけど、でも、最後までわからないのは、それがなんで化石の森なんだろってことだ。

 化石の森ってのはアリゾナの砂漠地帯にある国立公園で、そこが舞台になった1936年のアメリカ映画に『化石の森』ってのがあるんだけど、この映画とはなんの関係もない。

 わからないんだよね、そのあたりが。

 でもまあ、70年代特有の刹那的な性衝動と重苦しさは、ぼくは好きだ。

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わが青春のとき

2007年02月13日 13時32分17秒 | 邦画1971~1980年

 ◇わが青春のとき(1975年 日本 106分)

 監督/森川時久 音楽/佐藤勝

 出演/栗原小巻 山本圭 三國連太郎 小林桂樹 夏圭子 井川比佐志 村地弘美

 

 ◇小林勝『狙撃者の光栄』

 こういう時代もありました

 いやまあ、なんというのか…。こういうことをいったら怒られるんだろうけど、簡単にいってしまえば、人を人ともおもわないような夫に嫌気がさし、篤実な青年医師と不倫して妊娠し、その純粋だと信じる愛のために夫に三行半をつきつけて家を出る話なんだけど、こんなふうに書いちゃったら身も蓋もなくなるわけで。

 舞台は、昭和19年、朝鮮。夫こと三國連太郎は、闇稼業でしこたま儲けた観のある資本家。妻こと栗原小巻は、若く美しくどうして三國の妻になったのかが不思議な淑女。医師こと山本圭は、叔父が大逆事件で逮捕され、日本に背をむけてきた青年。栗原小巻は、常に上品で淑やかで、悲愴感にあふれ、三國連太郎も、病院の院長役の小林桂樹と同様、持ち前のあぶらぎりようで、山本圭は、相変わらず代表的左傾青年を演じてる。

 余談だけど、この頃の圭さん、髪さらさらで、なんだか妙にカッコイイんだ。

 ま、圭さんの話はともかく、この濃厚すぎる三角関係となれば、もうなにをかいわんやって感じだけど、それはそれで傾向がしっかりわかる。

 でも、

「無数にある映画の一本とすれば、これはこれでいいんじゃないかな~」

 とおもう。

 おもうけど、しかし、この映画は1971年に倒産した大映が、ようやく復活して、あらたしく歩み出そうとしたときの記念すべき第一回作品だ。

「もうちょっと考えようよ」

 と、誰もいわなかったんだろうか?

 実は、ぼくは、この映画を企画された武田敦さんにご挨拶したことがある。おだやかな紳士だった。おそらく、武田さんは武田さんなりに考え悩まれた末に、この映画の製作に踏み切られたんだろうけど、できれば、新生大映の皮切りには、一般的な娯楽大作か文芸大作を持ってきてほしかった。

 とはいえ、映画史においては、記念碑的な作品ではあるんだよね。

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動脈列島

2007年01月25日 12時40分34秒 | 邦画1971~1980年

 ◇動脈列島(1975年 日本 121分)

 監督/増村保造 音楽/林光

 出演/田宮二郎 近藤正臣 関根恵子 梶芽衣子 芹明香 小沢栄太郎 近藤洋介

 

 ◇1974(昭和49)年3月、名古屋新幹線訴訟

 当時、奇しくも新幹線を扱った映画が2本、撮られた。

 旧大映のスタッフが集められた東京映画の本作、もう一本が東映による『新幹線大爆破』だ。

 ただし『新幹線大爆破』が犯人の要求を聞き入れないかぎり新幹線を爆破させるというのに対し、この映画は要求を聞き入れさせるために新幹線を停めてみせるというもので、同じように新幹線を扱いながらも、東映は「なんとかして停めなければならない」と焦り、大映は「なんとしても停めるわけにはいかない」と拳を握るわけで、まるで正反対の内容になってる。

 これ、どこかの映画祭とかで、2本立て上映してくれないかな?

 そんな作品の違いについてはともかく、最初のトイレの場面はおもわず顔をそむけたくなるくらい嫌だけど、これって、増村保造は平気なんだろか?

 この監督はこうした人間の生理について拘る人で、関根恵子(高橋惠子)の一連の大映作品なんか観てると、ほんとに生々しい。

 今回もそうで、

「この濡れ場、必要なんだろか?」

 と、おもわず首をひねってしまった。

 ま、濡れ場を作るかどうかは製作側の趣味だから、あれこれいっても仕方ない。

 そんなことより、実をいうと、増村保造と派手なアクションはなんだかそぐわない気がしてた。でも、新幹線を電波で停めようと、東名を車で並列疾走してゆくところは中々圧巻だった。

 田宮次郎は恰好つけすぎな感じもあるけど、増村保造、アクションも大丈夫なんだね。

 失礼しました。

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桜の森の満開の下

2007年01月14日 12時21分49秒 | 邦画1971~1980年

 ◎桜の森の満開の下(1975年 日本 95分)

 監督/篠田正浩 音楽/武満徹

 出演/岩下志麻 若山富三郎 西村晃 伊佐山ひろ子 滝田裕介 観世栄夫 丘淑美

 

 ◎昭和22年6月15日、原作発表

 桜の森に、たったひとりで行きたいとおもうだろうか?

 森はどんな森であっても、ひとりではなかなか行きたいとおもわないが、それが、ことに桜であれば、なおさら満開の下には行きたくない。なぜなら、恐ろしいからだ。

 人は、美しいものには惹かれるけど、同時に恐ろしさも感じとる。だから、桜の下には魔性が棲むというのは、あながち嘘でもないような気がする。どうやら坂口安吾も戦後の焼け野原の中でそんなことをおもったらしく、その印象が、この原作を書かせたみたいだ。

 原作を読むのはちょっとだけ苦労したけど、篠田正浩がかなり忠実に映像化していることはわかった。

 ただ、原作どおりに、現代の花見と対比させる必要はないんじゃないかとも、ちょっぴり興醒めな感じで、おもわないではないけどね。武満徹の音楽がぴったり合ってるのは、篠田正浩と通じ合うものがあるからかどうかはわからないけど、いや、非常に雅で良かったです。鈴木達夫のカメラもなかなか良いし、桜に埋もれる能面のような岩下志麻は、いやまじ、綺麗でした。

 まあ、映画についてはさておき、桜といえば、すこし前に飯田の一本桜を見に行ったことがある。

 桜守の方と知り合い、案内もしていただいたんだけど、そりゃもう凄い迫力で、もしも、こんなにでかい桜が森になってたら、ぜったい、魔物が棲んでいて、美女になって誑し込んできて、命ぜられるままに人を殺し、首をとってきて差し出すにちがいない。桜の魔力の前には、人は抗いがたい。それほど桜の森は恐ろしいんだとおもうよ。ま、ひとりで行くことはないとおもうけど。

 ああ、すっかり忘れてたんだけど、『鏡の中の私』も、桜の霊の話だったよね。

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