「タ・イ・カ・ン・ル・ー」プートン国際空港で待ち合わせていたK氏が、タクシーの運転手に告げた乾いた声が印象に残った。2003年冬都市計画の助言で上海に呼ばれた。泰康路は、人民政府がある上海中心部の南エリアに位置し、黄浦江に近い。泰康路周辺は、上海では盛んに行われている再開発エリアから取り残されたように古い建物が比較的多く残っている。そんな古い建物を改装し、国内外のアーティストやデザイナー達のアトリエやオフィスが数集まっているところでもある。アーティストのアトリエがそのままショップになったようなユニークな店と、昔ながらの店とが混在するなど、街の風景は面白い。
私の場合、風景の見え方に二通りあると考えている。このブログのビレッジデザインシリーズのように、調査という目的と期待感を持って意識的に見に行った風景と、今回のように他の目的で訪れながら、仕事の折々にたまたま垣間見た風景とである。個人的には、特に風景への期待感を抱かなくてすむ、垣間見える風景の方が意外性があり、印象深い。
上海が近代の歴史の舞台に登場するのは、1842年の南京条約により開港された頃からだろう。以後上海は、各国領事官や金融機関が集まる極東最大の国際交易都市として大いに発展してゆく。世界各地から様々な利害を持った政治家、外交官、財閥や商人達が集まり、欲望、野望、計略、密偵、既得権益、魑魅魍魎、 権謀術策といった言葉が当てはまりそうな世界的駆け引きの舞台であり魔都だった。時には民族運動やクーデターの舞台となり、また旧日本軍によって爆撃や占領された時期もあり、さらに1978年の改革開放経済のシンボルとして、再び現代史の表舞台に登場するなど、いつもドラスティックな役割を果たしている歴史舞台都市である。
こうした歴史の中で、この魔都を訪れた人間達が目にした風景は、まさに垣間見た上海であっただろうと思う。そんな垣間見える風景に上海を感じさせてくれる。魔都をもう一つ上げよと言われたら、私はジュネーブをあげる。
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.エクタクローム.
CanoScan.
Town Scape 6. 上海泰康路
2007年12月26日水曜日
泰康路の一角にある古い民居群は、おおよそ近代の建築様式であるが、上海最古と伝えられる民居があるなど、比較的歴史はある。こうした中国都市部の古民居と言えば、北京のフートンなどが著名であるが、改革開放以前の中国では、普通にみられた都市の風景である。
建築は、団地のように規則正しく棟をそろえて配置されているが、民居内を貫く多くの路地は、結構複雑に設えられている。個々の民居が随時増改築をしたために、結果的に路地が複雑化したのだろう。こうした路地は、個々の居住者らが居室空間の延長として、使われている。路地をあるけば、コンビニエンスな店舗があったり、近所づきいの場であったり、出稼ぎ商人が露天を開いていたりと、利用の仕方は様々であ。路地は、泰康路界隈の生活の一部となっている。だが上海には、街区によっては薄汚れた物騒な路地もあり、一概に推奨される空間ではないようだ。そうした路地は、場合によっては再開発の対象とされ、高層アパート群への立て替え事業が行われている。
上の写真は、比較的清潔で治安の良さそうな路地である。近年こうした路地沿いにヨーロッパ風のカフェテラスができたり、瀟洒な店ができたりと、上海市もこうした路地の魅力を認めたまちづくりを進めているようだ。
私達が訪れようとしている、上海のデザイン事務所は、古民居群への入り口にあたる路地と泰康路の角地にあった。
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.エクタクローム.
CanoScan.
Town Scape 7. 上海ジアオのオフィス
2007年12月27日木曜日
5階建ての古いビルの上層階に「ジアオ」(中国読み)のオフィスがあった。オフィスは、デザイン事務所らしく設えられており、日本人を含む10名近いスタッフがいて活気があった。日本の大学に留学経験があるニイさん(上写真中央)が、大半の通訳とサポートをしてくれた。
調度上海市内の工学系の大学3年生が、3DCGのフォートフォリオをPCで披露していた。こうした事務所に売り込んでくるぐらいだから、自信家であった。よくみると、公共建築物の3DCGのようだ。日本のパース屋の仕事とくらべて遜色ない技術であることはすぐにわかった。「どれぐらいの時間でこの作品を制作したの?」、「1日です!・・高層建築群ならば2日はかかります・・・私早くて上手です!!」。大学3年生で、しかも1日で、これだけの3DCGを制作するのだから、相当に早い。それにアルバイト費は日本の1/10程度だから、安い。こういう仕事は、中国人の方が速くて桁違いに安いとなれば、日本人なんかに依頼するのが馬鹿馬鹿しくなってくるぐらいの出来映えであった。
そんなあわただしい最中、ディベロッパーの李さんがやってきた。場所は江蘇省天目湖付近の敷地7.9平方キロメートルに、計画人口5万人の新しい都市をつくろうというものであった。李さんがラフ・スケッチをもってきた。なんだ古都の長安や京都の条里制プランではないか・・・意外に簡単な話だが・・・・以後日本と上海、そしてこのジアオの写真にあるデスクとホテルの間を往復しながら、連日朝から晩まで、打ち合わせやプランを作成したりする仕事が続くのである。当然昼と夜は大量の中華料理の攻撃を受けるのだが。こうして出前で新都市のプランニングを行うことになった。特にジアオのニイさんが、すべての仕事のフォローを積極的且つ迅速にしてくれたので、私の仕事が効率よくできた。プランニングに専念できたのは、なによりも彼女のフォローによるところが大きい。おお優秀!!。後に彼女は、日本設計上海支社の総経理(CEO)秘書となったことを聞いた。当然だろうと私は思った。
線書きの図:最初のマスタープランは、あるとき明日までデザインが欲しいと李さんがいうので、ジアオから紙質のあまりよくないトレペと鉛筆を借りて、ホテルの暗い照明の中で、夜なべ仕事で私が書いたもので、無数にある湖沼を運河などの水系で結んだ、最初の頃の総合計画図のスケッチである。以後この新都市空間の基本形となっていった。
中国人学生の3DCGも早いが、人口5万人の都市の骨格プランを一晩で決断して描く私の方法だって、彼らに劣らず早いほうだろう。日本の場合だったら持ち帰って、専門家らとあれこれと三ヶ月位は協議するといった具合に、実にくだらない時間を浪費するところだが、ここではバサバサと一人で決断できる。こうした上海でのスピーディーな仕事は、個人的には結構楽しかった。
このプロジェクトの総合計画の内容に関しては、既に別書(注)で述べているので略す。
注
三上訓顯: 海外プロジェクトにおける地域計画&デザインスクリプト-中華人民共和国江蘇省リーヤン市天目湖新鎮総合計画策定ワーキングを事例とする, 芸術工学への誘い10, p146-181, 岐阜新聞社, 2006.
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.エクタクローム.
CanoScan.
私の場合、風景の見え方に二通りあると考えている。このブログのビレッジデザインシリーズのように、調査という目的と期待感を持って意識的に見に行った風景と、今回のように他の目的で訪れながら、仕事の折々にたまたま垣間見た風景とである。個人的には、特に風景への期待感を抱かなくてすむ、垣間見える風景の方が意外性があり、印象深い。
上海が近代の歴史の舞台に登場するのは、1842年の南京条約により開港された頃からだろう。以後上海は、各国領事官や金融機関が集まる極東最大の国際交易都市として大いに発展してゆく。世界各地から様々な利害を持った政治家、外交官、財閥や商人達が集まり、欲望、野望、計略、密偵、既得権益、魑魅魍魎、 権謀術策といった言葉が当てはまりそうな世界的駆け引きの舞台であり魔都だった。時には民族運動やクーデターの舞台となり、また旧日本軍によって爆撃や占領された時期もあり、さらに1978年の改革開放経済のシンボルとして、再び現代史の表舞台に登場するなど、いつもドラスティックな役割を果たしている歴史舞台都市である。
こうした歴史の中で、この魔都を訪れた人間達が目にした風景は、まさに垣間見た上海であっただろうと思う。そんな垣間見える風景に上海を感じさせてくれる。魔都をもう一つ上げよと言われたら、私はジュネーブをあげる。
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.エクタクローム.
CanoScan.
Town Scape 6. 上海泰康路
2007年12月26日水曜日
泰康路の一角にある古い民居群は、おおよそ近代の建築様式であるが、上海最古と伝えられる民居があるなど、比較的歴史はある。こうした中国都市部の古民居と言えば、北京のフートンなどが著名であるが、改革開放以前の中国では、普通にみられた都市の風景である。
建築は、団地のように規則正しく棟をそろえて配置されているが、民居内を貫く多くの路地は、結構複雑に設えられている。個々の民居が随時増改築をしたために、結果的に路地が複雑化したのだろう。こうした路地は、個々の居住者らが居室空間の延長として、使われている。路地をあるけば、コンビニエンスな店舗があったり、近所づきいの場であったり、出稼ぎ商人が露天を開いていたりと、利用の仕方は様々であ。路地は、泰康路界隈の生活の一部となっている。だが上海には、街区によっては薄汚れた物騒な路地もあり、一概に推奨される空間ではないようだ。そうした路地は、場合によっては再開発の対象とされ、高層アパート群への立て替え事業が行われている。
上の写真は、比較的清潔で治安の良さそうな路地である。近年こうした路地沿いにヨーロッパ風のカフェテラスができたり、瀟洒な店ができたりと、上海市もこうした路地の魅力を認めたまちづくりを進めているようだ。
私達が訪れようとしている、上海のデザイン事務所は、古民居群への入り口にあたる路地と泰康路の角地にあった。
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.エクタクローム.
CanoScan.
Town Scape 7. 上海ジアオのオフィス
2007年12月27日木曜日
5階建ての古いビルの上層階に「ジアオ」(中国読み)のオフィスがあった。オフィスは、デザイン事務所らしく設えられており、日本人を含む10名近いスタッフがいて活気があった。日本の大学に留学経験があるニイさん(上写真中央)が、大半の通訳とサポートをしてくれた。
調度上海市内の工学系の大学3年生が、3DCGのフォートフォリオをPCで披露していた。こうした事務所に売り込んでくるぐらいだから、自信家であった。よくみると、公共建築物の3DCGのようだ。日本のパース屋の仕事とくらべて遜色ない技術であることはすぐにわかった。「どれぐらいの時間でこの作品を制作したの?」、「1日です!・・高層建築群ならば2日はかかります・・・私早くて上手です!!」。大学3年生で、しかも1日で、これだけの3DCGを制作するのだから、相当に早い。それにアルバイト費は日本の1/10程度だから、安い。こういう仕事は、中国人の方が速くて桁違いに安いとなれば、日本人なんかに依頼するのが馬鹿馬鹿しくなってくるぐらいの出来映えであった。
そんなあわただしい最中、ディベロッパーの李さんがやってきた。場所は江蘇省天目湖付近の敷地7.9平方キロメートルに、計画人口5万人の新しい都市をつくろうというものであった。李さんがラフ・スケッチをもってきた。なんだ古都の長安や京都の条里制プランではないか・・・意外に簡単な話だが・・・・以後日本と上海、そしてこのジアオの写真にあるデスクとホテルの間を往復しながら、連日朝から晩まで、打ち合わせやプランを作成したりする仕事が続くのである。当然昼と夜は大量の中華料理の攻撃を受けるのだが。こうして出前で新都市のプランニングを行うことになった。特にジアオのニイさんが、すべての仕事のフォローを積極的且つ迅速にしてくれたので、私の仕事が効率よくできた。プランニングに専念できたのは、なによりも彼女のフォローによるところが大きい。おお優秀!!。後に彼女は、日本設計上海支社の総経理(CEO)秘書となったことを聞いた。当然だろうと私は思った。
線書きの図:最初のマスタープランは、あるとき明日までデザインが欲しいと李さんがいうので、ジアオから紙質のあまりよくないトレペと鉛筆を借りて、ホテルの暗い照明の中で、夜なべ仕事で私が書いたもので、無数にある湖沼を運河などの水系で結んだ、最初の頃の総合計画図のスケッチである。以後この新都市空間の基本形となっていった。
中国人学生の3DCGも早いが、人口5万人の都市の骨格プランを一晩で決断して描く私の方法だって、彼らに劣らず早いほうだろう。日本の場合だったら持ち帰って、専門家らとあれこれと三ヶ月位は協議するといった具合に、実にくだらない時間を浪費するところだが、ここではバサバサと一人で決断できる。こうした上海でのスピーディーな仕事は、個人的には結構楽しかった。
このプロジェクトの総合計画の内容に関しては、既に別書(注)で述べているので略す。
注
三上訓顯: 海外プロジェクトにおける地域計画&デザインスクリプト-中華人民共和国江蘇省リーヤン市天目湖新鎮総合計画策定ワーキングを事例とする, 芸術工学への誘い10, p146-181, 岐阜新聞社, 2006.
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.エクタクローム.
CanoScan.