Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Village Design 37. 中甸・松賛林寺

2007年12月08日 | field work
 遠目にはわからなかったが、近づくと松賛林寺の塔頭民居(丘斜面の住まいをここでは、そう読んでおく)の建具には、チベット調装飾が描かれている。儒教思想が支配的な中国にあって、このデザインは異質な世界だ。中甸をチベット自治区と呼んでいるのもそうした現れである。50 を超える少数民族をはじめ、今なお多様な民族、宗教、言語、文化、価値観、生活様式とを、中国は1つの国家のなかに納めようとしている。それはアメリカ多民族国家を想起させ、また典型的多民族国家のEUヨーロッパを連想する。世界をみていると、多民族を統治してこそ国家であり、またそのために国家が必要なのであろう。
 そうした多民族国家の中にどんどん分け入ってゆくと、最小単位が、それぞれの民族が構えている村にたどりつく。村自体は共同体だから、単一言語、価値観、宗教、文化、生活様式には同一性がある。このように大雑把に捉えると、現在我が国は単一民族国家だから、村社会に該当するのだといってよい。従って我が国には、イスラエルのような宗教戦争はないが、枝葉末節的な村社会特有の話題にはこと欠かない。そう考えていたら、学生時代に読んだ本で、今西錦司の書物(注)を思い出した。愛知県犬山市にあるモンキーパークで飼育されていたニホンザルの行動観察から、人間社会の行動や構造あるいは文化を読み解こうとしたものだったと記憶している。だからサッカーのワールドカップをみていると、世界の多民族国家VS日本霊長類的村社会という構造が頭をよぎり、勝ち目がないのは当然だといつも思う。
 そんな多民族国家が棲む中国奥地で、ラマ教寺院の若い僧侶が、自分の眼を指して「ニコン」といった。私が持っていたニコンF3を貸してあげたら、かわるがわるのぞきながら、レンズやシャッターダイヤルを指しながら、どうやらカメラの蘊蓄ある会話をしていた。よく知っているんだなとおもった。もし言葉が通じれば、しばしの間カメラ談義になるところだった。しかし私達には、そろそろ麗江に戻る時間が近づいていた。今日は日帰りだから、また5時間かけて戻らなければならない。
 
注:「今西錦司全集(増補版)」全14冊、講談社、1993年‐1994年
 
NikonF3 AF-NikkorF2.8/20-35mm.コダクロームⅡ.
CanoScan9950F
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