例えば、ブログにアップさせるために、夏を感じさせる写真を撮影に行こうという目的を持って出かけても、そんなものは撮れるものではない。
大体夏を感じさせる画像って一体なんですか?、と問いかけたくなる。青い空、入道雲、あるいは湿度で霞んだ風景、向日葵、アイスクリーム、祭、お盆・・・。そんな紋切り型の使い古された被写体というのは、むしろ安直な意識で撮らされているだけで、実につまらない画像ばかりだ。そういう目的となる被写体がはっきりしているのは、新聞社のカメラマンにまかせておけばよい。
研究でも同じことがいえる。某家の民家を記録するといった具合に目的が明確ならば、それにふさわしい装備をしてゆけばよいだけの話である。最も学術団体の学会誌はモノクロで印刷解像度も低いので、まあiPhoneでも間に合いそうに思われるが。
むしろ普段の生活の中で、何かを感じたり、アクシデントがあったりした時にシャッターを切る、シャッターを切った時間が夏であれば、それこそがあなたが見た夏なのである。つまり写真とは、個人がそれまでに蓄積した知識や意識の総量が、シャッターを押させるのであろう。
写真学校の実習課題の出し方は、例えば「樹を撮ってこい」といった出題がなされる。そこで学生達は、ひたすら樹を撮ってくる。樹というテーマで撮影してゆくと、樹の周りに古い民家や煙草屋さんが写ったりして様々な発見を後ですることになる。そこに写真の面白さがある。
そういうときに35mmフィルムサイズの焦点距離35mm相当のレンズ(私の場合はM.ZUIKO17mmF1.8ですが)というのは、余計な要素が入り込んできて大変便利なレンズなのである。
創世記の金村修さんの都市の混沌とした写真を見ていると、蒲田や中央線沿線といったJRの駅から近いところが多い。それは彼が、キオスクに新聞を配達するアルバイトをしていたからであった。そういう普段の生活の中で、中判の撮影機材(多分プロウベルマキナ67だったかな)をいつも密かに持ち歩いているのである。いみじくも彼は、「生活の中でしか写真は撮れませんからねぇー」、と言っていた言葉に写真のリアリティを感じさせてくれる。
一般人は、自分でわからないものを撮影しようとは考えない。 撮影者が理解し納得して写真を撮る。ところがそんな写真は実につまらない。
何かの加減で突然アクシデントがある、そんな時にシャッターを切っていれば、それが写真になる。写真とはそういうものだろう。そんな写真は撮影したことすら忘れている。だから後で発見するのである。そして面白い。
コンセプトやスケマティックデザインは、最初にイメージありきだが、写真は逆で後から、これを見ている人によってイメージ化されるのであろう。
名古屋市・市営バス
OLYMPUS OM-D E-M5 Carl Zeiss Distagon25mmf2.8
ISO2000,露出補正-0.3.f8,1/4000.
大体夏を感じさせる画像って一体なんですか?、と問いかけたくなる。青い空、入道雲、あるいは湿度で霞んだ風景、向日葵、アイスクリーム、祭、お盆・・・。そんな紋切り型の使い古された被写体というのは、むしろ安直な意識で撮らされているだけで、実につまらない画像ばかりだ。そういう目的となる被写体がはっきりしているのは、新聞社のカメラマンにまかせておけばよい。
研究でも同じことがいえる。某家の民家を記録するといった具合に目的が明確ならば、それにふさわしい装備をしてゆけばよいだけの話である。最も学術団体の学会誌はモノクロで印刷解像度も低いので、まあiPhoneでも間に合いそうに思われるが。
むしろ普段の生活の中で、何かを感じたり、アクシデントがあったりした時にシャッターを切る、シャッターを切った時間が夏であれば、それこそがあなたが見た夏なのである。つまり写真とは、個人がそれまでに蓄積した知識や意識の総量が、シャッターを押させるのであろう。
写真学校の実習課題の出し方は、例えば「樹を撮ってこい」といった出題がなされる。そこで学生達は、ひたすら樹を撮ってくる。樹というテーマで撮影してゆくと、樹の周りに古い民家や煙草屋さんが写ったりして様々な発見を後ですることになる。そこに写真の面白さがある。
そういうときに35mmフィルムサイズの焦点距離35mm相当のレンズ(私の場合はM.ZUIKO17mmF1.8ですが)というのは、余計な要素が入り込んできて大変便利なレンズなのである。
創世記の金村修さんの都市の混沌とした写真を見ていると、蒲田や中央線沿線といったJRの駅から近いところが多い。それは彼が、キオスクに新聞を配達するアルバイトをしていたからであった。そういう普段の生活の中で、中判の撮影機材(多分プロウベルマキナ67だったかな)をいつも密かに持ち歩いているのである。いみじくも彼は、「生活の中でしか写真は撮れませんからねぇー」、と言っていた言葉に写真のリアリティを感じさせてくれる。
一般人は、自分でわからないものを撮影しようとは考えない。 撮影者が理解し納得して写真を撮る。ところがそんな写真は実につまらない。
何かの加減で突然アクシデントがある、そんな時にシャッターを切っていれば、それが写真になる。写真とはそういうものだろう。そんな写真は撮影したことすら忘れている。だから後で発見するのである。そして面白い。
コンセプトやスケマティックデザインは、最初にイメージありきだが、写真は逆で後から、これを見ている人によってイメージ化されるのであろう。
名古屋市・市営バス
OLYMPUS OM-D E-M5 Carl Zeiss Distagon25mmf2.8
ISO2000,露出補正-0.3.f8,1/4000.