京都に来た頃は、催事や話題も多く歩行者や自転車が跋扈する文化都市だとはしゃいでいたが、最近名古屋で自動車の教習を受けていると、およそ個性や話題がないことで有名だった名古屋が、実は自動車都市という他の日本の都市では容易に真似できない大変大きな個性があることに気がついた。それも一夜でつくられる安易なうたい文句個性と異なり、長年にわたって築いてきた確固たる個性であり、しかもトヨタという世界ブランドの本拠地でもある。
およそ自動車という視点から見ると、京都市内全域40kmの速度制限だが、それでは数多くある一方通行の道を走るのは危険である。横から自転車がスイスイ飛び出してくるわ、老人は徘徊しているわ、駐停車は多いは、第一歩道がなくて路側帯ばかりだ。つまり京都は車の交通に関しては実に混沌とした世界なのだ。
そこへゆくと名古屋は、一方通行なんてあまり見かけないし、大体交互通行で歩道つきが原則である、名古屋の道のしっかりしていること。やはり自動車都市だけのことはある。それが名古屋の個性であることに気がついた。
言い換えればAT車だと名古屋は、アクセル操作ですむが、京都はアクセルとブレーキの頻繁な踏み替えが必要になる。それが面倒ならばクリープで走れるほかなく、むしろ細街路はそれでしか走れないけど。
車を運転する立場からすると自転車は大変怖い存在である。それは交通法規を学ぶ機会がないため、乗り放題の身勝手な行動となり、当然交通法規違反が目に余ることは最近のニュースにもなった。
場所と立場が変われば、人間の意識も変わる。それが土地柄なのだろう。
京都市祗園祭
OLYMPUS PEN E-P5 M.ZUIKO DG17mm/F1.8
ISO320,露出補正±0,f1.8,1/60
およそ自動車という視点から見ると、京都市内全域40kmの速度制限だが、それでは数多くある一方通行の道を走るのは危険である。横から自転車がスイスイ飛び出してくるわ、老人は徘徊しているわ、駐停車は多いは、第一歩道がなくて路側帯ばかりだ。つまり京都は車の交通に関しては実に混沌とした世界なのだ。
そこへゆくと名古屋は、一方通行なんてあまり見かけないし、大体交互通行で歩道つきが原則である、名古屋の道のしっかりしていること。やはり自動車都市だけのことはある。それが名古屋の個性であることに気がついた。
言い換えればAT車だと名古屋は、アクセル操作ですむが、京都はアクセルとブレーキの頻繁な踏み替えが必要になる。それが面倒ならばクリープで走れるほかなく、むしろ細街路はそれでしか走れないけど。
車を運転する立場からすると自転車は大変怖い存在である。それは交通法規を学ぶ機会がないため、乗り放題の身勝手な行動となり、当然交通法規違反が目に余ることは最近のニュースにもなった。
場所と立場が変われば、人間の意識も変わる。それが土地柄なのだろう。
京都市祗園祭
OLYMPUS PEN E-P5 M.ZUIKO DG17mm/F1.8
ISO320,露出補正±0,f1.8,1/60