建築の撮影をしていると、いつのまにか関心が人間の生活に向かって行く。生活があっての建築だから、それは当然なことだろう。そして中国では、市が立つ日はみんな着飾ってくるので、お姉ちゃん達をおいかけ激写していた。このきわどいあやうさでバランスしている民族衣装は何族だったかは、調べないとわからないが独特の個性であることは確かだ。
さて私は、芸術系出身の人間だから個性のありようには関心がある。例えば大変個性ある絵を描く高校生がいたとする。ならば美大へというのが当然の進路となる。でっ、入試科目にデッサンがあるので研究所などに通って勉強する。めでたく美大に入ると、またひたすら個性の追求に励む。でっ、卒業のころには、個性が拡大され専門知識も身につき優れたアーティストが誕生するはずであった。
実は、そうならないのである。結果は技術は向上するが、みんな同じ個性になって、同じような絵を描き卒業して行くのである。何故かというと、みんな同じようにデッサンを勉強し、同じような専門教育を受けてしまったのだから多彩な個性が結果として同じになるのは自明のことなのである。
そこで卒業したら学んだものを捨てる努力が必要になる。そこが今の教育の欠点なのである。著名な画家達の経歴をみても専門的に勉強したとしてもせいぜい2年以下である。専門技術だけならば、それぐらいの期間で学べるからだ。
不思議でしょ。美大に行って個性を磨いたつもりが、みんな同じ個性になってしまったなんて。教育とは、技術を向上させるために、一斉に同じカリキュラムで教育をするから、当然の帰結として専門知識や技能は身につくが、他方で人間を没個性化する方向に働くわけだ。そして教える側も教わる学生自身も、そのことに気がつかない人が大多数だ。そこが芸術系のパラドックスなのである。
さて今日は大阪人と食い倒れをしていた。近代マグロにはじまり、ジョージアの無料カフェ、心斎橋のカフェと梯子し、たこ焼き、串カツ屋と徘徊して、もう金龍ラーメンは無理ですわ、で帰ってきた。外国人ビジターが多くものすごい人出にほんろうされていた。ああっ、大阪はすごかった。
中国 1999年
EOS3,EF28-135mmF3.5-5.6.コダクロームⅡ
さて私は、芸術系出身の人間だから個性のありようには関心がある。例えば大変個性ある絵を描く高校生がいたとする。ならば美大へというのが当然の進路となる。でっ、入試科目にデッサンがあるので研究所などに通って勉強する。めでたく美大に入ると、またひたすら個性の追求に励む。でっ、卒業のころには、個性が拡大され専門知識も身につき優れたアーティストが誕生するはずであった。
実は、そうならないのである。結果は技術は向上するが、みんな同じ個性になって、同じような絵を描き卒業して行くのである。何故かというと、みんな同じようにデッサンを勉強し、同じような専門教育を受けてしまったのだから多彩な個性が結果として同じになるのは自明のことなのである。
そこで卒業したら学んだものを捨てる努力が必要になる。そこが今の教育の欠点なのである。著名な画家達の経歴をみても専門的に勉強したとしてもせいぜい2年以下である。専門技術だけならば、それぐらいの期間で学べるからだ。
不思議でしょ。美大に行って個性を磨いたつもりが、みんな同じ個性になってしまったなんて。教育とは、技術を向上させるために、一斉に同じカリキュラムで教育をするから、当然の帰結として専門知識や技能は身につくが、他方で人間を没個性化する方向に働くわけだ。そして教える側も教わる学生自身も、そのことに気がつかない人が大多数だ。そこが芸術系のパラドックスなのである。
さて今日は大阪人と食い倒れをしていた。近代マグロにはじまり、ジョージアの無料カフェ、心斎橋のカフェと梯子し、たこ焼き、串カツ屋と徘徊して、もう金龍ラーメンは無理ですわ、で帰ってきた。外国人ビジターが多くものすごい人出にほんろうされていた。ああっ、大阪はすごかった。
中国 1999年
EOS3,EF28-135mmF3.5-5.6.コダクロームⅡ