画像データも6年分が500GBのiMacに保存していた。いろんな意味づけがある画像だが、iMacの容量も一杯に近づきつつあったので、今日は外付けHDに移す作業をしていた。もちろん予備のHDにも移した。
こうすると、それだけ古い画像を見る機会が減る。しかも相手は機械だから何時かは壊れる。今の社会も随分危ういところで活動をしているようだ。といっても古い画像を見直すときは原稿を書くときぐらいだから、もし消えてしまってもショックはあるが、いたしかたない。どうも今の社会は、フローの情報にしか関心がないようだ。
そういう点では、変色はするもののネガの保存力の安心感は大きい。先日とりあげたヴィヴィアン・マイヤーの画像もネガだった。といって私は研究室の1万5千枚のスライドを全てデジタル化して、ネガは捨ててしまったけど。
だから保存というのは置き場所との関係性で決まってくるようだ。現代住宅に倉庫は付かない。それだけ保存という意識も希薄になって行く。
どうしても保存したければ、アルバムという本にすればよい。それはネガがなくても、いつも広げられて過去に引き戻してくれる。
それは画像だけではなく、我々の蓄積された知識がそうである。私が書いた博士論文や学会に投稿した学術雑誌も国会図書館に永久保存されている。膨大な資料の中に埋もれ、まあそれでよいと思うほかない。常々人間とは本来フローの動物だと思う。何も残さず次の世代へとうつり変わってゆくだけ。ただそれだけのことしかしない。そう今日は次の世代を祝福するこどもの日であった。それにしちゃあ画像が大人の日ではないか。
名古屋市名駅太閤口
EOS1DsMarkⅢ.EF28-300mm/F3.5-5.6 IS USM
ISO800,焦点距離28mm,露出補正0,f3.5,1/200
こうすると、それだけ古い画像を見る機会が減る。しかも相手は機械だから何時かは壊れる。今の社会も随分危ういところで活動をしているようだ。といっても古い画像を見直すときは原稿を書くときぐらいだから、もし消えてしまってもショックはあるが、いたしかたない。どうも今の社会は、フローの情報にしか関心がないようだ。
そういう点では、変色はするもののネガの保存力の安心感は大きい。先日とりあげたヴィヴィアン・マイヤーの画像もネガだった。といって私は研究室の1万5千枚のスライドを全てデジタル化して、ネガは捨ててしまったけど。
だから保存というのは置き場所との関係性で決まってくるようだ。現代住宅に倉庫は付かない。それだけ保存という意識も希薄になって行く。
どうしても保存したければ、アルバムという本にすればよい。それはネガがなくても、いつも広げられて過去に引き戻してくれる。
それは画像だけではなく、我々の蓄積された知識がそうである。私が書いた博士論文や学会に投稿した学術雑誌も国会図書館に永久保存されている。膨大な資料の中に埋もれ、まあそれでよいと思うほかない。常々人間とは本来フローの動物だと思う。何も残さず次の世代へとうつり変わってゆくだけ。ただそれだけのことしかしない。そう今日は次の世代を祝福するこどもの日であった。それにしちゃあ画像が大人の日ではないか。
名古屋市名駅太閤口
EOS1DsMarkⅢ.EF28-300mm/F3.5-5.6 IS USM
ISO800,焦点距離28mm,露出補正0,f3.5,1/200