デザイン学会の大会だったので、長野県上田市へ出かけていた。学会の大会は、ビギナー研究者達の論文発表の場であるが,我々にとっては同じ研究者同士の情報交換つまりは同窓会であり、そんなのが一緒くたになってアカデミックなお祭だ。
もう一つ上田市に行く目的は、街がどのように変わるかを確かめたいとする考え方があった。このブログでは2010年7月4日と5日に上田の街について少しばかり書いている。そのときに昭和を引きずった古びた幾つかの旅籠があり寒い土地固有の意匠を感じていたし、少しばかりすさんだ風景が印象深くて結構おもしろかったのだ。
上田市内にも伝統的建造物群保存地区のような古い街並みが整備されたところはあるが、私はそれには全く興味がわかない。尋ねたいのは至極普通の古い民家が点在している街の寂しい風景なのだ。
今回数年前の記憶を尋ねながら上田の街を歩いてみた。 当時あった旅籠の古い民家は、いくつもある青空駐車場となってしまったようだ。そして道は整備され新建材の住宅が多くなり、駅の周辺には大きな幾つものマンションやホテルが進出し、南側の駅前広場などは小綺麗に整備されている。だから数年前の風景の記憶が蘇ることはなかった。それに見ている人間の意識も変化しただろうし、当然街も変わった。これが数年間で変化した街の様相である。
街にはTVドラマ真田丸の旗が乱立していた。真田丸!?、私はみたことがないのでわからないが、大阪城の負け戦の大将の一人だったという程度の知識はある。
変わらなかったのは、蕎麦の味ぐらいだろうか。さて夜は、懇親会会場であるホテルの美食をいただきつつ早々に寝てしまった。
翌日は、もう少し街を歩き回って別所か鹿教湯温泉に出かけてから夕方あたりに帰ろうと考えていたら、ジョルダンの乗り継ぎ案内で最短時間で京都に帰れるというのを発見したのがまずかった。昼過ぎには、蒸し暑い京都に戻っていた。
上田市
EOS1DsMarkⅢ.EF28-300mm/F3.5-5.6 IS USM
ISO400,焦点距離28mm,露出補正0,f3.5,1/2500
もう一つ上田市に行く目的は、街がどのように変わるかを確かめたいとする考え方があった。このブログでは2010年7月4日と5日に上田の街について少しばかり書いている。そのときに昭和を引きずった古びた幾つかの旅籠があり寒い土地固有の意匠を感じていたし、少しばかりすさんだ風景が印象深くて結構おもしろかったのだ。
上田市内にも伝統的建造物群保存地区のような古い街並みが整備されたところはあるが、私はそれには全く興味がわかない。尋ねたいのは至極普通の古い民家が点在している街の寂しい風景なのだ。
今回数年前の記憶を尋ねながら上田の街を歩いてみた。 当時あった旅籠の古い民家は、いくつもある青空駐車場となってしまったようだ。そして道は整備され新建材の住宅が多くなり、駅の周辺には大きな幾つものマンションやホテルが進出し、南側の駅前広場などは小綺麗に整備されている。だから数年前の風景の記憶が蘇ることはなかった。それに見ている人間の意識も変化しただろうし、当然街も変わった。これが数年間で変化した街の様相である。
街にはTVドラマ真田丸の旗が乱立していた。真田丸!?、私はみたことがないのでわからないが、大阪城の負け戦の大将の一人だったという程度の知識はある。
変わらなかったのは、蕎麦の味ぐらいだろうか。さて夜は、懇親会会場であるホテルの美食をいただきつつ早々に寝てしまった。
翌日は、もう少し街を歩き回って別所か鹿教湯温泉に出かけてから夕方あたりに帰ろうと考えていたら、ジョルダンの乗り継ぎ案内で最短時間で京都に帰れるというのを発見したのがまずかった。昼過ぎには、蒸し暑い京都に戻っていた。
上田市
EOS1DsMarkⅢ.EF28-300mm/F3.5-5.6 IS USM
ISO400,焦点距離28mm,露出補正0,f3.5,1/2500