ズームレンズの歪曲収差もあるが、建物もゆがんでいるようだ。もうどっちが効いているのがわからない(笑)。左側の部分は上に空気抜きようの窓しかないから馬屋だったのか、蚕などの飼育場だったか。当然明治期以前の建物だと見立てた。
この建物が建ち続けているのも時間の問題。それは人が住まなくなれば建物は朽ちてゆく原則に従っている。だから保存というのは、子孫繁栄の産物だったと思われる。建物を維持する人間が継続していたからこそ建物も時代の中で生きながらえたのだろう。シンポジウムと懇親会の間の1時間程の隙間を利用して、上田の街のEOSな旅であった。
さて今日は、珍しく普通に雨が降っている。やはり祗園祭の前はいつも雨が続く。祗園祭で梅雨が明けるというのが例年の気候だが、今年もそうなりそうな気配。
話題は変わるが、今年の1年生から新学習指導要領「脱ゆとり教育」で育った学生が入学してきた。図書館に通い文献を調べメモをとるなど随分学習態度が真面目だそうな。それはゆとり教育時代とは随分違うらしい。ようやく普通に勉強できる学生達がはいってきたのか。
ゆとり教育は、1980年度~2010年度まで続いたから、この間の30年間は、ゆとりどころか脱教育であった。ゆとり教育時代の国力も、ゆとりが無くなってきたようだ。
勉強の進度には当然のことながら個人差がある。遅い人間をどのようにフォローしてゆくかとするシステムが重要だ。それは遅いというよりも関心の持ち方や理解の筋道が違うことに起因するだろう。
さて大学の話になると、今は面白い講義だから多くの学生が聞きに来るということはない。学生達の持ち時間と旨く折り合えば講義を取る。だから個人の興味や講義内容ではなく、時間割次第で聴講者数が違うのである。以前私の講義も時間割の飛び地に設けていたら聴講者が少なかった。今は連続する講義の狭間で私の講義を行っているので聴講する学生数は多いが、寝ている学生も多い。
今日は、話題も散漫になった。雨模様の散漫な1日とか、散漫な人生と言うべきか。
上田市
EOS1DsMarkⅢ.EF28-300mm/F3.5-5.6 IS USM
ISO400,焦点距離28mm,露出補正0,f3.5,1/500